7
マッチで煙管に火を点け、深く紫煙を吸いこむ。
落ち着かないと、落ち着かないと。
そんな気持ちになるとき真澄が訪れるのは、今も変わらず桜橋のたもとだ。師が自分を拾ってくれた場所。
橋の欄干に胸を押し付けるようにして、桜川の淀んだ流れを見おろす。
師はこの橋の向こうにいる。たった一度の情交を、なかったことにしてやって行こう、などと言って真澄を地の底まで落ち込ませた男が。
「……なかったことにしてやって行こう、か。」
口の中で呟く。
もう辺りはすっかり暗く、桜町の妓楼には華々しい明かりが灯っている。行きかう人並みも今日は金曜日のかき入れ時だ、大勢の男たちが桜橋を渡って行く。
この橋を渡って、師に会いに行きたい。
いつもの衝動だ。
この先にいる大好きな人に、俺は会いに行きたい。
けれど会いに行けないのは、なかったことにされたくない一心だ。
なかったことにだけはしないで。あの夜を、すっかりなかったことにだけはしないで下さい。
そう言えればよかったのに、言えなかった。
煙管をふかす。肺の奥底まで煙をめぐらし、長く長く吐き出す。
ため息。消えない慕情を葬り去りたい。
「……真澄さん。」
背後からかけられた声に、真澄はふらりとかしぐように振り向く。
そこにはきちんと夜化粧をし、藤色の着物に身を包んだ浮舟花魁が立っていた。
真澄は言葉に困り、ただ曖昧に頷いた。
「ごめんね。」
なぜだか女は真澄に詫びた。真澄は詫びられる意味が分からず、戸惑って目の前の女を見つめていた。
うつくしい女だ。桜橋を行きかう男たちの視線が浮舟に集まる。いくらでも桜町で花魁として権勢を誇れる立場にあった女だ。それを、彼女は潤と暮らすために捨てたのだ。
「潤が誘ったんでしょ?」
短い問い。
真澄には答えようがなかった。二万で寝てやると誘ったのは確かに潤の方かもしれないが、潤に直巳の面影を見て視線で誘ったのは多分真澄だ。
答えない真澄に、浮舟花魁はぽつりと涙を一滴落とした。
「そうだって、言ってよ。」
そう言われてもなお、真澄にはなにも答えようがない。
そうだと言ったら嘘になるし、違うと言っても嘘になる。
黙ったままの真澄の肩を、花魁の白い拳が打った。
大した力も入っていない拳が、とん、とん、と、何度も。
「私、直さんのことなんか好きじゃなかったもの。」
涙声で花魁が言った。
拳に肩を打たれたまま、真澄も嘘を返した。
「俺もだよ。」
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