第281話 豚の貯金箱  

「飛行艇に乗りたい!」


お気に入りの映画を見ながら拳を握りしめたのは茉梨。


俺はコタツテーブルに頬杖ついてちらっとそんな彼女の横顔を見る。


「・・・・へー・・」


言うのはタダ。


好きに言うがよい。


新聞を捲りながら曖昧に頷く。


どーせいつもの思いつき。


すぐ興味持ったものに影響される。


が、次の瞬間。


「海の綺麗な沖縄までひとっ飛び!」


・・・なんでそんないきなり現実的!?


アドリア海とか行きたいんじゃねーの?


ちょっと返答に困って


「ほー」


とお茶を濁してみる。


「ちょっくら行って来てもよいかしら?」


「・・・」


「なぁ茉梨」


「はいよーう」


「一個だけいーか?」


「なんぞよ?」


「頼むから。子供産んでから行ってくれ。身重の体で何処行く気だよ」


「ふーむ・・・」


ぱんぱんに膨らんだ腹部を撫でて茉梨が眉根を寄せる。


「沖縄じゃなくてもよいからどっかしらに動きたい」


予定日が近づくにつれ膨れて行くお腹。パンパンの腹を抱えて歩くのはなかなか大変で、基本アクティブな茉梨もここ最近は家にこもりがち。


天気もあまり良くなかったから


欝屈もピークに達しているらしい。


少しでも姿勢が楽なようにと買ったふかふかの座イスに凭れてぶーぶー天井を見上げる茉梨に問いかける。


「・・・どこらへんに?」


「連れてってくれるの?」


「んー場所による」


「・・・・コンビニ」


「近っ」


「だってちょっと歩きたいんだもん。この部屋に籠ってる感じがいやだ!」


「雨降ってっかもよ?・・・車で」


「歩く!」


二つ返事で茉梨が言った。



さっきまで降っていた雨は上がっていた。


水たまりが雲間から覗いた月をぼんやりと映している。


濡れたアスファルトの上を茉梨が楽しそうに歩いて行く。


「豚も悪くないかもねー。人間様やめちゃって、ひっそり綺麗な海に浮かぶアジトで暮らすの。ロマンを追い求めるわけよー」


つっかけで外に出したのは間違ったかな。


ウキウキとこちらを振り返る茉梨に向かって手を伸ばす。


暗闇に浮かぶ小さな街灯の明かりでは足元を照らすのには心許ない。


「こら、後ろ向きで歩くなよ」


「ねェ、豚。どーよ?」


こっちの話を聞かないのはいつものこと。


すっかり別世界の彼女の手を絡め取って引き寄せる。


少しひんやりしている指先。


好奇心いっぱいの目がこちらを見返す。


「豚もまぁいいとは思うけど」


「まぁってなにさ。ロマンの分かんない男だぁねぃ」


「ロマン・・・お前にだけは語られたくないと思うぞ」


「だって・・・好きなことを追求するって素敵なことだと思わない?この世界で生きてて、一番好きだと思えることを迷わず選べる人なんてそうそう多くないじゃん?それを、豚になることで選べるなら最高じゃない?」


「・・・お前はいつでも自由だね」


「・・そぅお?」


あっけらかんと笑ってみせる茉梨。


今もこうやって繋ぎとめてるつもりだけど彼女はいつも俺の掌の外だ。


好きなことやって楽しく生きて行く。


それもまあ、楽しい人生だろう。


ちょっと前なら、そういう人生を選んだかもしれない。


「んでも・・・俺は人間様でイイデス」


「・・・」


「なんでかって訊かねェの?」


茉梨がちらっと俺を見返す。


「なして?」


「豚のまんまだと、ずっと一人だろ?」


「友達はいるよ?」


「でも、家族はいない」


どこまでも”自由”で。


それには物凄く惹かれる。


”捉われない”ことの心地よさは誰しも一度は体験したいものだ。


でも・・・常に“独り”小さく息を吐いて、茉梨が握った手を強く握り返してきた。


「・・そーだね」


「煩わしくても、面倒でも俺は、人間がいーよ」


”人”だから傷つく。


”人”だから悩む。


けれど。


”人”だから救われる。


”人”だから愛せる。


それを今なら、理解できる。


「どんだけ美味そうなニンジンぶら下げられても、こっち選ぶよ」


「争いもないし、しがらみもないよ?」


「そーだなぁ」


”争う”のは守りたいものがあるからだ。


”必要ない”ものの為に人は剣は持てない。


と、俺は思う。


大げさで無しに。


生きてりゃしがらみは出来る。


関わらずには生きてはいけない。


人として生きるってのはそーゆーこと。


しんどくても。


「くたびれることがあってもさぁ。何とかしよーと思えるし」


「あたしのおかげ?」


「・・・・」


答えなんて分かり切っている顔でじっと見上げてくるから。


茉梨の頬に手を伸ばす。


いつも突いたり引っ張ったりな頬を今日は親指でなぞってから唇を寄せる。


瞬きをして、茉梨が小さく笑った。


「家族のおかげかな」


「・・・そーでしょう」


「自慢げ」


「だって、あたし胸張って貴崎茉梨やってんだもん。いいでしょ」


「・・・いーよ」


「ならよし」


満足げに頷いた茉梨とおぼろ月の下をゆっくりゆっくり歩く。


目の前に見えてきたコンビニの明りを眺めながら、茉梨が間違っても豚になりたい。


なんて思わないように豚の貯金箱を買ってやろうと思った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る