第12話 螺旋カレイドスコープ

「あー!トップコートがないいー!まっさるー!あたしの部屋のチェスト!取ってきて!」


もう少ししたら、コタツ出そうかなぁ、食後のんびりするにはコタツがいいよなぁ、なんて話をしながら、ほのかに温かいホットカーペットの上で、デザート代わりのココアオレを飲みながら薄いピンクのマニキュアでせっせと爪の先を彩る茉梨の傍から、マグカップを遠ざける。


並々と注がれたマグカップの中身を万一ぶちまけようもんなら、テーブルの上は勿論、ホットカーペットも大惨事だ。


当人全く気にする素振りもなく、マニキュアに全神経を集中させているから、尚更心配になる。


そして、そんな心配が板についている自分を何だろなぁ・・と思いつつ、斜め横と、数メートル先から向けられる生ぬるい視線の居心地の悪さ。


「・・・お前はもうちょっと恥じらいとか覚えろ」


「なぬ!?十分すぎるくらい乙女よ、あたくし!!」


ええー・・もうどこが乙女だ。全世界の本物の乙女に謝れ。


「・・・乙女は勝手に部屋に入って引き出し漁れとは言わねぇよ」


仮にも思春期真っ只中の女子高生が、男友達を一人で部屋に向かわせるか?


