妄言

主水大也

妄言

「さあ起きるのです。沙羅双樹の木の下であなたの親愛なる骨が待っていますよ!」


その声を聴いて私は飛び上がった。


外はいつものようにぐるぐると回っている。なんと愉快なのだろう!


私は嘔吐した。きっと我が外耳孔に張り付いている緊急指令の所為だろう。


「私は王族の出身なのに何たる不敬なことか!」


私は手にもつ肌色の剣で切り裂いてやった。赤い生命の源が崩れ落ちる。どうやら殺してしまったようだ。


「おお!何たることか!これではハリー・フーディーニも脱出できますまい。」そう言いながら私はドアノブをガタガタと言わしめた。苦しんでいるようで愉快だった。


「私を苦しめた報いを受けろ!カーマデーヴァもそういっている。そら!そこの灰をご覧ぜよ!」そういって私は灰皿にたまっている神の残骸を指さした。灰が神々しく頷く。そら、私の言ったとおりだ。


愉快に笑っている刹那、私の部屋の中が揺れ動いていた。まるで私がかつていた母屋のように。(今はすでに廃屋と化しているが。あるいは焼け落ちたか。)


この胎動の原因はよくわかっていた。この愛すべき青き星が孕んでいる大鯰の所為だ。私は恐怖に打ち負け、踊るように家を飛び出していった。


「ああ、外へと出て行ってしまった」


外は魔物のように私の情報を、命を狙う獰猛な美しき社会性動物が闊歩している。


空には私を狙うスナイパーが。見たまえ!あのように気持ちよさそうにプロペラを回している!あれが何よりの証左だろう。


そのようなことを考えていると、腹に居候している一匹の子豚が一回鳴いた。何用かと思ったがどうやらえさをあげ忘れているようだ。


何かを摂取しなければと、私はスーパーへと向かった。


餌が置いてある部屋へと向かい、私は一個のおにぎりを掴み上げた。文字は渦を巻いており判別ができない。


『夢を追いかけてちゃんとした職に就かないからこんなおにぎり一個しか買えないんだぞ』


ふと、後ろから声が聞こえた。


『大学受験に失敗したのがすべての始まりだったな』


『早く死んだほうが世界のためだぞ』


『アガペーからたった一人外された醜い獣め』


なぜだ……なぜ私があらゆることに対して道を誤ったかを知っている?


くるりと周りを見渡してみると、皆が私のことを在りし日のモアイのような目で見ていた。さながら私の心が視姦されているようだ。いや、そうに違いない。私が持っている文明の利器をハッキングし、そこを通して私の心と有線接続しているに違いないのだ。


私はその逞しい電子の固まりの命の源を取り外し、形あるものの終点駅へと投げ入れた。


自動扉へと向かい足を動かしていると。前から耳に大きな栓を施した男が向かってきた。きっとあれで私を盗聴しているに違いない!


声がより大きく聞こえる。唇を私の耳に貼り付けたのだ。貼り付け、私の庇護すべき、苦くゆるんだ琥珀を掘り起こしているのである。


「だまれ!」


私が一喝すると、周りの発掘者は白々しく驚いた顔をした。その顔についた唇とは別の唇をもってして私のテリトリーを侵しているのだろう。私は知っている。


私はそのような魔の巣窟に身をやつしている自身を哀れに思い、そこを飛び出していった。


道端に落ちている金属筒を蹴り飛ばしてゆく、きっと中には私の言動を総攬する忌まわしき機械が入っているに違いないからだ。いちいち蹴り飛ばし、中のものを壊していく。


ふと、空を見ると、回収し損ねたであろう大型ごみが宇宙を目指して吹き上がっていた。それはさながら、芸術性を極めたグラフィティであった。蛍光色で描かれたその甘い過去は私の心を和ませ、抉る。私の体内に存在する老いぼれがそう感じさせている。


浮遊力を失った負け組のゴミが空から私目掛けて落下してきた。私は先祖が残してきた電気信号の天才を守るため、頭を抱えながら目の前の大型ショッピングモールに入っていった。


中の様子は閑古鳥が黙りこくっているようだった。幸福なコミュニティを作り上げた者たちが、あれこれと物を語っている。カエルがシンバルを叩いていたとか、総天然色の猫が目を丹念に汚していたとか、そんな取り留めのない話をしているのだろう。


おっと、許してくれ我が腹の快楽主義者よ。そう泣かないでおくれ、今口にしよう。どこかわからない場所で。


私はモール内の食事処へ向かった。生い茂った緑がべったりと看板を塗り、そこに赤だとか黄色だとかの文字が互いに押しのけあって浮かび上がっていた。


その高威力のサインに目がやられ、チカチカと苦しみを主張しながら店へと足を踏み入れた。


地面が緩くなっており、足首まで沈んでしまったが、落ちそうにないので気にもせずに奥へと進んでいく。踏み込んだ瞬間、ピンク色のインクが吹き出してしまえば、それは底なし沼のごとく頭まで沈んでいく。私はそれを目印にしていた。


