第11話 伊勢神宮へ(^^)ノ

大山祇神(おおやまづみ)を巡るスパホテルの旅は、実に楽しかったな。


あれから私は、ユダヤ人埴輪について書いてある本を買った。


日本の人物埴輪の中には、これはどう見ても、ユダヤ人だろうと言う、ユダヤ人埴輪が出土すると言う。


その姿は、背の高い帽子を被り、長い髭、そして長いもみあげは、縦ロールだ。


お蝶夫人かよ。


しかし、すっとぼけたような、実に愛らしい表情をしているぞ。


この縦ロールのもみあげは、聖書の言葉に従って、もみあげを剃らないユダヤ人の伝統的な髪型らしい。


私は、それを見ながら、きっと日本の古代人の角子(みずら)頭と呼ばれる奇妙な髪型は、このユダヤ人の伝統的な髪型がルーツなのかも知れないなと考えていた。


夫は叔父さんの仕事を手伝ったり、締め切りに追われたりと、しばらく忙しくしていたが、臨時収入が入ったからと、出雲、伊勢、大和の旅、3泊4日を提案して来た。


どうやら、叔父さんの仕事を手伝った収入が、それなりにあるらしい。


今も、陰陽道だの日猶(にちゆ)同祖論だのと聞けば、もちろん、胡散臭いとは感じてしまうけれど、夫や叔父さんの人となりを見て、あんまり偏見を持つのも良くないな、と思い始めていた。


出雲も伊勢も、夫と出会う前に訪れた事がある。


特に縁結びのお参りに、出雲大社に行ってすぐに、夫と出会ったんだよな。


まあ、こんな変わった人だとは思わなかったけど。


そうだ、出雲のお礼参りも兼ねて、折角だから、旅行に行ってみようかな。


しかし、行くなら、豪華に一週間くらいかけて、色々と行ってみたい。


私は、旅行のコースに、飛騨と名古屋を付け加えてくれるよう、夫に言った。


私は、飛騨と名古屋がとにかく好きなのだ。


よし、仕事は早めに片付けよう。


多少残ったとしても、車の中でもノートパソコンは使えるだろうし、何とかなる。


夫は、5泊6日の日程に切り替えて、さくさくとホテルや旅館の手配をしていた


私達は、数日休みが取れるようスケジュールを調整し、朝5時過ぎにアパートを出立した。


目指すは伊勢神宮である。


ネットで調べたら、伊勢神宮は夫婦で行ってはいけないと言う噂があるらしい。


夫婦で参拝すると、何でも女神である天照大神が嫉妬するのだとか。


夫にそれを話すと、天照大神は日本人の総氏神だよ。


何で自分の子孫に嫉妬なんかするのさ、と一蹴されてしまった。


後で調べてみたら、こうした噂は、 伊勢に行く男が、風俗遊びをする為の詭弁(きべん)らしい。


まったく男ってヤツは。


さすがの平日の早朝は道も空いており、休憩を挟みながらも、四時間強で、伊勢神宮の外宮に到着した。


伊勢神宮の内宮の祭神は、ご存知の通り天照大神で、外宮は豊受大神(とようけ)である。


太陽の巫女と言う性質から、邪馬台国の卑弥呼が天照大神の状態であると言う説は根強くある。


ならば、豊受大神(とようけ)は、卑弥呼の死後に即位した男王では国が乱れた為に、僅か十三歳で女王となった台与ではないかと言う説がある。


私達は、豊受大神宮での参拝を済ませ、内宮へとやって来た。


しかし相変わらず、お伊勢さんは広いし雅(みやび)な雰囲気が漂っている。


境内の厩舎(きゅうしゃ)には、真っ白で毛並みが綺麗な馬がこちらを見ていた。


目が優しくて可愛らしい。


早い時間だから、スムーズに参拝出来たが、帰りしな、連なった観光バスが来るのを見て、良いタイミングだったなと思った。


その後、伊勢神宮にほど近い猿田彦(さるたひこ)神社を参拝した。


夫は、猿田彦大神(さるたひこ)は、天照大神がこの地にやって来る前から、この伊勢地方に鎮座していた神様だよと説明してくれた。


猿田彦大神(さるたひこ)は、天尊降臨の際、邇邇芸命(ニニギ)を天の八衢(やちまた)で待ち構えていて、先導を果たした導きの神だ。


背丈は二メートルもあり、鼻は長く異様な風貌をしていたらしい。


その際、尻や目が光り輝き、高天原(たかまがはら)と葦原中国(あしはらのなかつくに)を照らしていたと言うから、猿田彦大神(さるたひこ)は、天照大神以前の太陽神だったと、夫は語った。


預言者のモーセって、シナイ山で神から十戒の石版を授かった後、顔が輝き、人々が恐れて近づけなかったと言う描写があるんだ。


目や尻から光を放つ猿田彦大神(さるたひこ)も、異様な風貌で神々が恐れて近付けなかったと言うから、天尊降臨の際の、猿田彦大神(さるたひこ)の逸話も、もしかした、このモーセのエピソードのオマージュなのかもね、と夫が言った。


確かに、鼻が長く、赤ら顔なのは、中東のユダヤ人の特徴なのかも知れない。


この神は、もしかしたら、徐福集団の背景にあるイメージそのものなのかも知れないと、私は考えていた。


このモーセの顔が光ったと言うエピソードがあるが故に、中世のモーセの彫刻には、角が生えているものが多くあると言う。


これは、光り輝いているのヘブライ語はカーランという動詞で、用例が角のあるという意味になるからだと言う。


夫は、この表現は、当時、モーセが信仰してたのが角を象徴とする神だったからだ、と推察していた。


夫曰く、旧約聖書の民数記に、神を牛の角と表記している部分があり、これは聖書が編纂される前のヤハウェの原型となった神であると言う。


モーセの逸話に、金の子牛の偶像が存在する。


モーセがシナイ山で十戒を授かる時、40日を要したが、その期間にモーセは死んだと噂された。


不安になったイスラエルの民は、金の子牛像を作り、それを崇め、更に生贄まで捧げていた。


その後、その行為を神とモーセが知る事となり、激怒すると、モーセはレビ族に命じ、偶像崇拝に加担した者を皆殺しにしたと言う。


これは、偶像崇拝が良くないと言っているだけで、実はモーセも、この角を象徴とする神を信仰しており、だからこそ、モーセには象徴として角が生えているのだと、夫は語った。


そう言えば、記紀の登場人物に、角を象徴としている人が何人かいると、夫が話し出した。


まず、都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)と言う朝鮮半島の加羅国の王子。


名前から既に、角がある人と言っており、この人は、生贄に捧げられた牛の代償として得た白石が美しい童女と化した為、阿羅斯等は合(まぐわい)をしようとしたが、童女は日本へと逃げてしまった。


それを追って日本へとやって来たのが都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)だと言う。


都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)は、別名を天日槍(あめのひぼこ)と言って、聖母(しょうも)と称された神功皇后の先祖にあたる人物だと言う。


大山祇神(おおやまづみ)と言い、天皇家は、何でこんな角が生えた朝鮮半島の王族を、自分の血の中にいれようとしたんだろうね、と夫は笑った。


私は、その神功皇后が産んだ応神天皇も、鬼なんじゃないのと夫に聞いた。


確か、異常な出産や、予定日を過ぎて産まれた子は、鬼になると言う伝承が古くからある筈だ。


夫は、目を見開き、そうか、鬼の表現は預言者を暗示しているんだと、興奮した様子で私に言って来た。

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