第2話 仙人に出会った(^^)ノ
引っ越しの挨拶にと、県内の神社にでも参拝に行こうと、夫が私を連れ出したのだ。
向かった先は、笛吹市に鎮座する山梨岡神社。
この神社は、背後にある御室山を御神体とする非常に古い神社で、山梨県の県名の由来にもなった、由緒正しい神社なのだそう。
御室山は神社の正面から見ると綺麗な円錐状の山で、神社の中腹には巨大な鳥居の形に木が伐採されており、神が鎮まる神奈備(かんなび)として、ただならぬ雰囲気を醸し出している。
私が何だか、圧迫感が凄い山だねと言うと、夫は、山梨って地名は、応神天皇の妃だったと言う、物部山無媛(もののべのやまなしひめ)から取られたんじゃないかって言う説があるよ。
全国には、いくつか山梨って地名があるんだけど、大概は、物部氏の東征の痕跡と言うよ。
もしかしたら、自らの一族の伝説的な姫の名を、当地の中心地に名付け、東征の成功を祈念したのかも知れないね。
夫は、そんな事を言っていた。
夫は、趣味なのか、それとも叔父さんに仕込まれたのか、古代史に異常とも言える程精通している。
私は、神職のお手伝いは、アルバイトとは言え、きっと、そんな知識が役に立つ事もあるんだろうなと思った。
神社前の小さな駐車場に車を停め、私が境内に降りると、丁度鶯が綺麗な声で囀(さえず)っていた。
私は、春の鶯(うぐいす)の囀(さえずり)りに耳を傾けながら、本殿に手を合わせた。
しばらくして気がつくと、夫は、犬の散歩中だった近所の方と思しき初老の男性と、談笑している。
歳の頃は、七十を超える手前か。
白髪を短く刈り込んだ、品の良い雰囲気のする男性だった。
私は、そちらの方に向かうと、夫が嬉しそうに、この山、天狗がいるんだって、と目をキラキラさせながら、私に説明をした。
その、おじさんが言うに、数年前、犬の散歩でこの山に入ったら、何でも一晩中、山中を彷徨う事になり、麓まで帰って来れたのが明け方の四時過ぎだったそうで、家族からは、散歩から帰って来ないと大騒ぎになり、あと少し帰って来るのが遅れたら、消防団の出勤要請がかかる所で肝を冷やした、と言っていた。
初老の男性は、自分が知っているだけでも、この山で惑わされたと言う人は、何人もいる、と言った。
この山で迷ったのは自分だけではないと言う主張なのか、どうなのか。
しかし、こんな里山で迷って帰って来れないなんて、ちょっと信じ難い。
しかし、私は、山と街は、方向感覚や土地勘も違ってくるのだろうから、山慣れしていても迷う事ぐらいあるんだろうな、と思う事にした。
初老の男性は、去り際に、この地には「山なしや、みむの山の鳴る時は、秋山の池は血しほなるらん」と言う里歌がある事を、教えてくれた。
この話しが慣れてるのか、この日本に災いある時は、御室山は鳴動し、山梨県神社の池は、血の色に染まり、有事を里の者に伝えるのだと、流暢におじさんは、語った。
私は、その不吉な里歌に、少しだけ背筋に寒いものを感じていたが、笑顔でおじさんを見送った。
毛並みの良い芝犬は、こっちをチラチラと振り返ると、元気に尻尾を振っていたが、私は夫にだけ聞こえるように、何だか不思議な話だったね、と言った。
夫は、そうだねと短く答え、この神社には夔神(きのかみ)と言う、一本足の妖怪のような神が祀られてるんだよ、と付け加えた。
それを聞いた私は、この山が放つ圧迫感の正体は、妖気なのではないかと確信に近いものを感じていた。
そして、その夜、私は忘れられない不思議な体験をする事になる。
洗い物を終え、布団に入ると、妊娠中のつかれからか、すぐに眠くなって来た。
夫は、いつも朝が早いので、遅くとも10時には床に入っている。
横で眠る夫を感じながら、私は、耳元に走るノイズのような音を聞いた。
私は、思春期に何度か体験した、金縛りなのかなと思って意識を強く持とうとした。
当時の金縛りは、受験期の緊張や疲れから来るもので、身体は眠っているのに、頭だけが起きていると言う、脳と身体がズレた状態だった。
なので、意識を強く持ちさえすれば、いずれ身体は脳の命令を聞く事になるのだ。
しかし、この日は違った。
いくら意識を強く持とうとしても、耳鳴りのようなノイズは鳴り止まず、その内、ブォーンブォーンと、ラジオの周波数を調整しているかのように、その異音は、頭の中で激しく響いたのだった。
今まで体験した事のない、異常な状態に、私は恐怖を覚えた。
そして、ズルっと、私は、何処かに抜け出すと、中国の山水画のような世界にいた。
今、思い返すと、切り立った山々と渓谷の感じが、以前、夫に連れて行って貰った甲府市の北部にある昇仙峡と言う渓谷に似ていたような気がする。
しかし、私は、あまりの事に、パニックになっていた。
すると、いつの間にか、私は、雲の上に乗った、12人の仙人に取り囲まれていた。
一人だけ女性が混じっていたと思う。
恐れ慄いている私に、仙人達は、こう言った。
我々は、この地に道教を伝えた者である。
この地に、叡智を隠してあるので、お前は、行って、それを感得して来い。
確かにそう言ったのだ。
そこで私は目が覚めた。
そのあまりの生々しい体験に、私は、横で気持ち良さげに眠る夫の肩を揺らし、ねえ、私、凄い体験しちゃった、と興奮気味に話していた。
夫は、私の尋常じゃない様子に、直ぐに姿勢を正し、話を聞いてくれた。
ひとしきり話が終わると、夫は明日の午前中に、叔父さんの所に行ってみようと提案してくれた。
私は、なるべく大ごとにしたくなかったのだが、夫が、叔父さんは、そっちの専門だから話だけでも聞く方が良いよとの言葉に、素直に従う事にした。
夫に全てを話すと、気持ちは大分落ち着きを取り戻しており、夫の低くて響く声や、動じない態度に、この人はカウンセラー向きかも知れないなと、そんな事を思った。
眠るのは少し怖かったが、横になって、目を瞑ると、気が付いたら、朝になっていた。
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