第282話 答えは至ってシンプル。

「何食べたい?」


馴染みのスーパーのカートを押しながら勝が問いかける。


斜め前の棚に並べてある輸入菓子を手に取ってまじまじと確かめる茉梨にはその声は届いていない。


ちらっとその手元を確かめれば、ココアの中にマシュマロが入った粉末ドリンクの缶だった。


「ココアまだあるだろ」


「美味しい方のココアが飲みたいってこの子が言ったー」


膨らみ始めたお腹を撫でて茉梨が言う。


ここ最近子供を武器にされるから困る。


「じゃあ俺が美味しいココア入れてやる」


「え、それ茉梨スペシャル第二弾?」


ちなみに第一弾はオムライスだ。


「あーそだな。マシュマロとホイップもトッピングしたる」


「えー!!ほんとに!?」


「あーほんとほんと」


「じゃあこれは諦めるか」


「そうしてくれ。ココアだけでもウチ今何個あると思う?」


「さー?2つ位?」


「黒豆のと、無糖のと、キャラメルフレーバーのと普通の」


「すごいじゃん!ココア屋さん開けるってば」


「待て、喜ぶとこじゃないだろ」


気づけばモノが増える我が家を思い出して勝は元凶の身重の妻を見下ろす。


「秋冬は美味しいもんねーココア」


「ちなみに茉梨」


「はいよ?」


「我が家は何人家族だ?」


「今んとこ2人?ぼちぼち3人」


「・・・んで、なんで家族の人数よりココアの数のが多いんだよ」


「それはー、やっぱり気分によって色々楽しみたいから?」


「そんなに要らん」


「いるよ!急にキャラメルフレーバーが飲みたくなったらどーすんのさ」


「キャラメル食え」


「ケチなパパですねー」


肩を竦めて茉梨が言う。


これが自宅であったなら間違いなく頭ぐりぐりの刑だ。


「ケチじゃねェ。邪魔になるっつってんの。そもそもウチはお菓子のストック多すぎ」


「嬉しくない?」


「・・・」


そうやって訊くのはズルイと思う。


勝が答えに詰まったのをいいことに茉梨がここぞとばかりに一気に畳みかける。


「あたしが美味し嬉しそうにお菓子食べてたら、嬉しくなんない?」



★★★★★★★




その昔、まだ2人が子どもの頃、矢野家の両親に言われた事がある。


「お前が茉梨を餌付けしたんだぞー」


「え・・餌付けって」


「そーよー。だって茉梨ってば勝くんのご飯ばっかり褒めるんだもーん。お母さんご飯作んのいやんなっちゃう」


そう言って茉梨の母親が、コタツで眠ってしまった娘の頬を突く。


「こら、母さん茉梨起きるだろ」


父親が窘めるように言った。


「えーだって起きてくれなきゃ困るでしょ?」


「いいよ、後で俺が連れてくから」


「あらやだ、お父さんこないだゴルフの練習のやりすぎで腰痛いって言ってたじゃない」


「腰が痛くっても茉梨1人くらいまだ運べるよ」


「あらそ」


母親もそれ以上は言わずに、笑ってお茶を口に運んだ。


鍋はすっかり空になり、勝と茉梨が買ってきたお菓子も、父親がお土産で持って帰ってきたドーナツも綺麗になくなった。


満腹になった茉梨はあっという間に眠ってしまい、いつの間にか家族同然になった勝と矢野夫妻の家族団欒の時間を過ごす。


家族というものが良く分からない勝にとって、矢野家の”家族”が自分の中でのベースになりつつあった。


茉梨が矢野夫妻の愛情を一身に受けて育ってきた事は、十分すぎるほど感じ取っている。


ちゃんと”愛されて”育った子供は


こういう風になるのだという代表格だと思ってさえいた。


”自分”をそのまま全部認めてくれる、受け入れてくれる場所があることを知っているから


だから、茉梨はいつだって”怖がらない”


傷ついても痛い想いをしても、慰めて貰える場所があることを知っているから。


だから”恐れない”のだ。


けれど、勝は違う。


いつも行動する前に先の先を読む。


傷つかないように慎重に選ぶ。


傷ついても”泣いて帰れる場所”がもう無い事をいつからか知っていたからだ。


自分の身は自分で守るものだ。


ずっとそう思ってきた。


その為、茉梨と自分の違いに最初はめちゃくちゃ戸惑った。


何もかもが違い過ぎて。


でも、今は違う。


こうして愛されている茉梨が心底羨ましくていつも眩しい。


「ほんとにおまえは食う時と寝る時めちゃくちゃ幸せそうだよなぁ」


呟いて、勝が茉梨の手からココアの缶を抜き取った。


そのまま棚に戻すかと思いきや、カートに放り込む。


「え、いいの?」


てっきり”却下”と言われると思ったのに。


瞬きした茉梨に向かって勝が問いかける。


「嬉しいんだろ?」


「うん、めちゃくちゃ」


「じゃあ、喜ばせとく」


「ありがと×2」


「なんで2倍?」


「このコと2人分ー」


歌うように茉梨が言って、先に歩き出す。


「あーそう」


まんざらでもなさそうに呟いて勝が笑う。


ふと、勝の耳にあの日の矢野家の父親の言葉が蘇った。


『多少の無理や我儘は叶えてやりたいだろ?』


すっかり熟睡してしまった茉梨を抱えて2階のベッドまで運ぶのを付き合った後でそっと茉梨の髪を撫でて彼が言ったのだ。


思わず、自分の父親の顔が浮かんだ。


そして、今はもう家族ではなくなってしまった母親も。


あの人たちも、こんな風に思ってくれていたのだろうか?


勝の為に、なんでもしてやりたいと。


そんな無償の愛が、あの小さな家に溢れていたのだろうか?


幼かった自分の姿を思い出す時は、いつも両親の顔ばかりが浮かぶ。


自分に向かって笑いかける優しい両親。


名前を呼んで抱きしめてくれた彼らの姿が。


腰を叩いてベッドから離れた父親が幸せそうに笑う。


『だって俺の娘なんだよ』


その一言に、大事な事は全部詰まっていた。


答えは至ってシンプル。


”家族だから”


その時、思った。


いつか、そんな風に思えたらいいのに。





「じゃあ、ココアと食べるおやつもいるよねー」


のんびりした茉梨の言葉で勝は現実に戻る。


「ほんっとおまえは食い過ぎ」


足早にカートを押して茉梨の後ろ頭を小突く。


「妊婦はお腹が減りますの事よー」


「あっそ・・ま、いいけど」


茉梨を一番に喜ばせて、楽しませて、笑わせる。


家族に対してのスタンスはあの時から決まっていたから。


「勝、どしたの?なんかめっちゃ寛大」


「いつも寛大だろ?」


「・・今日は特に?」


なんで?と問いかけてきた茉梨の後ろ頭にキスをして勝は言った。


「家族だから」


かけがえのない、家族だからね。

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