失くしたくないもの
六
五月の連休明け、駐輪場の放置自転車に例の鍵はささっていなかった。朝の時点でなかったということは連休中に抜き取ったということだろう。
話は連休初日にさかのぼる。駐輪場のゴミ拾いを終えた後のこと。
「先生、鍵を元の場所に戻していただけませんか?」
遠野さんからのお願いに、
話は今に戻る。放課後、午後七時に差し掛かると辺りは既に真っ暗だった。各部が次々と活動を終え、駐輪場が
一年生の駐輪スペースには俺の自転車しかなかった。三年生の駐輪スペースには数台の放置自転車が見受けられる。
「七時ですよ。速やかに帰宅するように」
校内を巡回していた担任教師から注意を受け、俺は頭を下げる。丁度帰宅を促す校内放送が流れ、校内に
「帰ろうか」
遠野さんの発言に俺は同意を示した。
「遠野さん、今日も走ってきたのでしょうか」
駐輪場に遠野さんの自転車はない。すると、遠野さんは屈託のない笑みを浮かべ、
「家に置いてきちまった」
と答えた。
どういうこと?
遠野さんにとって、自転車は教科書と同程度の重要度らしい。通学手段のはずなのだけれど。
「乗りますか」
俺は自転車のスタンドを上げ、荷台に視線を向ける。遠野さんは、しかし首を横に振った。
「歩いて帰るよ」
「二人乗りは気が引けますか」
「夜道でやるには危ないだろう?」
「そうですね」
そう言って俺は自転車を押しながら遠野さんと肩を並べた。遠野さんは目を
「俺は自転車を貸せるほど体力に自信はありませんが」
言外に滲ませた台詞を汲み取ってくれたのだろう。遠野さんは目を線にして笑った。
結論から言えば、放置自転車にささっていた鍵は一年生の駐輪スペースに放置されていた自転車のものだった。実行者は鍵の持ち主。一年生の女子生徒だ。おそらくサッカー部のマネージャーだろう。連休初日、男子生徒が漕ぐ自転車の荷台に乗っていた。
遠野さんは夜道だから二人乗りを断ったけれど、昼間であれば応じただろう。同じ部活の友人が鍵を失くしたとなれば、人付き合いに慎重な俺であっても二人乗りを提案する。女子マネージャーが自転車の鍵を紛失したとなれば、黙っている男子生徒は少なかろう。
「バスで帰れば、なんて言えないよな」
言われてハッとする。遠野さんをまじまじと見つめるけれど、肩を
「薄情だと思われますからね」
「相手だけならいいがね。部活動のコミュニティは狭いからな。悪い噂はすぐに広まっちまう」
「今回に関して言えば、男子生徒側にそういった思考はなかったと思います」
「ほう?」
遠野さんがニヤニヤとこちらを見つめる。俺は真っ直ぐに街灯が照らす歩道を眺める。
「とても楽しそうでしたから」
二人乗りをしていた男子生徒も女子生徒も、どちらも笑っていた。渋々であれば、あのような表情は浮かべないだろう。
「実るといいね」
俺は
女子生徒は男子生徒と帰り道が逆方向だったのかもしれない。だからこそ、一日くらい一緒に帰りたかったのだろう。たとえ嘘を
鍵を失くしたと言えば、男子生徒は送ってくれるだろう。公共交通機関を勧められれば、脈がないと判断することもできる。その点で言えば、女子生徒の願いは叶ったということだ。
抜いた鍵を
だから、放置自転車を利用した。帰り道を送ってくれるならば、翌日も送ってくれるかもしれない。平日ならば教師の目を気にして断られるかもしれないけれど、連休中の部活であれば応じてくれる可能性は高い。ならば、駐輪場に到着した時点で鍵を持っていなければ不自然だ。
幸い、三年生の駐輪場には放置自転車がたくさんあり、その中には一年生の自転車も一台だけあった。一年生の自転車に鍵を隠しておけば、もし鍵を抜き取っている瞬間を目撃されても、『間違えた』と言い訳できる。
唯一の失敗と言えば、俺たちがよりにもよって清掃活動を行っていたことだろう。鍵がささっている状態であれば、
そういう意味では、俺たちは自ら鍵を隠した女子生徒の意図を汲んだということになる。遠野さんも納得の結末だ。
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