第3話 叔父さんと話した(^^)ノ

夫の叔父に会うのは、結婚式以来だから、約半年ぶりだ。


それ以前にも、何度か会った事はあるが、面と向かって、話しをするのは今回が初めてかも知れない。


緊張する。


夫の父方は、神社の家系であるが、父親は公務員をしており、叔父さんが、実家の神社を継いだらしい。


神社はこじんまりとしており、境内も広くはない。


それでも、本殿は室町時代に作られた文化財なので、神社の歴史の長さが偲ばれる。


私達は、叔父の自宅兼社務所の和室に通された。


叔父さんは、チノパンに長袖のポロシャツとカジュアルな服装をしている。


叔父さんは、祈祷の依頼や特別なイベントでもない限り、普段は神主みたいな服装は着ないのだそうだ。


マイナーな神社のようで、参拝客も滅多に来ない様子だが、それでも、叔父さん夫婦が普通に生活出来ているのは、地元にあるいくつかの無人の神社の宮司を引き受けているかららしい。


品の良い茶碗のお茶に目線を合わせて、私と夫は、叔父さんと向かい合って座った。


隣の夫は、あぐらをかいて、くつろいだ様子だが、私はそうはいかない。


しかし黙ってる訳にもいかない。


私は、昨日の夜起こった事の顛末を、話し始めた。


叔父さんは、私の話の一部始終を頷きながら聞き終わると、私を見ているような、別の何かを見てるような目をしながら、なるほど、道教の仙人か。


御室山には、多くの渡来人が眠っているからねと、そう言いながら、夫の方をチラっと見た。


夫はしばらく考えた後、元々、山梨の巨麻(こま)郡は、朝鮮半島の高句麗遺民が遷置(せんち)された地域みたいだからね。


高句麗って、七世紀後半に滅亡するんだけど、王族だとか、優秀な技能を持った職人は、大挙して、この日本に亡命を果たしたんだ。


甲府盆地周辺だと、勝沼の等々力(とどろき)と、山梨市の栗原(くりはら)が、その巨麻(こま)郡の飛び地だったみたい。


なので、東山梨は等々力(とどろき)と栗原(くりはら)を挟んだ場所に位置する石森山を中心にして、渡来人が移り住んだと考えられてるみたいだよ。


ああ、言われてみれば、山梨岡神社って、石森山もそうか。


山梨岡神社って、県内に二つあるんだよね。


一つが昨日行った、御室山の麓にある岡神社で、もう一つが山梨市の石森山にあるんだ。


石森山って、巨石が積み重なった磐座(いわくら)って言う古代の祭祀場なんだけど、ダイダラボッチが作ったって言う伝説があったり、日本武尊(やまとたける)が立ち寄ったって言う伝説があったりで、なかなか面白い所だよ。


ここで叔父さんが、山梨岡神社の主祭神は山の神の大山祇神(おおやまづみ)なんだが、裕さんは、大山祇(おおやまづみ)を知っているかな?と私に尋ねた。


私は、聞いた事はあるけど、それ程詳しくないと言ったが、それよりも自分の名前を呼ばれた事に少しドキリとした。


叔父さんは、大山祇神(おおやまづみ)は、天孫の邇邇芸命(ににぎ)と結婚した木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の父神であり、皇室の先祖神である事を、丁寧に説明した。


続けて、大山祇神(おおやまづみ)は、邇邇芸命(ににぎ)に対し、自分の娘である美しい木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と、醜い磐長姫(いわながひめ)の両方を差し出して、娶るようにと促した。


しかし、邇邇芸命(ににぎ)は、美しい木花咲耶姫だけを妻に迎えて、磐長姫(いわながひめ)を、大山祇神(おおやまづみ)の元へと送り返してしまう。


大山祇(おおやまづみ)は嘆き、磐長姫(いわながひめ)を差し上げたのは、天孫の子孫が岩のように永遠のものとなるように、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を差し上げたのは、天孫の子孫が花のように繁栄するようにと誓約を立てたからである。


叔父さんは、磐長姫(いわながひめ)を娶らなかった天孫の子孫の寿命は、花のように短くなるだろうと告げ、その為、人類の寿命は短くなったと言うエピソードを話してくれた。


最後に、大山祇神(おおやまづみ)は、皇室の先祖神ではあるが、陰陽を統合する事で、人の寿命を左右出来る性質を持っている事が分かる。


そうした事から、大山祇神(おおやまづみ)は、元々、道教神だったのではないか、と叔父さんは言った。


なるほど、ここで道教が出て来るのか。


とは言っても、私は道教と言うものを知らない。


叔父さんは、本棚から一冊の本を取り出し、内容を読み上げた。


大山祇神(おおやまづみ)は、三島神社や大山祇神社の主祭神になるが、宮中の神楽歌の中に「三島木綿肩にとりかけ、われ韓神のからをぎせむや」と言う、韓神を歌う歌がある。


その中の「三島木綿肩にとりかけ、われ韓神のからをぎせむや」の、からをぎとは、韓招ぎの意味になる。


韓招ぎする舞で、三島木綿を肩にと歌われるのは三島の神様が渡来の神であったことを示している。


伊予の風土記には、この神様は百済からやって来たとある事から、山を象徴とする大山祇命は、海を象徴とする大綿津見神と対を成す渡来神である。


と、叔父さんは本を見ながら言った。


そして、ここからなら、伊勢原の大山阿夫利(おおやまあふり)神社なら、それ程遠くないから、参拝がてら観光にでも行ってみたらどうか、と提案して来た。


なるほど、参考にしてみるよ。


夫が頭を下げて、私もそれに続いた。


社務所を出る際に、叔父さんに言われた、裕さんの夢に現れた十二人の仙人だけど、あれは、他の誰でもない、仙人の形で登場した裕さんそのものだよ。


道教の目的は、自分自身を統合して行く事だよ。


裕さんは、統合しなければならない自分が、十二人もいるのだから、これからが楽しみだと言ったのを思い返していた。

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