悪戯ではないのなら

 五


 西駐輪場は裏門から入ってすぐのところにある。二年生専用の駐輪スペースなのだけれど、裏門にはバリカーが並び、自転車は通り抜けられない。よって、自転車通学の生徒は正門から校舎を迂回し、西駐輪場へ向かっている。朝の混雑解消のため、駐輪場を分離しているのだとか。俺も来年はこちらを使うことになるだろう。構造は東駐輪場と同じだけれど、放置自転車はなく、とても綺麗だった。

「どうして遠野さんは放置自転車が気になったのでしょう」

 俺が声をかけると、遠野さんはかがんでいた背筋を伸ばした。

「鍵がなくちゃ自転車を使えないだろう?」

 至極真っ当な理由だ。遠野さんが補足を加える。

「俺もたまに家の鍵を忘れちまうんだ。そういう時には妹に連絡して、代わりに開けてもらう」

 遠野さんは俺に真摯しんしな眼差しを向け、

「俺は妹のようになりたいんだ」

 と言った。

 どういうこと?

 俺の表情から疑念を読み取ったのだろう。遠野さんは口元を弛緩しかんさせ、

「困っている人を見捨てたくない、ってことさ」

 と説明した。

「辛いことがあったら、話を聞いてもらいたいものだろう? 解決できるできないは別問題としてさ」

 俺は首をひねる。今の時点では、鍵の持ち主が困っているかどうかも、話を聞いてもらいたがっているのかもわからない。何かの比喩だろうか。

 遠野さんの声がふと柔らかくなる。

「俺はまず、違和感に根差した意図を汲み取りたいんだよ」

 視界の隅にペットボトルのキャップが映った。手を伸ばして拾いたいけれど、遠野さんの眼差しが動くことを許さなかった。

越渡こえど君は」

 そこまで言うと、遠野さんは俺の代わりにペットボトルのキャップを拾い上げ、

「何でもない」

 と言った。

 遠野さんが何を言おうとしたのか、俺にはわかる。俺が何か抱え込んでいると思っているのだろう。

 あいにく俺には思い当たることがない。不必要に過去は振り返らないし、何か問題があればその場で解決する。誤りを是正ぜせいし、同じ過ちは繰り返さない。

 遠野さんは放置自転車と鍵の不一致によって、不幸をこうむる人物がいないか危惧きぐしている。ならば、俺はその心配を払拭ふっしょくしてやればいい。

「放置自転車よりも、ささっていた鍵に注目するのはどうでしょう」

 俺の提案に遠野さんは目を丸くした。俺から話題を振るとは思わなかったのだろう。

「遠野さんが気にかかることを突き止めましょう。これが単なる悪戯いたずらなら、鍵を落とし物として職員室に預ければいいだけの話です」

 施錠されていない放置自転車から鍵を抜き取る悪戯があるという。仮にそうだとしても、鍵が見つかっているのだから問題はない。犯人はわからないけれど、鍵の持ち主が今後気をつければいいのだ。

「これが悪戯ではなかった場合を考えましょう」

「何者かが意思をもって実行した場合か」

 俺はうなずいてみせる。それこそが遠野さんの気にかかることなのだ。他の可能性は捨てていい。

 俺は指を二本立てる。

「考えられるとすれば二つ。鍵の持ち主に悪意を抱いている人物か、持ち主本人でしょう」

 悪戯ではないのなら、実行者は鍵の持ち主の顔見知りということになる。赤の他人なら、抜いた鍵を別の自転車に差し込む理由がない。

「前者なら道理に合いません。困らせたいなら、持ち帰るか捨ててしまえばいいのですから」

 俺は中指を折り曲げ、人差し指だけ残した。

「後者なら、それは自分の自転車の鍵を隠すということです。そこには何らかの意図が介在しています」

「意図、ね」

「遠野さん、自転車を使えないとどうなるでしょう」

 遠野さんはあごに手を添え、

「走るしかないな。俺の自転車も丁度昨日パンクして、今日は走ってきたんだ」

 と答えた。

 なるほど。だから、遠野さんは待ち合わせの際に汗をかいていたのか。後から来た俺を気遣ったわけではなく、本当に同じタイミングで到着していたというわけだ。

 だとしたら、むしろ汗をかかなすぎでは?

 俺は表情には出さないように、遠野さんの発言を肯定する。

「そうなります。では、帰宅時に歩くとどうなるでしょう」

「時間がかかるな」

「そうですね。他にはどうでしょう。いつもと違うことがないでしょうか」

 遠野さんは視線を宙に彷徨さまよわせる。

「越渡君と一緒に帰れなくなるな」

「そうですね。歩行者に合わせて自転車を押して帰る方は少ないでしょう」

「となると、一緒に帰りたくない人物からの誘いを断る口実かい? わざと鍵を失くしたフリをしたとか?」

「飛躍しています。それなら、相手を見送ってから自転車で帰ればいいだけのことです。後でかれても、鍵が見つかったと答えれば面倒ごとにもなりません」

「そう言われてみれば」

 遠野さんが思案顔になる。俺も遠野さんも手が止まり、ゴミ拾いがおざなりになっている。幸いはじめ先生は放置自転車に注意書きを貼るため、職員室へと戻っている。放置自転車の鍵は職員室で保管されるそうだ。あの鋭い双眸そうぼうにらまれる前に、この件は解決しておきたい。

「遠野さんなら、どうされるでしょう」

「俺なら?」

「はい。例えば、帰宅する際に俺が自転車の鍵を失くしてしまった場合、どうされますか。休日で学校にも先生がいない場合にはどうされるでしょう」

「俺の自転車を貸すよ。代わりに俺は走って帰る」

 思っていた回答と違う。条件付けしよう。

「では、疲れ切って走る元気もない場合、どうされるでしょう。部活終わりの場合などです」

 遠野さんは数秒ほど思案し、やがて顔を上げた。口元を弛緩しかんさせ、悪戯っ子を見るような呆れた眼差しをこちらに向ける。

「なるほどね。越渡君は答えを知っていたということか」

 俺はぺこりと頭を下げる。一つ訂正するとしたら、はじめから答えを知っていたわけではなく、情報をつなぎ合わせてゆく中で納得できるシナリオを見つけたのだ。

 それじゃあ、と遠野さんが校舎の向こう側を見つめる。

「先生にお願いしようか」

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