第22話 トンネルの向こうまで
階段を2段飛ばしで駆けあがる。
息は上がるけど気にしない。
プリーツスカートが膝の上でひらひら揺れた。
隣りにいたら間違いなく眉をひそめて苦言を呈したであろう人物を思い浮かべる。
けれど、今日は勝は一緒では無いので茉梨は遠慮なく踊り場までを一気に駆けた。
目的地はいつもの第二生徒会室・・ではない。
3年生の教室だ。
探している人物は”綾小路一臣”友英学園執行部の生徒会長殿だ。
上級生の階であってもまったく物怖じすることなくずんずんと進んでいく茉梨の背中は、目的に向かってまっしぐら。
”矢野茉梨”はすでに学園の有名人なので(行動を共にする人物の殆どが学園の中枢を担う人物なので、必然的に知れ渡っているのだ)廊下を歩いていても、視線が突き刺さるが、それらすべてを無視して、目的の教室のドアを開けた。
「おっじゃましまーす。カズくんいるー?」
昼休みのざわついた教室に響いた茉梨の第一声に中に居たクラスメイト達が揃って入り口を見やった。
「あれ・・2年の矢野ちゃんだー」
「やのまつりってあの子?」
「いっつも一緒にいる子はいないの?」
教室のいたるところで茉梨の名前が囁かれる。
教室の後方の机でトランプに興じていたグループが一斉に入り口を振り向いた。
望月南、大河直幸、加賀谷巧弥、播磨弥生、新聞部主催の学園人気投票で常に上位を独占する連中が揃いも揃っている。
クラスの中でもひと際目立つ集団から若干離れた場所で、いくつかのグループが出来ていた。
「おー矢野、いらっしゃい」
「来たよー」
一臣に手招きされて、遠慮なく注目を浴びるグループに入っていく。
そんな茉梨の背中に羨望と嫉妬の眼差しが集まる。
「あらー茉梨ちゃん」
「こんにちはー」
「おーお前もコレやりに来たのか?」
南とタイガのセリフに首を振って一臣が座る隣りの椅子に腰かける。
「今日はカズくんにお願いがあって」
「お願い?」
弥生が真剣にトランプを見つめながら問いかける。
「そーなんです・・・なにこれ」
「ん?見ての通り。神経衰弱だよ」
「・・・有名人が揃いも揃って・・・神経衰弱・・」
可笑しそうに呟いた茉梨の頭をポンポンと軽く叩いてから、一臣がトランプを指差した。
「矢野もやっていきな。頼まれてたヤツは持ってきたから、後で渡してあげるよ」
「えーいいの!?」
「もちろん」
頷いた一臣に続いて南、弥生も頷く。
「混ざってけ混ざってけ。こーゆーのは大勢でやんねえとな」
タイガがお日様のような朗らかな笑顔を見せる。
“先輩・後輩”確かに学年は違うけれど少しも堅苦しくないこのメンバーが茉梨はやっぱり好きだと思う。
この学園に入学して本当に良かった。
「じゃーさっそく・・」
机に伏せて並べられたトランプをじっと眺める。
「貴崎には言って来たの?」
「んー。散歩つってきた」
「そう。一緒に来ればよかったのに」
「んーちょっと勝には黙ってたい感じなの」
「へー・・珍しいね」
絶対に”内緒”というわけではない。
けれど・・・
この”イベント”については出来るだけ勝には知られたくないのだ。
昼休み終了間際まで続いた神経衰弱の勝者は播磨弥生だった。
抜群の記憶力でいち抜けし、ビリを茉梨とタイガが争って、結局タイガが負けた。
予鈴が鳴って、一臣が紙袋を茉梨に差し出す。
「これ、ウチの母親お勧めの簡単レシピ本」
「わー嬉しい!ありがとう」
「母の日にケーキ焼くんでしょ?頑張ってね」
☆★☆★
それを見つけたのは偶然。
勝の部屋でハサミを探していた時だった。
たまたま開けた引き出しの奥に忘れられたようにしまわれていた箱。
何の気なしに取り出したそれに描かれていた文字を見た時、総てを悟った。
”お母さん。いつもありがとう”
今よりもつたない勝の字。
きっと何年か前の母の日に勝が母親に贈ったものなんだろう。
そして。
母親は、それを”置いて”出て行った。
”勝たち家族”の記憶は綺麗に”置いて”出て行ったのだ。
