第271話 Re:もうちょっと付き合って

こんな顔を、あと何千回くらい見られるんだろう。


あの時俺は、漠然とそんな風に思った。



★★★★★★★



運命論なんて信じる性質じゃないが、このままずっと一緒にいるだろうなという事は、恋愛感情を覚える前から何となく感じていて、それがどんな形であれ、お互いが居心地の良い関係ならばいい。


どこに惹かれた、と訊かれても上手く答えられない。


なんかもうそうする事が当たり前のように、すとんと茉梨は居場所を作ってしまった。


刷り込みみたいにその場所を、丸ごと好きになった。


恋だの愛だのと煩い思春期真っただ中の高校生が集う学園において、俺は相当に異質だった筈だ。


この感情を思い知るまでは。


歳を重ねるごとに美しさを増していく恐るべき美貌の持ち主である望月南を姉に持つひなたは、姉ほど強烈な印象は残さないものの、愛嬌のある可愛らしい顔立ちをしている。


無垢な雰囲気が周りの人間を優しい気持ちにさせる稀有なタイプだ。


目立つ団地組において、控えめな印象を与える彼女の芯の強さを最初から見抜いて追いかけた和田の審美眼は正しかった。


彼女のイメージにぴったりの柔らかい白のウェディングドレスは、明るい日差しの降り注ぐ庭で咲き誇る可憐な花のようだった。


天使、女神、と茉梨がはしゃぐのも無理はない。


カメラを向けるこちらも、思わずドキリとしてしまう位、彼女は急激に綺麗になった。


持ち前の心地よい雰囲気に、艶っぽさが加わって、ちょっと近寄りがたい感じさえした。


終始泣いて笑って大騒ぎだった茉梨を隣でフォローしながら、矢野茉梨が、家族になった日の事をふと思い出した。


あの日の俺は、紛れもない当事者で、自分が発案者とはいえ、着慣れないタキシードに身を包み、真っ白のウェディングドレスを着た茉梨の手を取った。


びっくりして泣いて、嬉しくて泣いて、それから思い切り笑った。


カメラが回っていてもいなくても、関係なしに。


何度も隣に並んだ俺の手を握っては、確かめるように、伝えるように笑い合った。


緊張が少しずつほどけていって、表情が柔らかくなって、だんだんと綺麗な花嫁さんが、いつもの茉梨に近づいて行く。


その様子を間近で見られることがこの上なく嬉しくて、この一瞬一瞬を切り取って残しておきたくて、自分用のカメラを用意すれば良かったと思って、けれどカメラを向けていたら茉梨とは視線が合わないのかと気付いて、それが残念に思える自分に驚いて、それがさらに幸せだった。


ファインダー越しに見つめ合う選択肢はものの1秒で捨てて、茉梨自身と直接向き合う。


何となしに繋いでいた手を、今日からは意味を持って繋いでいこうと勝手に思った。


自分以外の意思を持ったひとりの人間を、全身全霊をかけて守るというのは、たぶん、そういう事だ。


学ランを着ていた頃の俺には出来なかった事が、今ならば出来ると思えた。


だから、プロポーズしようと決めた。


流れるように伸びるドレスの裾を捌きながら、歩きにくい!でも幸せ!と満面の笑みで笑う茉梨を見て、自分の覚悟に間違いが無かった事を確信した。


大人になって良かったと、あの日、初めて思えた。


高いヒールでいつも以上に歩きにくいだろうに、それでも歩いて帰る!と言った茉梨の気持ちが、実は分からなくもない。


多分、ふたりして同じことを考えていたのだろう。


あの頃は基本どこに行くにも徒歩だった。


単車の後ろに茉梨を乗せて出掛ける事もあったが、ぶらぶらと歩きながらどうでもいい会話をする事が、楽しかった。


あの頃とは名前の変わった関係で、それでも同じようにこうして歩いている現実を、確かめたくなったのだ。


だから、茉梨との会話の合間に脳直で記憶の中にあった言葉が出た時には焦った。


「まーなー・・あの時は確かに、俺も思った」

「うん・・・何を?」

問い返す茉梨には言葉を濁して、何とかそれ以上の追従を免れたけれど、内心俺は焦っていた。


茉梨が望月に向けて言ったものと同じような事を、あの日の俺も

思ったからだ。


ふわふわと揺れるウェディングドレスを纏って、勝に笑いかける茉梨は、紛れもなく天使で、女神のようだった。


一瞬夢かと思う位に、綺麗で眩しかった。


そんなどっかの小説にありそうな言葉が自分の頭に浮かぶとは思わなくて、けれど他に表現しようも無くて、胸の中に押し込めた。


あんな綺麗で可愛いものがこれから一生自分の隣にいてくれるなら、もうこれが夢でもいいやと半ば匙を投げるような気持ちで茉梨に笑い返したことを思い出して、何だかくすぐったいような、もどかしいような気持ちになった。


とりあえずこれが夢じゃない事を確かめようと、目の前の茉梨を抱えたら、しっかりした重みが加わって心底ほっとしたのだ。




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