第16話 start over

長い長い冬が終わり、漸く日差しにも春を思わせる温もりが感じられるようになった。


今年の冬は連年と同じ位の寒さでしょう、なんて秋の終わりに話していたお天気キャスターに恨めし気な視線を送りたい気もするが、予想外の寒波との事だったのでしょうがないと諦める。


ここ数日小春日和が続いており、短い春休みを目前に、学園全体がどこか浮かれモードだ。


春休み期間中に、執行部による各部室兼クラブハウスの抜き打ち検査が入るので、どの部も現在は大掃除の真っ最中で、HRが終わると同時に帰宅部以外の生徒は一目散に部室へと走り出すのがお決まりの光景だ。


生徒の自主性を重んじ、自己成長を促す、が教育理念の友英学園は、校内の治安維持も生徒に託されており、余程の事がない限り、顧問教員は口を出さない。


歴代の執行部による管理統括によって守られて来た学園の平和は、友英会発足以来、一度も乱されたことが無い。


執行役員は、その歴史を引き継ぎ、守り抜いて次代に渡す事が最大使命とされている。


その為、公に出来ない情報を探り、或いは握り潰す情報屋がいつの時代からか存在するようになった。


いつの時代にも存在する未成年の飲酒、喫煙、賭博など、様々なトラブルを秘密裏に処理しているらしい。


執行部とは立場上対立関係にあるようにも見える彼らは、時には教職員の依頼を受ける事もあるという。


現執行部の最高責任者である綾小路一臣は、見た目以上の切れ者で、10代らしい青臭さを一切含まない公正な名君だ。


穏やかな表情の裏で綿密に計算されている絶対勝利への算段。


清濁併せ吞む名君は、友英と友英執行部の名を汚さない為なら何でもやる暴君でもあると知っている者は意外と少ない。

 

そんな彼が筆頭で行う抜き打ち検査は、結構えげつない。


部活動不要物は見つかった時点で没収されてしまうし、定期清掃を怠った部には、朝夕の罰掃除が命じられる。


それらを課されても、執行部が言うのだから仕方ない、と生徒たちを納得させられるだけの材料と威厳が、常に彼らには必要とされる。


第二生徒会室で見せている完全オフの一臣を知っている茉梨と勝は、全校集会で壇上に立つ一臣を見る度、誰?と思う事がままある。


話し方も立ち居振る舞いも、全てが完璧すぎるのだ。


友英会会長様と、執行役員御一行様の見回りは、通称”大名行列”と呼ばれており、揃いも揃って顔面偏差値が無駄に高いメンバーを一目見ようと、生徒たちが金魚のフンよろしく付いて回る事でお馴染みだ。


そんなものには興味は無いが、この時期の茉梨と勝は完全に無関係ではいられない。


部員が足りている運動部は良いが、少人数の文化部はこの時期人手不足に悩まされる。


そこで頼りにされるのが部員の友人たちだ。


かくいう茉梨も、問答無用で放送部の多恵にヘルプを頼まれて、数日間古びたレコードやらCDやらMDやらカセットテープやらの整理に駆り出されていた。


レコードは傷つくと困るから扱いは慎重に!と念を押されたものの、2度ほど足で踏んずけて、多恵が悲鳴を上げることになった。


大まかな分類分けは茉梨が担当して、収納作業は多恵がひとりでやるという効率的な方法を選択してから、茉梨は基本座って、目の前に積まれた山のディスク類を、ざっくり種類別の小山にする作業に集中したので、それ以降多恵が悲鳴を上げる事は無かったが、積み上げた小山を立ち上がった茉梨が蹴倒すというアクシデントは数回発生した。


そんなこんなで、多恵のお城である放送室の片付けも無事終了して、お礼のフライドポテトを受け取ってほくほくしながら第二生徒会室に戻って来た茉梨は、今朝コンビニで買って来たという地元の情報誌を広げて、春休みの計画を立てている。


勝はというと、帰宅部になった途端、執行部であぶれた仕事を手伝わされる羽目になり、新年度の準備で何かと忙しい一臣のアシスタントとして、大量のコピーを捌いたり、買い出しを頼まれたり、報告書の代理作成を任されたりと大活躍だ。


データ保存した途端、次こっちの集計な、と渡された部活動予算表にげっそりと溜息を吐く勝の斜め前で、茉梨がのんきに最後のポテトを口に放り込んだ。


「はんはへふはふうう?(なんか手伝う?)」


「いいよ。お前に数字触らせんの怖い」


「んんうー失礼な!数学平均点ギリだぞ」


「計算云々じゃなくて、数字自体消しそうで怖いんだよ」


情報処理の選択授業でも何かとエラーを出す事でお馴染みの茉梨なのだ。


うっかり0一つ消しました、とか言いかねない。


「んじゃあ遠くから応援しとく」


「ん、そうして」


もともとそんなに手伝うつもりもなかったらしく、あっさり引き下がった茉梨が、空になった新聞紙で作られた袋を折り畳む。


細々とした作業をさせるには向かないが、面白いアイデアを出す、とかなら茉梨の右に出る者はいない。


イベント向きなんだよな・・基本的に。


体育祭、文化祭、遠足、校外学習、修学旅行、お決まりの通年行事も、茉梨がいるだけで不思議と盛り上がる。


一臣のような圧倒的な牽引力はないが、自然と皆が足並みを揃えて進んでいける空気作りが上手い。


”矢野みたいな人間がいると、貴崎とは違った意味で便利だよ”