別に詳細に見渡すつもりなんてないが、一緒に部屋で宿題を片付ける時とはまた違う。


まるで警戒心の無い茉梨に、呆れて良いのか安心して良いのか、もう分からない。


「ええー別に見られて困るもんないしー。クローゼットのチェストは困るけどー・・っは!もしや、家探し・・・」


「するかっ」


家探しするほど茉梨の超プライベート空間に興味は無い。


「んじゃあよろしくー。あたし動けないから」


「・・・コレ、どう思います・・?」


よろしくじゃねぇ、と思いつつ、遺伝子の中核の持ち主その1に質問を投げかける。


さっきから茉梨と勝の会話に口を挟む事無く傍観者を続けている夫婦の片割れは、空になったビール缶を端に避けながら、至極誇らしげに胸を張る。


「んー・・?いやーさすがウチの子はウチの子」


「ちょっと開けっ広げ過ぎでしょ・・」


この開けっ広げがいつか命取りになるのではと、内心ハラハラしているこっちも気も知らないで。


健やかにのびやかに、と自由主義な子育てを貫く矢野夫妻のモットーは、日々是楽しく生きよ。


「まあまあ、相手は選んでるからいいんじゃないかなぁー。母さーん。二本目アリ?」


「発泡酒なら許します」


キッチンで食器洗いをしている遺伝子の中核の持ち主その2(主にこっちメイン多分)が親指を立てる。


「よし。ビールの気分で飲もう。そんな心配しなくても、ウチの子意外と危機管理能力高いから、なあ?茉梨ー」


許可が下りた途端、ほろ酔いも何のその、腰を上げた父親が、茉梨の頭をくしゃくしゃと撫でまわしてから冷蔵庫へ向かう。


「異議なし!もー父ちゃん!いまマニキュア塗ってんの、ヨレる!」


「・・・物凄く異論唱えたいがいいか?」


「ええええー!」


「危機管理緩くなるのは、身内扱いだからよー大目に見てやって、ざっくりな子育てでごめんねー。勝くん」


ケラケラと悪びれない笑顔を向けて来る母親の言葉に、まさにざっくりですね、とは言えずに飲みこんだ。


矢野家で夕食を摂るようになってもう随分と経つが、本当にこの親子はいつでもこんな調子だ。


こちらが違和感を覚えること事体が異質なのかと錯覚しそうになる緩さと大らかさは、これまで経験したことのないもので。


面食らって、戸惑っているうちにまた面食らって。


そうこうしているうちに、ああ、もうそういうもんかとストンと答えが落ちて来た。


たぶん、これがあきらめの境地ってやつ。


「ベッド横のチェストな。何段目?」


「えっとー・・右端?か、真ん中?の一番上・・多分」


「多分かよ」


「どっかその辺ー。蓋が白いやつね。わかる?」


「・・・マニキュアの瓶一揃い持って降りゃいーんだろ?」


「あ、そうね!よし、行け!」


「・・うわー・・その司令官口調にイラっとする・・」


「なんか言った!?」


「イイエベツニ・・」


先生に見つからないぎりぎりのラインで楽しむお洒落が、学生の醍醐味らしく、茉梨は薄付きリップだ、ロングマスカラだとあれこれ試行錯誤を続けている。


その熱意はどこから?と首を傾げたくなることもしばしばだが、本人がこの上なく必死なので黙って見守るに限る。


指令を受けて、階段を上って、もう何度も出入りしている一人娘の子供部屋へ。


一緒に夕飯を囲むときは、リビングで過ごす事が多いから、茉梨の部屋に籠る事はそう多くない。


大抵が、テスト勉強か、宿題に総力戦で挑むとき。


そして、一人きりで部屋に入るのは実は初めてだったりする。


今更緊張もくそも無いが、それでもドアを開けて一番に飛び込んで来たベッドのタータンチェックの可愛らしいベッドカバーにはほんの少し複雑な気持ちになった。


ぶしつけに見回す事はせず、真っ直ぐに目的のチェストを開ける。


全幅の信頼を寄せられると、それに応えようと動いてしまうものだ。


「おい・・ねぇよ・・・」


”多分”ね、”多分”いつも無意識に入れているから、瞬時に具体的な場所が思い出せなかったのだろう。


引き出しの中に、マニキュアの瓶が一本も入っていない事を確認して、閉めようとした矢先。


折り畳まれたガーゼハンカチの上に、ころんと転がっている小さな指輪を見つけた。


子供のおもちゃのような、簡素なつくりのそれは、サイズ調整が出来るようになっている。


花のモチーフが付いた指輪は、小さい女の子が喜びそうなデザイン。


いまの茉梨が指に嵌めるにはあまりにも滑稽だ。


物持ちは良い方だが、小さい頃から遊んでいたミニチュアの人形を保管していても、こんな子供用の指輪を後生大事に取っているなんて思わなかった。


余程思い入れのある品物なんだろう。


勝と知り合った頃の茉梨は、もうすでに今の矢野茉梨が出来上がっていて、それ以前の茉梨を、勝は知らない。


想像する事はあって、何となくこうだろうな、と予想はついても、それはあくまで絵空事。


幼い茉梨が、何を見つめて、何を感じて、何に喜んで、何を大切にしていたのか、それは、当時の茉梨にしか分からない。


これでも結構腰を据えて向き合ってきたつもりで、自分では考えられない位に、距離も詰めて来た。


得意になっているわけではないが、それなりに、理解していたつもりだ。


けれど、本当に、つもり、だったのだ。


この指輪に、どんな記憶が宿っていて、どんな理由で茉梨はこれを手放せないんだろう。


数百円程度のおもちゃの指輪が、茉梨にとってはきっとキラキラのダイヤモンドのように大切で。


その大切を知らない自分が、ひどく悔しい。


振り切るように引き出しを閉めて、隣の引き出しを開ければ、目的のマニキュアセットがお目見えした。


クッキーの空き缶にずらりと並べられた色とりどりのマニキュアの瓶。


恐らくこれのどれかがトップコートなんだろう。


結構な重さのあるそれを持ち上げて、足早に部屋を出る。


電気を消そうと室内を振り返ったら、改めて、この部屋のごくごく一部分の茉梨しか把握していなかった事を思い知らされた。



「はいよ。マニキュアセット」


「おーう、ご苦労」


「それ、塗ってる意味あんの?」


薄っすらと色づいた爪の先は、ぱっと見自爪と大差ない。


「艶々しすぎないトップコート重ねると、自爪が綺麗な子になるの」


「あー・・そう・・ちなみに真ん中の引き出しな。右端ははずれ」


「まじか!あんま気にした事無かった」


「だろうな。あのさ、訊いてもいい?」


「ん?」


「右端の引き出し開けたらさ、おもちゃの指輪見つけたんだけど」


唐突過ぎる質問に、茉梨よりも先に父親が声を上げた。


「おお!花の指輪かーあれ、まだ持ってんのか、茉梨ー」


「人生初の戦利品だからね!」


「なに、戦利品って」


「んー?初めて自分で射的やってゲットした景品なの」


「ほんとは隣のぬいぐるみが欲しかったのに、当たらなかったんだよなぁ。でも、ケース入りの指輪渡された途端、大喜びしてさぁ・・」


「あらーそれは、お母さんが涙目の茉梨に機転利かせて、指輪のほうが宝物みたいで素敵よって言ったから!」


「あー、そうだった、そうだった!絵本の宝島がお気に入りの時期だったから、尚更だ」


「屋台の黄色い明かりの下で見ると、ピッカピカ光っててさー、すっごい素敵な宝物自分で掴んだんだって嬉しくって」


「嬉しすぎて翌日から毎日幼稚園に着けて行って、先生に叱られてそれでも諦めなくって、終いには転んだ拍子に壊しちゃって」


「それをお父さんが、アフロンファルファ様で必死にくっつけたんだぞー」


「不格好になったから、お母さんがラメのマニキュア重ね塗りして盛ったのよ」


「と、いう家族の思い出が詰まった指輪なのですよ」


語られる光景が頭の中に自然と浮かんで来る。


賑やかな一家の団らん。


そこに自分は居なくて当然の筈なのに、組み込まれていない事実に首を傾げたくなってしまう。


「ああ・・なんか、すっげ納得。ふーん・・そっか・・・」


「そういやあれ以来、射的したいって言わないなぁ、茉梨」


「思いのほか難しかったのと、なんか指輪で満足しちゃってさぁ。あ、でも、なんか久々にやりたいかも。秋祭りで探そうかなぁ・・そんときは、協力してくれる?」


「・・・いーよ」


柔らかく応えた勝に、茉梨がやった!とはしゃいだ声を上げた。

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