第20話 荒神谷遺跡へ(^^)ノ
出雲大社を後にした私達は、荒神谷(こうじんだに)遺跡へと向かった。
荒神谷遺跡は、昭和58年に広域農道建設に伴う遺跡分布調査で、調査員が田んぼのあぜ道で、古墳時代の須恵器の欠片(かけら)を拾った事が切っ掛けとなり発見された遺跡だと言う。
遺跡の南側に、三宝荒神(さんぽうこうじん)が祭られている事から、荒神谷(こうじんだに)遺跡と命名され、翌昭和59年、谷合の斜面を発掘調査した所、弥生時代の中期後半に制作されたと見られる358本の銅剣が出土した。
この358本と言う銅剣の本数は、それまで日本列島で発見された銅剣の本数を凌駕するもので、昭和60年には、その時点から、わずか7m離れて銅鐸(どうたく)と銅矛(どうほこ)が出土したと言う。
私達は、荒神谷(こうじんだに)遺跡に到着すると、早速、荒神谷(こうじんだに)博物館へと向かった。
私は、結構、博物館や美術館のような知性や感性が磨かれたような気がする施設が好きである。
まあ、大概は、気がするだけなのだが。
博物館のロビーで夫は、仏像のガチャガチャをやっていた。
子供みたいだな、と思っていると、出てきた仁王像のフィギュアを私にプレゼントしてくれた。
いらない。
その後、夫は、3回程ガチャガチャを引いて、その全てが仁王像で愕然としていた。
笑える。
気を取り直し、夫は、展示してある銅剣を見ながら、そもそも、剣や矛は、蛇の象徴なんだよ、と言った。
素戔嗚尊(すさのお)は、八岐大蛇(やまたのおろち)を倒す事によって、その身体の中から草薙剣を取り出した。
これって、蛇である大地神から採れる銅や鉄を精製して、剣を作り出しているって事だから、その制作された剣は、大地神の分身って事になる訳だよね。
だから、三種の神器の一つ、草薙剣は、出雲の大地神の象徴であり、出雲の大地神の霊力が宿る武力の象徴なんだと思うよ。
私は、三種の神器って、剣と鏡と勾玉だよね。
草薙剣は、出雲の象徴と言うのは分かるとして、他の鏡と勾玉は、何を象徴としてるの、と夫に聞いた。
ああ、八咫鏡(やたのかがみ)と八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の事だよね。
八咫鏡(やたのかがみ)は伊勢神宮の御神体だよ。
鏡は光を反射するから、八咫鏡(やたのかがみ)も、太陽と権力の象徴なんだろうね。
八咫(やた)って言うのは大きさの単位で、大きさにすると約46センチ程度になるんだ。
日本で出土する鏡に、そんな大きさの鏡なんて今まで存在しなかったから、八咫(やた)は、単に大きいと言う意味だろうと考えられていたんだよ。
ところが、昭和40年に、福岡の糸井市にある平原(ひらばる)遺跡から、直径46.5センチと言う、世界最大級の大型内行花文鏡(おおがたないこうかもんきょう)が出土した。
内向花文と言う紋様は、太陽のコロナ放射を模したもので、しかも、この鏡は三種の神器の一つ、八咫鏡(やたのかがみ)と同じ大きさになるんだよ。
この鏡が出土した平原(ひらばる)遺跡は、魏志倭人伝なんかに記載のある、伊都国(いとこく)の王墓に比定されてるんだけど、僕としては、大和政権と何かしらの関わりがあったと睨んでいるんだけどね、と言い、夫はニヤリと笑った。
ちなみに、僕は、この平原(ひらばる)遺跡行った事があるよ。
この遺跡は、卑弥呼の治世の直前に作られた墳丘で、豊富な副葬品から埋葬者は女性で、女王だと推測されているんだ。
女王の遺体は、太陽と密接な関係性がある事が分かっていて、女王は、祖霊が鎮まると言う、日向峠の方角に足を向けて埋葬されていて、稲穂の収穫期になると、日向峠から昇る朝日が、墳丘を照らすように計算されて築かれたものなんだって。
僕が、平原(ひらばる)遺跡に行った時が、まさにその日で、墳丘では祭祀が行われていたんだよ。
宮司さんに詳しい事を聞いてみたら、太陽が女王の股を照らすように鏡は配置されていたんじゃないかと言っていたよ
女王は毎年、この時期に太陽と結ばれ、更に鏡の呪力によって太陽の子を孕む。
私が、既に亡くなっているのに、と聞くと、夫は、恐らくだけど、古代は、死ぬと言う概念が今と大分違っていたんだと思うよ、と言った。
そうか、女王は身体を失っただけで、未だ生きているんだ。
私は、じゃあ、勾玉はどうなの、と夫に聞いた。
夫は、勾玉は、魂が宿るものでしょ、と答え、例えば、邪馬台国の女王、卑弥呼が魏の国に朝貢した際に、色々な物を送った事が、魏志倭人伝には記されている訳だよ。
奴隷とか、反物とか、宝玉とかね。
でも、当時の中国って、世界最先端の国だから、世界中から珍しい物が入って来る訳だよ。
そんな中で、中国には無く、日本にしか無いものと言えば、翡翠(ひすい)だから、恐らく交易の材料としては翡翠(ひすい)が最も価値が高かったんだと思う。
確か、卑弥呼も、魏に翡翠(ひすい)を送っている筈だよ。
じゃあ、三種の神器の勾玉は、翡翠(ひすい)なのかな。
私がそう聞くと、夫は、どうかな、実物は見れないから何とも言えないけどね、と言った。
ただ、翡翠(ひすい)は新潟の糸魚川が一大産地なんだけど、高志国(こしのくに)って、意図的にか何なのか、あんまり記紀に記載がないんだよ。
と、言うより、翡翠(ひすい)は日本中の遺跡から発掘されるのに、その産地は、昭和になるまでずっと謎のままだったんだ。
だから、記紀を通して、糸魚川の翡翠(ひすい)の存在は大和政権の中でも極秘中の極秘として意図的に隠されたんじゃないかな。
ただ、出雲の大国主命(おおくにぬし)は、糸魚川の翡翠(ひすい)を狙ってか、高志国(こしのくに)の沼河比売(ぬなかわひめ)と半ば強引に娶る事で、高志国(こしのくに)を征服し、諏訪の祭神の建御名方神(たけみなかた)を産んだとされているんだよね。
この高志(こし)に伝わる神話を、素戔嗚尊(すさのお)の八岐大蛇(やまたのおろち)退治の神話に準(なぞら)える向きもあるみたいだよ。
まあ、大和政権は、国譲りによって、出雲の大国主命(おおくにぬし)から色々なものを引き継いでいる訳だよね。
なら、剣や鏡のように、翡翠(ひすい)も大和政権にとって、重要な財力や権威の象徴である筈だから、三種の神器の八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は、翡翠(ひすい)で造られているって可能性は、十分にあるんじゃないかな、と夫は語った。
ふむ、なるほどなぁ。
私達は、荒神谷(こうじんだに)遺跡公園をしばらく歩いて、次の目的地である美保神社へと向かった。
美保神社から、直接次の宿泊地である名古屋へと向かう訳だが、移動に6時間程かかるようだ。
遠いなぁと私は思った。
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