純粋な使い勝手の良さは、各段に勝のほうが上なのだが、何か事を起こす時には、茉梨がいると物事がスムーズに運ぶ。


一臣のいわんとしている事がなんとなくわかるから、勝としては複雑だ。


同じ学生同士で、年上の友人という立場から言わせて貰えば、綾小路一臣という男は、見た目も中身も完璧な優秀過ぎる人物だ。


人当たりもよく、優しいし、年の割に落ち着いていて気配りも上手い。


おおよそ一臣を嫌う人間はいないだろうと断言できる。


けれど、最高責任者としての綾小路一臣は、ちょっと底が知れない。


信頼はしているけれど、油断は出来ない。


友英学園という絶対数の為に、悩むことなく1を切り捨てられる為政者だと、勝は知っている。


「今年の桜前線はー?」


「いつもよりは遅いんじゃないのか?こんな寒い冬久しぶりだったし」


「でもさー、ここらで巻き返し図って一気に春が来るかもよー?だって今日とかめっちゃあったかいし」


桜前線急発進ー!と歌うように言って立ち上がった茉梨が、着ていたブレザーを脱いで、椅子の背に掛けた。


キョロキョロと室内を見回して、部屋に来た時に、勝が脱いだままにしていたパーカーを発見して、それを手にいそいそと古い革張りのソファに陣取る。


上履きも脱いで、パーカーを身体に巻き付けるとごろん、と横になった。


丈の長いパーカーは綺麗に太ももの中ほどまでを覆い隠してくれる。


もぞもぞと身動ぎして、居心地の良い場所を見つけると、茉梨がふわぁと欠伸をした。


思わず映った勝も続けてふわぁと欠伸を漏らす。


昨夜は、茉梨の父親から回ってきた時代小説を読みふけってしまったので、寝たのは3時前だった。


午前中だけの授業は、1年の復習という内容であって無いようなものだ。


うち1時間はHRで、生徒的にはもう春休みは殆ど始まっているような状態。


そんな授業スケジュールなので、新年度準備と、入学式に向けた第一弾の会議は容赦なく組み込まれる。


クラスの首脳陣が委員会に駆り出されている上に、運動部の学外遠征も認められているので、強豪チームの生徒たちは揃って不在。


閑散とした中で行われるHRは、担任教師の春休みに向けての諸注意のみで、後は自由時間になってしまったので、そこで僅かな睡眠時間は確保したがそれでもまだ眠い。


成長期のこの時期に、睡眠時間が足りないのはヤバいとは思うものの、問題なく身長は伸びているようなので、良しとする。


自分ではよく分からないが、買い物に行くスーパーのレジ担当や、矢野夫妻に、会う度”またおっきくなった!?”と言われるのだ。


茉梨いわく、よくわかんない、らしいが。


「と、ゆーわけで、邪魔しないようにあんたの分も寝ます!」


「どんな宣言だよ・・膝掛けは?」


被せてもどうせ蹴り落とすだろうけど、と心の中で呟く。


勝の声が聞こえたのか、茉梨が同じ事を言って笑う。


「着ても多分蹴るからー。おやすみー」


「んー」


だろうな、と頷いて、画面に向き直る。


と、茉梨が不貞腐れた声を上げた。


「違うー、やり直し!」


ぐりんとソファから顔だけ巡らせて、勝をジト目で見上げている。


「は?」


やり直す?意味が分からない。


計算間違いしたわけじゃあるまいし。


きょとんとする勝を尻目に、茉梨がパーカーをぎゅっと握りしめて、もう一度言った。


「じゃあ寝るね!おやすみー」


「・・・」


さっきと同じ言葉。


”やり直し”


間違えたのは、何だ?


疑問符が頭の中で3つほど並んで、ここ最近誰かに言った事などない言葉に行き着く。


意識したら、なんだか妙に緊張した。


「あー・・・うん。おやすみ」


出来るだけ自然に、いつもの調子で。


告げた言葉に満足したのか、茉梨がぱっと表情を明るくして、目を閉じる。


「パーカー落としたら被せて、よろー」


”おやすみ”の余韻に浸る暇もない。


きっとこれは茉梨にとったら当たり前のやりとり。


さして気に留める事もない、日常の一部。


けれど、勝にとっては、非日常の出来事だった。


目を閉じる前に、誰かと最後に会話をしたのはいつだっただろう?


浮かんだ答えに、急に落ち着かない気分になる。


画面から逸らした視線の先に、すうすう穏やかな寝息を立てる茉梨を見つけて、勝は苦笑いした。

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