勝の家族については何も聞いたことがない。
中3の春に最初に出会った時から勝は”ひとり”だった。
父親の仕事が忙しくてほぼ不在にしていると聞いていた。
そして、勝が高校に入った春に、仙台に単身赴任になったと聞かされただけ。
茉梨からそれ以上の事を尋ねたことは一度もなかった。
必要性を感じなかった。
勝がどんな”過程”でここまで来たかよりも”これから”どうなりたいかを知りたかった。
だから、訊かなかった。
☆★☆★
「茉梨ー俺帰るな」
教室を覗いた勝が雑談中の茉梨に声をかける。
この後まっすぐバイト先に直行だ。
「はいよー。気をつけてねェ」
「おー。さっき言ってた漫画明日な」
「うん。忘れないでね」
「心配ならメールしといて」
「了解ー」
ひらひら手を振って廊下を歩いて行く勝を見送る。
クラスメイトたちの話はまだ続いていた。
雑誌を見ながら、春夏の新しい流行ファッションについて盛り上がっている。
「このチェックのワンピ可愛い!」
「ミニ丈にサンダルがいいよねー」
「もーちょっとあったかくなるまではブーツかな」
「どー思う?矢野ちゃん」
話を振られて、頬づえついていた茉梨は慌てて我に返る。
「え?あー可愛いねー・・・・」
当たり障りのない返事を返してから黙り込む。
心の中で何かがふと引っかかった。
駄目だ、やっぱり、追いかけよう。
心を決めたら早かった。
「ごめん、あたし帰るわ」
言うなり立ちあがってカバンを掴むと一目散に昇降口を目指す。
「え!?帰るの!?」
「ごめんね!ばいばい!」
「ばいばーい」
階段を駆け下りて昇降口までノンストップで走ってローファーを引っかけるようにして校舎裏の抜け穴フェンスをくぐる。
学園裏の砂利道で勝の後姿を見つけた。
ヘルメットを被ろうとする彼に向かって声の限りに叫ぶ。
「まさる!!!」
呼び声に気づいた勝が振り向いて目を丸くした。
「なんかあった?」
駆け寄ってきた茉梨に向かって問いかける。
勢いを殺さず勝の元まで駆け寄る。
体育の授業でもこんな必死に走った事はない。
「まったく・・・なんも・・・っない!!」
けれど、さっきの勝のあれは”寂しい”のサインだ。
今日は学校帰りそのままバイトに向かう事を知っていた茉梨のもとにわざわざ顔を出したのは、そういう事だ。
そして、そのサインは、決して見逃してはいけない。
「・・・・あーそう。お前も帰んの?」
「ううん。多恵のトコ寄ってく」
多恵のトコ=放送室、勝は脳内変換をして意味を理解する。
「そっか」
「・・・あのさ・・・勝・・」
何と言って言いか分からずに言葉を濁した茉梨の表情から何かを読み取ったのか、勝が困ったような表情で先に口を開いた。
「なぁ・・・茉梨ぃ」
「ん?なに?」
「なんかさぁ・・・もう・・・未来なんて全然見えねェよ」
消え入るみたいな一言。
あのプレゼントは”捨てられなかった勝の過去”で”忘れられなかった思い出”だ。
カーネーションの絵が頭をよぎって胸が痛む。
去年の今頃の勝はいつも通りだった。
穏やかにその日も乗り切っていた。
けれど、今年は違う。
母の日の話題を綺麗に避けて通った茉梨のせいで、古傷が痛んだのかもしれない。
もしくは、別の何かがあったのかもしれない。
けれど、そんなことはどうでも良くて。
茉梨は一瞬泣きそうな顔をして、けれどすぐにふっ切るように笑った。
それから、勝の右手を握る。
「大丈夫。任せて。明るいほうへ連れて行くから」
真っ暗闇で足元が見えなくたって手探りでも連れて行ってみせる。
きっぱり言い切った茉梨の顔を見て勝が呆れたように笑った。
「頼もし・・」
「うん。だから、呼んでよ」
茉梨が握っていた手を、勝が握り返してそれから頷いた。
「じゃあ、今日バイト終わったら行く」
「うん」
”あたしが、勝の道しるべになる”
馬鹿みたいに、それだけを思っていた。
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