第283話 憧れのお家-1
「あ!キャサリン!!」
ベビーグッズコーナーを目指していた茉梨が、突然、友達の名前でも呼ぶように外人の名前を口にした。
隣を歩いていた勝は、目を丸くしてお腹の膨らんだ妻を見下ろす。
俺の知る限り茉梨に外人の友達はいない・・はず・・
14歳からかれこれ10年以上の付き合いなので、殆ど全ての交友関係を把握しているつもりだが、まだ知らない知人が居たのかと軽い驚きを抱きつつ、キャサリンらしき人物がいるであろう女の子向けおもちゃ売り場のコーナーを覗き込む。
小学校の同級生・・?とかだったら絶対面白いからさきにこいつが言ってるはずだよな・・だとしたら、もっと昔・・幼馴染とか?
いや、英語の先生の名前ってパターンもあるけど・・
様々な想像をしながらキャサリンの姿を探すも、件のコーナーには人っ子一人いない。
妊娠の影響で幻でも見たのか?と少々心配になりながら、茉梨の手を捕まえる。
「誰かいた?」
「へ?誰かいたの?」
勝の問いかけに、茉梨が不思議そうな顔になる。
それはこっちの台詞だ。
「は?いや、お前が呼んだんだろ、誰だよキャサリンて・・空想のお友達とか?」
「あ、うん、お友達。空想じゃないし、生きてる」
ますますもって分からない。
空想じゃなくて、生きていて、けれど目には見えない。
「茉梨、調子悪い?」
正直に言いなさい、と促すと、茉梨が真顔で返した。
「平熱、めっちゃ元気。あ、キャサリン見る?」
「は?見れるの?」
「うん、そこにいるよ、こっちこっち」
いよいよホラーじみてきた。
にこにこと手招きする茉梨に引っ張られるようにして、女の子向けおもちゃ売り場に足を踏み入れる。
茉梨の歩みに危なっかしい所はないし、言葉もはっきりしている。
が、なんせ妊娠中に女性の身体に起こる変化なんて勝には分からない。
情緒不安定になったり、イライラしやすくなったり、かと思えば甘えたがったり。
そういう心境の変化には対応してきたつもりだ。
が、幻覚になると対処に困る。
どうしたもんかと悩みかけた勝の前で、茉梨が歩みを止めた。
そのまま人差し指を立てて、ガラスケースに向ける。
子供の目の高さに合わせて設置されたガラスケースの中には、ちょっとした町が広がっていた。
赤い屋根の家に風車がついた青い屋根の家、煙突のある家に、湖に浮かんだボートハウス、ブティックやジェラート屋さん、公園に学校や保育園まで揃っていた。
女の子が喜びそうなドールハウスだ。
その上に掛けられたプレートには、クマの人形の写真が大きく映っている。
帽子を被った赤いワンピースを着たクマなので、女の子なんだろう。
と順番に確かめていると、茉梨がそのクマを指差した。
「はい、これ、お友達のキャサリン!」
「・・・キャサ・・」
「キャサリンー」
「え、クマ・・?」
「あ、クマは苗字ね!キャサリン・クマがフルネーム」
「え?正式名称?」
「んー?それは知らない。でもとりあえず我が家ではこの子の名前はキャサリン・クマ。愛称ははにかみキャシー。響き可愛いでしょ?」
「それ考えたの誰?」
「んなの決まってるでしょ。母上」
「だよな・・ハニカミて」
「けっこう気に入ってて、お父さんもキャシーってよく呼んでたよ。わー久しぶりだー・・・まだこの子のシリーズ残ってたんだなー・・」
とりあえず、幻覚を見たわけでも、妊娠の影響で様子がおかしくなったわけでも無かった事にホッとする。
と同時に、一気に肩の力が抜けた。
キャサリンは人間ではなく、クマ。
茉梨らしいような、らしくないような。
可愛いような可愛くないような。
何とも言えない気持ちのままで、まずは浮かんだ疑問を口にする。
「ってか、名前がお洒落すぎやしねーか?」
「その時教育テレビでやってた、海外のキッズドラマの主人公の名前とかだった気がする」
「あー・・それなら納得だ」
「他の子の名前はあんまり覚えてないんだけど、この子だけは覚えてるんだよねー・・決め台詞もあってさー・・聞きたい?」
物凄く期待に満ちた眼差しで見上げられて、乾いた声で答える。
「ええモチロンデス」
「しょうがないなー教えてやろう!はにかみキャシーのおでましよ!ってのが決め台詞なの、決めポーズは、パラソル差して、こう、くるんって回すのね」
ここまで来るといかにも茉梨という気がしてくる。
普通の遊び方の斜め上を行くあたりが特に。
これはどっちかってーと、男の子のヒーローごっこに近いのでは?
「・・・あのさ、人形遊びに決め台詞とか決めポーズっているの?」
控えめに言ってみると、茉梨が驚愕の表情を浮かべた。
「っちょ!っは!?えええええ!?」
「え、なに、その驚きはどっち?」
「ななななななに言ってんの!?いるよ!要るに決まってんでしょ!?決め台詞なくして何が人形遊び!?素敵な決めポーズなくしてどこが人形遊び!?駄目だよ、そこは省いたら絶対ダメなやつ!子供にもそこはちゃんと教え込むから!あんたが反対したって譲らないから!教育方針の食い違いで夫婦に亀裂!?え、これもしや離婚危機とかゆーやつ!?」
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