第10話 竹取物語と木花咲耶姫(^^)ノ

スパホテルの展望レストランで富士山を眺めながら、軽めの朝食を取った。


良い天気だ。


昨日の夜はひと雨来たらしく、今日は空気が澄んでいて、雪を被った富士山が、より綺麗に見える。


私は、古事記や日本書記には、富士山はどのような描かれ方をしていたのだろうかと、ふと思い、夫に聞いてみた。


夫は、残念そうな顔をしながら、日本武尊(やまとたける)も甲斐や駿河での活躍は描かれているのにも関わらず、記紀には、何故か富士山の記述が一切無いんだよね、と言った。


その視界の端には、絶対に富士山が入っていた筈なのに。


確かに、それは異常な事なのかも知れない。


私は、富士山の姿を描かなかった理由は何なんだろうと夫に尋ねてみた。


それは、富士山を記すと都合が悪い何かがあるからじゃないかなと言って、夫は笑った。


今日は、富士宮の浅間大社を参拝して、朝霧経由で自宅に戻ろうと計画を立てている。


なので私達は、駿河国一之宮、富士山本宮浅間大社へと向かった。


車の中で、古事記や日本書記について、詳しく説明してもらう事にした。


一般的に記紀は、当時有力者だった藤原氏に都合良く書かれたものだと言われてるそうだ。


中臣鎌足と中大兄皇子が、蘇我氏を打倒する事で、中央集権国家を目指した一連の政治改革を大化の改新と言うが、大化の改新の大きな出来事は、日本が年号を大化と定めた事なんだそうだ。


そもそも年号は、皇帝が定めるもので、当時の中国は唐の時代だから、年号は、唐の皇帝が決め、唐の属国は、唐の年号を使わせてもらっていたと言う。


この大化の改新で、日本は年号を大化と定めた事で、日本には皇帝よりも尊い天皇の存在を示し、中国の年号は使わないと言う決意を他国に向けて宣言した。


そこで作られたのが、古事記と日本書紀だと言う。


古事記は文学的な色彩が濃いのに対し、日本書紀は正史として年代を追っている編年体で書かれていると言う特徴がある。


当時、日本語は話し言葉しかなくて、暗記の得意な稗田阿礼(ひえだのあれ)って人が語る日本語を、太安万侶(おおのやすまろ)が苦労して漢文に書き写したのが、古事記。


日本書記は、古事記と同じく、当時の国際語であった漢文で書かれた書物で、古事記が天皇家の歴史を記す事を目的にしているとするなら、日本書紀は日本という国家の成立を記す事を目的としており、古事記と比べると、外に向けて書かれた歴史書になると言う。


夫は、日本書紀の編纂は、中臣鎌足の息子の藤原不比等が中心となって行われたと言われているけれど古事記も、暗記の得意な稗田阿礼(ひえだのあれ)の正体は、実は藤原不比等なんて説もあるから、やはり記紀は、藤原氏が中心となって作られた書物なんだと思うよ。


ただ、現存はしてないけど、蘇我馬子と聖徳太子も天皇記と国記と言う、日本の歴史書の編纂を行っていたと言うから、恐らく藤原氏は、それをかなりの部分で受け継いでいるとは思うけどね、と語った。


なるほど。


運転中なのに嬉々として語る、夫の詳しい説明に、私は少しだけ引いた。


しかし、何故、藤原不比等は、日本一の富士山を日本の正史に載せなかったのだろうか。


謎は残る。


私は、車の窓に映る景色を眺めていると、ふと、夫に、初めて富士吉田の吉田うどんを食べに連れて行ってもらった時の事を思い出していた。


美味しくて感動したんだよな。


そうだ、今日の昼食は、富士宮で富士宮焼きそばを食べる予定だったのだ。


楽しみだ。


私と夫は、ご飯と麺、どちらかを一生食べられないとしたら、どちらを選ぶ?


悩むよね。


そんな他愛もない話しをしながら、浅間大社へとやって来た。


赤い大きな鳥居を眺めながら、さすが駿河の一ノ宮、大きいねえと言うと、この神社の祭神は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)だね。


浅間大社の主祭神が木花咲耶姫(このはなさくやひめ)になったのって実は、そこまで古い話しでもないみたいだよ。


だけど、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)って、この辺りだと、かぐや姫と同一視されてるみたいだよ、と夫が言う。


