第18話 桜月
「ん~・・んん~・・?」
沈んだばかりの太陽に代わって、うっすらと姿を見せた月を背に、茉梨は爪先立ちになりながら危なっかしい足取りで携帯を頭上に掲げる。
いつもの道を一本手前で曲がって、ふらりと入った小道にぽつんと咲いている桜を見つけたのは勿論茉梨だった。
今日の気分はこっち!とさくさく角を曲がったのも言わずもがなだ。
夕方から強くなり始めた風に煽られた枝が揺れて、桜の雨が降っている。
頬に当たる花びらの雨を心地よさそうに受け止めながら、それでも携帯は下ろさない。
何となくやりたい事は分かる。
が、つい先日も同じようなポーズを見た気がするのは気のせいか?
デジャヴを感じながら勝は相方の斜め後ろで立ち止まる。
「茉梨、お前さ、おとといも校庭の満開の桜撮ってなかったっけ?」
学校帰りの夕暮れをバックに、校門の前に咲いている桜に向かって携帯を向けていたはずだ。
満開万歳!とか言いながら、せっせと写真に収めていたのを覚えている。
良く考えれば、その前の日は、朝の通学途中に川べりで見つけた桜を撮っていて、遅刻しかけたといか言っていた。
あと一回遅刻したら罰掃除が待っている勝は、付き合わされなくて良かったとこっそり胸を撫で下ろしたのだ。
花を愛でる習慣なんて無いくせに、桜を前にすると途端テンションが上がるのが不思議でならない。
まあ、確かに目を奪われる美しさではあるけれど。
必死に撮影した写真を横から覗き込んだら、半分以上が手ぶれしていた。
カメラワークもさることながら、どうしたらそんなにぶれるのか?と疑問に思う位まともな写真が少ない。
茉梨は携帯内蔵カメラの画質が云々と言っていたがそんなわけない。
カメラマンの腕の悪さだこれは。
勝の質問に振り向きもせずに頷いた茉梨の手元でパシャっとシャッターの切れる音がした。
だからなんで頷きながら押すんだよ・・・
年中無休で撮られる事専門の人間はこれだから、と頭を抱えたくなる。
矢野家の両親は自他共に認める親馬鹿なので、未だに休日に茉梨が家にいるとハンディカムや一眼レフカメラを片手に撮影を始めたりする。
運動会や文化祭、入学式は勿論の事、クリスマスやひな祭り、誕生日と言った季節行事も外さない。
それに加えて、矢野家の何でもない休日というテーマで、庭での金魚すくい(子供用のビニールプールにおもちゃの金魚を浮かべてすくう)や、トランプの七並べなんかをしている家族の様子がただただ映っているだけという謎のDVDが何枚もある。
どれもカメラのピントは茉梨に合わせられていて、今と全然変わらない屈託ない笑顔ではしゃぐチビッ子茉梨が映っている。
時折、茉梨がカメラ貸してーと父親や母親に向かって手を差し出すシーンがあって、その度見ていると気持ち悪くなる位画面が揺れる。
この頃から、茉梨のカメラワークはちっとも成長していない。
定点カメラで収めてある映像には、若かりし頃の矢野夫妻も映っていて、それはなかなか新鮮だった。
どうして勝がここまで矢野家の記録に詳しいかと言うと、矢野家で食事会を開催される度に無理やり呼ばれて、酔った父親が見始めたDVDに母親が解説を加えるのを、茉梨と一緒に付き合わされているからだ。
食事をしている茉梨が苦手なグリンピースをこっそり避けるのを母親が気付いて、すかさず注意するシーンや、当時流行ったラブソングの歌詞を茉梨に替えて熱唱する父親等々、矢野家にとっては当たり前の日常が、勝にとっては斬新で、未知過ぎて、最初の頃は戸惑ってばかりいた。
こういう家族の在り方もあるのだと納得してからは、ショートフィルムを見るような感覚で楽しめるようになった。
別の世界にある、知らない家族の物語。
完全に自分を切り離して第三者として見ていると、普通に面白くて、茉梨の生意気な態度や、母親に突っ込まれてしょげる父親の姿に思わず笑みが零れたりもする。
そんな勝を見て、他人事じゃないからな!と急にカメラを向けられたりすると、どうして良いか分からなくなるのは変わらないけれど。
常にいがみ合いの消えない世の中で、こんな家族がある事に安堵する。
愛情を目いっぱい注がれた子供は、歪には育たない。
茉梨はどの角度からも綺麗に光を映し出す。
欠けない、尖らない、健やかな真円だ。
「チッチッチー勝くん、何か忘れておらんかね?」
お世辞にも褒められない舌打ちをして、茉梨がなぞかけをしてきた。
これはポワロかホームズだ。
となると、俺はヘイスティングズかワトソンか。
さてどっちだ?