「あの……お客様、何名様でしょうか」


ふと、ペルセポネーが呼んでいると思ったが、どうやら違ったようだ、冥界は私を受け入れないらしい。


その女がまた同じことをオウムのように言った。顔のみが飛び出している。この者も私の化石を握っているらしい。


私はこれ以上中を見られないよう声を出さずに2本の指を差し出した。私と居候、寸分たがわず差し出した。


なぜか彼女は不審そうな顔を貼り付けた。私はその顔面をはがそうと、勢いを強めてスープを要求した。


店中に虫が走っていた。否、この世界にはどこもかしこも虫がはびこっている。そのせいで、私の集中が常に散漫しているのだ。


私の主映像がくるくると定まらずにフラメンコを踊っていた。先ほどから言及しているものの所為だ。ベルゼブブよ、私が君に何かしたか?


器に注がれた人体の親友を一口含む。彼女は私の口の中の熱をおしとやかに取り除いていった。それと同時に彼女は熱っぽくなっていく。だが私はそんなものに何ら扇情的なものを感知しなかった。器を机の上に置くのと同時に、机の下に沈んでいったもう一つの半透明な器も戻ってきていた。この下には冥界が広がっており、物は死に、生き返るという輪廻転生を日常的に繰り返しているのだ。もしくは、究極にまで圧縮されたユガが、超自然的な世界で永遠と繰り返されているのかもしれない。


ふと私は視界に移った恐恐とした空気を感じ取った。私の目の端にあるもう一つの目が奥にあるキッチンを捉えた。働いている官女たちが奇妙な笑いを浮かべていた。新生児のように首がグラグラと定まっていない。彼女らは何を企んでいるのだろうか。私のガラス製のニューロンに彼岸花が咲き誇った。


グニャグニャとした地面をものともせず、彼女は料理を運んできた。匙が入っているかごもセットである。


運ばれてきたスープを私は口にしたくはなかった。


『スープ一つ満足に飲めないのか』


彼女がそう耳に言葉をこすりつけた。私は驚きたまらずスープを口にしたのだ。彼女や周りの人間はしめたと顔を歪めた。


しまった!私はその視線を感じ取り、匙を投げ捨てた。これにはきっと猛毒が入っているのだ!私はここ、現世において黄泉つ竈食を行ってしまったのだ!このままでは三途の川の風を一身に受けることとなる。セーヌ川のシャイな少女よ、この私を待っている君には申し訳ない。


「貴様ら!私を嵌めたのか!」


私はそうやって叫びながら、がむしゃらに走っていく。私を導く声は聞こえなかった。ただ怪物のいないところへ走ろうと思ったのだ。波打つゼリーの上をたどたどしく走っていく。外耳孔にはまたしても、救世主の厚かましい呼び声が生まれた。耳をがりがりと切り裂く。目の前に見える出口は途方もなく遠かった。


脊髄に白蛇が巻き付いていく。後ろを確認すると、一つの黒い人物と無数の虫が、血走りながら私を切望していた。


私は声も出せずに走っていく、出口は目の前に迫っていた。私は他を保護する横長のノッポを飛び越えていった。しかし、そこには踏みしめるはずの惑星が存在しなかった。


「あ」


短く喉を震わせる。私はこの濁った認識の中で確かに明瞭な青空を手に入れたのだ。私が1階だと思い込んでいたここは、3階という吊り庭園だった。バビロニア帝国すらも私の敵だったというわけか。


私は重力に抗うすべを失い真っ逆さまに落ちていった。私たちが平和に暮らす日常に組み込まれたこれが、このように機会を見計らってサイコキラーと化すのは全く持って恐ろしいもので、かの暗殺の天使を思い起こさせる。


地面に着地しようかといったときに、背中に柔らかいものが当たった。私と重力の衝撃を一身に受け止めたビニール状のエア遊具があった。周りの人間は疎ましそうにこちらを見ている。立ち上がると、私のかたちを押した影がそこにあった。


ふと自分の体が苦しそうにしていることに気が付いた。先ほどの毒が駆け回り始めたのだ。きっとそうだ。自分の家に帰らなければ。病院などに一片の信頼もありはしないのだから。


右の足に激痛を味合わせながら私は走る。右足はもう毒が回ってしまったのだ。私は確認を恐れて下を見ることが出来なかった。腐肉のようなにおいが鼻孔に対し横暴な態度で接している。まさか壊死しているのではあるまいか。


私は自動扉を突き破るようにして外へと出た。しかし、現実というものは残酷であったのだ。近くの神の拠り所で祭りがおこなわれている。間違いない。あれは、あれこそが私の消滅を心から喜ぶ人々が開いた晩餐なのだろう。私の死を罵り、祝福する歌声が聞こえた。その声が、手となり足となり、私の耳やおなかをいやらしく撫でまわした。


