本当の彼女は僕だけが知っている
氷上
彼女はきっと
「ねえ、好きなんだけど」
1年前。夕暮れの美術室。今でもはっきりと覚えている、彼女との初めての会話。
「え?」
目の前の絵を描くことに集中していて、近くに人がいることに気が付かなかった僕は戸惑いの声を上げたんだった。
「その絵。私好きだな」
「あっえっ、その」
確か、頭がものすごいパニックになったんだ。
「フフッ焦りすぎだよ」
僕は慌てて彼女の方に向き直ったり、キャンバスの中から朗らかな笑顔を向けている一人の女性を隠そうとしたりと、あたふたしていた。
「なんだか、私に似ているような気もするけど、さすがに自意識過剰かな?」
彼女の言う通り、このキャンバスの中の女性は、今僕と話している彼女をイメージして描いたもので、だからこそ僕は頭が真っ白になってしまったんだ。
「すごくいい絵。完成したら、また見せてね」
これが、他人に僕の絵を褒めてもらえた初めての日、彼女と話した初めての日。
あの日以来、彼女とはまともに話したことが無い。
そもそも、僕と彼女は同じ美術部というだけで、仲が良かったわけでも悪かったわけでもない、ただの同級生。
それでも彼女の、僕に向けてはいない笑顔はとても可憐で僕を強く惹きつけていた。
「ナオ、また
放課後の美術室で、同じ美術部の友人が僕に声をかけてきた。
「み、みてないよ。ちょっとぼーっとしてただけ」
「別にどっちでもいいけどさ。美人だし、俺も見れるうちに見とくか」
「そんな、人をモノみたいに言わなくても」
「悪い悪い。気を付けるよ」
口ではそういいつつも、モノ扱いする気持ちも理解できる。彼女は僕にとって高嶺の花すぎるんだ。
海外の家系らしく、栗色になびく長い髪や透き通る薄茶色の目は、子供のころに見たことのあるような気がする、外国のお人形さんみたいな見た目。
常に彼女の周りに人が集まるのは、彼女のフランクさと明るさと、僕に話しかけてきたような気兼ねない雰囲気があるのだろうが、それも僕みたいな引っ込み思案な人間にとっては逆に近寄りづらく感じてしまう。
住んでる世界が違う。
同じ学校に通う生徒なのに、なぜだかそう感じてしまう。
「そういえば、その絵、ずっと書いてるよな。進んでるのか?」
今、僕の目の前にあるのは彼女が褒めてくれた絵。あの日からほとんど進んでいないから、完成まではほど遠い。
「全然進んでない」
キャンバスの中の彼女は、僕には見せたことの無い純白のワンピースを着て、僕に向けたことの無い可憐な笑顔をしている。
「そっか。頑張ってな」
僕の気まずさを察したのか、一言そういうとそのまま美術室を去っていった。
「この絵が完成したら、その時は」
彼女にこの絵と共に思いを告げる。そう決めていた。だからこそ、絵はなかなか進まない。完成させるのが怖いから。
美術室の中は静まり返って数人が黙々と絵を描いている中で、彼女も珍しく一人でキャンバスと向き合っていた。
普段、人が集まる彼女が一人きりなことに対する印象なのか、透き通った瞳は寂しそうに見えた。
寂しそう。ただの決めつけなのはわかっている。彼女が寂しそうがから話しかける。そういう機会を僕は探して、作っているだけ。
なんて話しかければいいんだろう。どんな話が盛り上がるんだろう。冗談を言ったら、彼女はキャンバスの中のような笑顔を僕に向けてくれるかな。
そんなことを考えながら、彼女を眺めていた。
なぜだろう。あまりに整った見た目のせいか、少し日本人と離れた雰囲気のせいなのか。僕を惹きつけるその引力は、彼女を見ていると時を忘れそうになるほど染みわたっていた。
いつもこうなんだ。あれこれ考えて、理由を付けて話しかけようとするけれど、何をすることも無く時間が過ぎていく。
今日も、いつもと同じように、こうして一日が終わっていった。
「ナオ、これ見た?すっごいきれいじゃね?」
とある日。再び友人がスマートフォンの画面を僕に見せながら、少し興奮気味に話しかけてきた。
そこには、水色のドレスを身にまとって、銀色に輝く髪飾りをきらめかせながら優雅に笑う
「コスプレか何か?」
「いや、どうやら
彼女には様々なうわさがたっていて、その一つにセレブな金持ちであるというものがあった。その片鱗が今回露わになったということだろう。
「そうなんだ。確かに、きれいだね」
背景に映るシャンデリアやテーブルの上の豪華な料理も相まって、華やかできらびやかな世界がそこにあった。
「なんだ?思ったより反応悪いな。もっと喜ぶかと思ったのに」
確かに、どこかのおとぎ話の中にいるかのようなその写真は、幻想的で魅力的で、とても綺麗だった。
「そうかな?多分、ちょっと現実感が無くて反応薄くなっちゃったのかも」
嘘だ。
「あーまぁ、確かにな。同級生ですって言われてもなんか実感ないよな。にしても、こういう格好してるのを見ると、本当に美人なんだなって再確認できたわ」
「うん。そうだね」
頷きながらも僕は納得していなかった。
そんなきらびやかな髪飾りより、はなやかなドレスなんかより、キャンバスの中の白いワンピースの方が輝いて見える。
優雅で上品なスマートフォンの中の笑顔より、可憐で朗らかに笑う顔の方が綺麗だと思った。
こんな豪華絢爛な場所で、何一つ不自由の無さそうなこの空間で、彼女は本当に欲しいものは手に入っているのだろうか。彼女の見せたあの寂しそうな瞳が望んだものは、そこにあったのか。
僕にはそうは思えなかった。
彼女には白いワンピースで可憐に微笑んでいてほしいんだ。僕の隣で。
夕暮れの美術室。僕の前にあるキャンバスの絵は相変わらず進んでいない。
完成したら思いを告げる。そう決心して描き始めたこの絵はいつか完成する日が来るのだろうか。
彼女はもういない。海外へ彼女は転校していったのに、この絵を完成させる意味はあるのだろうか。絵を眺めながらそんなことを考える。
彼女は果たして海外で楽しくしているのだろうか。
あの寂しそうな瞳が望んだものは海外にあったのだろうか。
豪華絢爛なあの装いで、彼女は満たされているのだろうか。
彼女を理解していて、彼女の笑顔を引き出すのは僕だと思っていた。
わかってる。こんなの所詮は妄想だ。彼女があのドレスの中に不自由を感じたのも、瞳が見せた寂しそうな様子も全部。全部。
僕がしたことは絵を描いていただけ。彼女と話したこともなければ、彼女のことを碌に知ってもいないし、知ろうともせずに、僕の理想像を思い描いただけ。
絵が完成して、告白すれば上手くいく。そんな恋愛ゲームみたいな妄想をしていただけ。
僕は、何もしなかったから何も得なかった。
「ねえ、好きなんだけど」
夕暮れの美術室。そんな声が今でも僕の耳に響き続ける。
絵はまだ完成しない。
本当の彼女は僕だけが知っている 氷上 @16hikami16
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