竹取物語か。


そう言えば、大学のゼミで竹取物語を学んだな。


確か、竹取物語って、あの大化の改新で成り上がった実在の貴族達がボロカスに書かれているんだよな。


かぐや姫は、反藤原氏の物語と言う事を私は知っている。


何か大事な事を見落としているような、ちくちくと胸が痛むような妙な気持ちに囚われて、私は、竹取物語のあらすじを改めて思い返していた。


かぐや姫は、月の世界で罪を犯したと言う。


恐らくその罪とは、不貞の罪だろう。


かぐや姫は、その罪の為に、月の世界から不浄なる地上へと堕とされてしまう。


地上に降りたかぐや姫は、三尺程の大きさとなり、竹の中へと宿る。


光り輝く竹の中から、竹取の翁がかぐや姫を見つけ、媼と共に大事に育てる。


竹の中から金が出て来る為、翁の夫妻の生活は豊かになった。


更に、僅か三ヶ月の間に、かぐや姫は妙齢の女性となり、その美しさに、貴族や世間の間でも評判となった。


何としてでも、かぐや姫を娶りたいと言う欲望に塗れた色好みと噂される五人の貴族に、かぐや姫は求婚される。


しかし、かぐや姫は、彼らに無理難題をふっかけて、逆に彼らの望みを一蹴してしまう。


しかし、そんなかぐや姫の噂は、帝の耳にも入ってしまい、帝も何とかかぐや姫を手に入れようとするが、この世の人ではないかぐや姫は月の世界に帰る事になる。


帝は、何としてでもかぐや姫をこの世界に留まらせようとするも、迎えに来た月の住人達を見て、兵士達は戦う気力すら失せてしまう。


帝に不老不死の仙薬を与えて、かぐや姫は遂に月の世界へと旅立ってしまった。


帝は、かぐや姫のいない世界で不老不死になっても何の意味があろうかと大いに嘆き、つきの岩笠と言う人物に命じ、その不老不死の仙薬を富士山の山頂で燃やしてしまうのだった。


士(つわもの)らを大勢連れて、不死薬を焼きに山へ登ったことから、その山をふじの山と名付けたと言う。


これが、竹取物語の概要である。


平安時代前期に成立したと言う日本最古の物語である竹取物語。


もしかして、竹取物語って、日本の正史に書かれなかった富士山を事を補足する為に書かれた物語なのではないのだろうか。


私は、稲妻に打たれたように、ある考えが思い浮かんだ。


竹取物語で最も、悪質な貴族として描かれているのが庫持皇子(くるまもちのみこ)である。


この庫持皇子(くるまもちのみこ)は嘘つきで、弱い者に威張り散らし、謀(はかりごと)が大好きで、しかも金払いが悪いと、まあ、ボロクソに書かれている。


庫持皇子(くるまもちのみこ)は、蓬莱山の珠の枝を持ち帰るように言われる。


しかし、庫持皇子(くるまもちのみこ)は、それを鍛治細工師に作らせて、かぐや姫の元に持ち帰るも、その制作代金は未払いだと、鍛治細工師達に訴えられると言う結末。


そうだ。


確か、この庫持皇子(くるまもちのみこ)こそが、車持氏を母に持つと言う藤原不比等だった筈だ。


そうか。


富士山で不老不死の薬を燃やすだとか、蓬莱の玉の枝を持ち帰れだとか、藤原不比等が富士山から消したかったものは、徐福だ。


恐らく、徐福が表に出ると不味い事があるんだ。


私は、その思い付きを、興奮して夫に話した。


夫は嬉しそうに、竹取物語の事をよく知ってるね、と言った。


しばらくしてから、夫は口を開き、竹取物語って、何かに対して、とても怒っている人が書いた物語だよね、と言った。


怒りの矛先は、五人の貴族に向いていて、調べてみれば、乙巳の変で成り上がった人ばかり。


その怒りは、なんて事をしでかしてくれたんだと言う、純粋な怒りなんだと思う。


乙巳の変は、何かとてつもなく深い闇があるよね。


でも、それが徐福の存在を隠蔽する事に繋がっているとするなら、竹取物語は、古事記、日本書紀が消した徐福を連想させる富士山の補足と言う裕ちゃんの説は、ヤバいくらい面白いよ。


天才だよ、と喜んでいた。


まあ、本気で思っているようだから、悪い気はしないが。


私達は、参拝を済ませて、湧玉池を眺めて帰った。


湧玉池から湧く水は、冷たくて大変美味しかった。


昼食は、富士宮で焼きそばを食べた。


夫が前もって美味しいお店を探してくれていたようだ。


焼きそばの上に、目玉焼きが乗った、誰が見ても絶対美味いと確信するスタイルの焼きそばが出た。


麺は少し硬めなので、吉田うどんを連想してしまった。


富士山の麓の人は、みんな硬麺が好きなのかなと思った。


私も麺は硬い方が好きだから。

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