その嫌撫をもって私の新皮質がせき止めていた灼熱が、いやに冷えた状態で噴き出したのだ。私はアタッチメントを求める夢の生る木のような足取りで家へと向かった。


私は保護することを忘却した蓋を音を鳴らして開けた。見慣れた光景は大鯰が去ったのか、保存の理は正常に機能しているようだった。


戸棚の隅に隠れているカビの生えた裸のビスクドールを手に取り、今日の物語を細やかに共有した。このビスクドールは私の唯一の理解者と通信しているのだ。


『きみがため込んだ汚れた食器に気づかずにそのような憩いの場を作り出すとは何ごとだろうね。真夜中の人を通せんぼしている。彼らは誘導棒を停止棒としての役割しか知らないのだろうね』


私が首を縦に振る。まるで私の心を見透かしているようだ。その上、この言葉は低脂肪で、私にとっては至上のディナーだった。


『一滴も残さずにすくい上げて棚の奥にしまってしまうきみの癖も悪かったけれど、それにしてもひどい。』


とっくに棚は埋まってしまい、今は一滴一滴を海に投げ捨てているのだが、そこまでは知らないのか。否、心にしみて口からは発生しないのかもしれない。


『そうだ、首を絞めてしまうのがいい』


理解者がそう口にし、はっとした。この祝福されし補陀落渡海を失敗に終わらせるには、結末を自身で決めてしまえばよいのだ。船に乗った者が腹切りをして息絶えていたならば、きっと民衆は嘆き悲しむ。私にとっては絶好のアベンジなのである。


私はビスクドールの下に程よくしまってある縄を、天井にある古びた照明器具に括り付け、その後、私の儚い首に巻き付けた。


その後、先ほどの暗殺者をまた呼び出し、私が椅子を蹴り上げると同時にその行為を手伝わせた。顎の内側にある柔らかい骨が異常に動いた。視界が白に包まれていき、意図せずとも、私の手が、足がこの行為を止めようと暴れていた。


きっと私の脳をハッキングし、この唯一の復讐方法を妨げようと焦っているに違いない。私は漏れ始める尿を足に感じながら愉快な気持ちになった。


意識がまとまらなくなった刹那、感じるはずがない落下の感覚を味わった。近くにある本棚に私は倒れこんだ。夢のかけらがそこかしこに散らばっていく。私はその上にたまらず胃液を吐き出した。


私はオレンジ色に染まる紙くずを見て呆然とした。忌まわしい彼らの阻害計画が成功してしまったのだ。


『違う。きみ。僕は見たぞ。神が手を伸ばしてきみの首についた縄をほどいて消えてしまったんだ』


転げ落ちてしまったビスクドールが短く叫びながら知らせる。


そういわれてじっくりと見ると、首にしていた縄は見事にほどけてしまっていた。


この時私はある結論にたどり着いた。3年前から始まったこの異様な世界は全て、神に課された拷問なのだと。あのやぶ医者が言ったような精神疾患では断じてない。領域外の思考を私の内側に飼った覚えはないからだ。


神が縊死を許さないのであれば、いったい何を許してくれるのだろうか。いや、何事も許すまい、これは拷問なのだから。拷問にかけられているものに、自死を許可するだろうか。断じてない。驚天動地のカサブランカが被拷問者には添えられるべきなのだから。


では邪魔できないものはどうか。そうだ、あのカルモチンの箱に収められた果実を平らげればよいのではないか。心をふわりと綿あめのように起こさせるあれであれば。きっと彼らも手出しできまい。


私は親友から(もしくはあの蛇使いの出来損ないからか。このあたりの記憶は蜃気楼が邪魔をしている)いただいた惰眠の快楽を神棚に置いていたのだ。私はそのことを思い出した。


私はその時初めて、朝を呑む決意をしたのである。重ね重ね着こなした朝の羽衣はもはや、この私の行動を止めるシルクハットへなりえなかった。


私はヘビにそそのかされたかのように、罪深い手つきで禁断の果実を限界まで飲み干した。統率の取れた色つきの兵隊は私の喉を縦横無尽に、傍若無人に押し進んでいった。


しばらくすると、私のかたちは崩れ去っていった。バラバラになった私の体は夢の跡地に、オルゴールの櫛場に、瓶ビールの空き瓶に混ざり合って原型をなくしていく。鼓膜は魔法の絨毯となって、周囲の音をせわしなく運んで行ってしまった。


私はこのカオスに支配された身体を抜け出したかったのかもしれない。あの人工的親友も、敵意も、幻覚も、すべては私がこの身体を脱するためのつまらない寸劇だったのだ。私は自殺の重みををこの身に宿るカオスに責任転嫁し、気軽な気持ちで、タブラ・ラサのような身体に乗り換えたかったのだ。いち早く。このようなことをいともたやすくできるヤドカリに私は嫉妬した。ただこの嫉妬は、自身に持っていないものを持っているからという理由ではなく、強い憧れからくる負の感情であった。この二律背反は、生得的感情ではないだろうか。いや、先ほどタブラ・ラサを述べておいてこの稚拙な意見は何なのだろうか。私は私をより嫌ってしまう。ああ、今この感情をあの周知の明言をオマージュするならば。


『私はヤドカリになりたい』


私はオルゴールの櫛場の間から、その妙に静謐で、はっきりとした本音を一瞥し、深い眠りについた。

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妄言 主水大也 @diamond0830

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