心拍の上限

 波は波を生み出し、心地よい風はすでに失われてしまった。正常な判断を目指していた私の頭上を、コンパスが襲い狂う。黙っているだけで済む段階はとうに過ぎ去っていることを忘れてはいけない。落ち着け、落ち着けと、囁きかける天使諸君と一緒に、どうにか許される条件は満たしつつあった。そして、雨は止んでいない。

 少女は目を覚ますと、木の枝を使って、地面に絵を描いた。それはライオンがキリンを捕食している瞬間を切り取った絵だった。獰猛なライオンと小粋なキリンの曖昧さがうまく表現されていて、私は感嘆の声を上げた。相変わらずの雨はひどく悲しそうに世界を濡らしていた。

 私は一心不乱に絵を描き続けている少女に向かって尋ねた。

「どう? 答えは見つかりそうかい? 雨は止んでいないけれど、どうにかなるんだったら、私も協力するよ」

 少女は手を止めて顔を上げると、私を見つめた。少女の瞳はコオロギのように真っ暗で、何も映していないように思えた。そして、少女は何かを言葉として発しようとして、すぐにやめた。頭の中から言葉を探して、口から発しようとして、やめた。それを何度も何度も繰り返した。その行動は少女に似つかわしくなかった。

 しばらくしてから、少女は答えた。

「……たぶん、答えはオレンジとオレンジの間にあると思うの。だけど見つけることができない。申し訳ないんだけど、代わりに探してきてくれない?」

 少女は俯いていた。

 私は少し考えてから「分かった。探してみるよ」と返答した。本当なら面倒事は避けたかったのだが、少女の頼みとあっては断るわけにはいかなかったのだ。しかし、少女が見つけられないものを私が見つけられるとは到底思えない。もちろん、その存在を否定したいわけではない。少女を否定したいわけではない。私は、探している答えがオレンジとオレンジの間にあるという妄想を否定したいのだ。

 少女は木の枝を捨てると、濡れた地面に横たわった。そして、ゆっくりと目を瞑った。私は横たわった少女のほうへと歩み寄った。そのまま少女を見下ろす。白い肌は鋭く雨を反射して、ツヤのある黒髪は十二分に透き通っていた。雨に濡れる少女はとても美しく、そのまま永遠に眠ってくれれば、私の苦労の半分は消失してしまうだろうと予想できたくらいだ。

 私は横たわっている少女に囁いた。

「それじゃあ、君の世界を見せてもらうよ……本当にオレンジとオレンジの間に答えはあるんだね?」

 少女は目を瞑ったまま答えた。

「そうよ。きっとあるわ。見つけたらすぐに教えてちょうだい。すぐによ」

 私は小さく頷くと、少女の頭にそっと触れた。そして、少女の世界に入り込んだ。

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