芝居がかった口調で言われて勝は肩を竦めた。
どうせ相棒なら、次元か五右衛門のほうがいい。
探偵物の相棒は、極端に出番が少なくなる。
その点、次元や五右衛門は個人としても人気があるし、何より強い。
と勝手に自分の配役を考えながら茉梨の真後ろから、いつものように手元を覗き込む。
なるほど、綺麗に咲いた桜の花びらを一つだけアップで撮りたいらしい。
「何かってなんだよ?」
「ふっふっふーん!私は朝、昼、夜とそれぞれ背景の違う桜を撮りたいのだよ。すなわち朝日の桜ー、夕暮れ時の桜ー、月夜の桜ー」
両手を広げてどうじゃ!と胸を張る茉梨の額を軽く指で弾く。
あいた!と声が返って来たけれどいつものごとく無視。
それより問題はこのどうしようもないカメラ技術だ。
「あーなんかそれだけ聞くと、すっけ風流な気ぃすっけど、お前の手元相変わらずのブレブレだからな」
「えええ、でも10枚に1枚くらいは結構イイヤツ撮れたし!」
「要らんデータはその倍以上あるだろが」
「だって自分で撮りたいんだもん!待ち受けにするの」
「あーそう・・んで、撮れそうか?」
勝の問いかけに、茉梨が難しい顔で首を振る。
さっきからカメラを翳しては唸り声を上げていたのは風で揺れる桜を綺麗に捉えられないせいだ。
それでも諦めきれない様子で桜を見上げる茉梨の隣で、勝は待ちの体勢に入った。
こうなると、納得するまで梃子でも動かないのは百も承知だ。
不用意に手を出すと、八つ当たりされる。
じっと桜を睨み付ける事1分。
茉梨が何か閃いたように声を上げた。
「あ!」
「ん?」
「勝くぅん!」
「しなつくんな気持ち悪ぃ。わー嫌だ、嫌な予感しかしねぇ」
「訊く前から決めつけんな。んで、気持ち悪いとか言うな」
ばっさり切り返したら、即座に棒読みで返された。
しかも、茉梨がなぜか両手を広げて勝に笑いかける。
「あーもーやだ」
「ええええ!なんでさ!」
「だってお前が言いたい事わかったもん」
「おお!さっすが!!以心伝心ひゃっほい!」
華麗に親指を立てて茉梨がピョンピョン飛び跳ねる。
目的達成まで意地でも帰ってやらないぞ!とその顔に書いてある。
だから、短いスカートでそれはやめろ、と思ったけれど、どうせ辺りは暗いし人も通らないのでそのままにしておくことにした。
それよりなにより、目の前の茉梨の対処が先だ。
「・・・おんぶ?だっこ?」
諦めた口調で尋ねると、茉梨がにかっと笑みを深くした。
「より高さが出る方で!!」
「30秒な、それ以上は無理」
「わーかったから、ほら、早くー」
「あのな、お前それが人に物を頼む・・」
「よろしくお願いしまーっす!」
被せるように返って来た言葉に、もう色々諦めようと心に決める。
高さ、という事ならおんぶより抱っこのほうがいい。
「肩ちゃんと捕まっとけよ」
「よし来た!」
「なんかそれ違う・・・」
さあどうぞ!と腕を持ち上げた茉梨のお尻に腕を回してスカートが捲れない様に気をつけつつ抱き上げる。
勝の肩に手を置いて背筋を伸ばした茉梨が、目の前の桜に向かって携帯を向けた。
「どうだー?」
「いい感じいい!動くな危険!」
楽しそうに茉梨が次々とシャッターを切っていく。
「分かってるよ・・30秒だぞ」
念を押したら、茉梨が片手で勝の肩を叩いた。
「筋トレになるよ!もうちょっと頑張れ!」
「他人事だと思って好き勝手言いやがって・・・」
「だって自分の身体の重さって自分では実感できないもーん」
「もーんじゃねえ」
街灯の明かりの少ない細い通りで、肩に担がれた女子高生が必死に桜の花をカメラに収める構図を思い浮かべてみる。
明らか不審者だろ。
高校生カップルが桜の下で抱き合うとかならまだしも・・・
ふいに浮かんだ妄想に、思わず一歩後ずさってしまった。
茉梨が慌てて勝の肩にしがみつく。
「わ!なに!?もお!」
「悪い・・自分の思考回路に動揺した」
「っは?何考えてたわけ?」
「ナンデモナイデス」
「片言・・怪しい・・」
「うるせーな。もういいだろ?下ろすぞ?」
「あー!ちょっと待って!!あと一枚!」
最後まで粘った茉梨を慎重に地面に下ろして、勝はホッと息を吐いた。
ほんとに時々自分の行動が嫌になる。
何やってんだ、俺。
早速カメラ画像の入ったフォルダを開いて、桜まみれの写真を確かめた茉梨が、顔の横に携帯を掲げて誇らしげに笑った。
「見て!!一番綺麗に撮れてた!!」
「んーどれ?」
見ると、液晶画面には、ハラハラ舞う桜と上って来た月が綺麗に映っている。
そして隣には、茉梨の無敵に楽しそうな顔。
「よかったな」
結局この一言が全てなのだと、自分の心にいい聞かせた春の夜だった。
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