虐げるドリトル

北見崇史

虐げるドリトル

 大変な嵐だった。

 その帆船は巨大な波の舌に乗せられたまま、ヘラヘラと海波の間をさ迷っていた。マストを遥かに超える高さの波が前から後ろか、横から斜めから覆いかぶさるようにうねり、柔らかくも硬質な張り手をバシバシとぶつけていた。 

 船上では、船員たちがあっちこっちに飛ばされながらも必死の操艦が続いていた。マストの帆はすべて降ろされていたが、強烈な風と波で船体がギリギリと軋んでいる。男たちの怒号の中に悲鳴が混じり、時として骨の折れる音や血反吐も吐き出され、とても切迫した状況であった。

 ドリトルは客としてこの帆船に乗っていた。

 船旅は何度か経験しているが、これほどの大嵐は初めてで、同室になったロシア人の毛皮商人と共に船室でひっくりかえっていた。

 三半規管はとうの昔に崩壊し、食べたものどころか胃液も吐き出し尽くしてしまい、次に何を吐いたらよいのか途方に暮れていた。鬼のような船酔いでヤケを起こしたロシア人は、早く死にたいとばかりにウオッカを死ぬほどあおり、酒臭いゲロをしこたま吐き出しながら、同室の男のもらい反吐を誘い出していた。 


 ところでドリトルは、人類で唯一の超常的な能力を有していた。  

 それは人間以外の生き物の声をきくことができ、しかもコミュニケーションまで出来てしまうというものだ。さらに驚嘆すべきは、彼らの思念までも感じることができてしまう。およそ象からミミズのような虫けらまで、生き物であれば、その魂の波動を受け入れることが可能なのである。

 もちろん毎日生き物の声が聞こえてくる、さらにその思念まで受け入れてしまっては、ドリトル自身が疲弊しきってしまい、精神が錯乱してしまう。だから、普段の生活では意識の扉を閉じて、外部から無分別に聞こえている声を遮っていた。そうしないと、夜はコオロギやフクロウの囁きがうるさく、野ネズミどもの極限の絶叫で叩き起こされてしまうからだ。

 子どものころからの鍛錬の甲斐あってコントロールは自由自在になり、話したい生き物だけを選択的に抽出できる能力を身に付けていた。無秩序に響いてくる思念についても、無意識のうちにシャットアウトできるようになっていた。


 大嵐はいっこうに止むことなく、船上ではズブ濡れの船員たちによる懸命の操船が続いていた。しかし、徒労とも思える労働に精魂が尽き果てた彼らは、もうだめかもしれないと、死神でも見たかのような顔になっていた。ロシア人は、ロシア語で卑猥な言葉を叫びながらウオッカをあおり、相変わらずゲロを吐いていた。

 ドリトルは、大揺れとロシア人のゲロによる激しい嘔吐感と戦っていたが、さらに彼を悩ます敵が、彼の心の中に直接的に侵入してきた。

{ブヒイイ、な、な、なんでこんなに気持ちが悪いの。オラア、なんも悪いことしてないのに、っとととと。すべるブヒー。ブヒ、ブヒヒヒヒ}

 豚の嘆きであった。

 航海の食料として船には豚や鶏が生きたまま持ち込まれ、時には海ガメなども捕獲され飼われている。普段なら、それらの声をきかないように耳を塞ぎ、精神の入り口にしっかりとシャッターを下ろしておくドリトルなのだが、激烈な船酔いで疲弊してしまい、その余裕がなかった。

 豚はブヒブヒ叫ぶだけではなく、苦しみの思念まで容赦なく飛ばしてくる。なんとか心の扉を閉ざしてはいるが、わずかなすき間にも強引に入り込んでくるのだった。

 以前、船上で豚が屠殺されようとしているまさにその時、ドリトルは、不覚にも居眠りをしていたことがあった。夢の中で穢れなき子羊とたわむれていると、突然、斧で頭をかち割られた豚の断末魔の叫喚が飛び込んできた。顔中血まみれの豚が、悲痛な叫びを発しながら彼の頭の中を駆けぬけた。

 跳び起きたドリトルは、気がふれた者のように走り出した。ワーワー喚きながら直進し、危うく船の縁から海面に落ちそうになったところを船員に抑えられて、なんとか溺死せずにすんだのだった。

{ぶひいいい気持ち悪いでがんすー、吐きそう、オエエエー、オエエエーエー}

 大揺れは豚の平衡感覚をズッタズタに引き裂いている。具合が相当悪そうだった。ナイフのように鋭い嗚咽を吐き出し、さらに吐しゃ物を床にぶちまけながらそれを食っていた。基本的に獣であるので、死に際でも己の欲望には忠実だった。

 同室者の嘔吐には耐えれたドリトルであったが、この船酔い豚の思念にはやられてしまった。嗅覚鋭い豚が、自らが吐き出したもののニオイをブヒブヒと嗅いでいた。彼の嗅覚は直ちに思念に変換されて、ドリトルの胃袋をギュッと掴んだ。

 同室者が嘔吐しながら小便がしたいと、その場で空になった酒瓶の中に放尿し始めた。もちろん船は大揺れなので、陰茎をつまむ彼の手元は大暴れして、ウオッカ臭い小便を方々にぶちまけた。

 バリバリと不気味な音が響いたと思うと、潮のニオイがどっと押し寄せた。ついに船体が破損し、そこから海水が流れ込んできた。

{ブヒイイイ、ぶっごぶご}

 溺れる豚の思念が飛び込んできたと同時に、海水が押し寄せてきた。したたか海水を飲んでしまったドリトルは、小便の味がしたような気がして不快だった。酔っぱらいに文句の一つでも言おうおとしたが、その時はすでに船が木っ端みじんになって、彼は荒れ狂う海へと放り出されていた。

 大波のてっぺんから波底まで一気に落とされた。まるでヒステリーをおこした竜の背中にいるようだった。

 海水をいやというほど飲み、その倍の量を吐いたような気がしていた。溺れながらも、船の船員やら家畜やらの悲鳴や断末魔が、内側の大波となってドリトルの心を蝕んだ。どれもが苦痛に満ち満ちており、あらゆる後悔と懺悔と嘆きが色濃く混ざり合っていた。ドリトルは外側からも内側からも大概に溺れてしまい、そのうち気を失ってしまった。



 頭の中に思念が直接的に侵入してきた。

 また動物たちの声だと気づいたドリトルは、聞きたくないので心の扉を閉めようとしたが、できなかった。荒波にもまれすぎた三半規管および神経が暴走して、彼の遮断スイッチが開きっぱなしになってしまった。

{おいおい、死骸だぞ。ごちそうだ}

{うん、ごちそうだ}

{肉肉、うまうま}

{おれ、目玉食う}

 物騒なささやきだった。どうやら自分のことが話題になっているのだと悟ったドリトルは、ハッとして起き上がった。

 彼は岩礁の上にいた。いったいなぜこのような場所に横たわっているのか、瞬間的にパニックとなったが、徐々に落ち着きを取り戻した。大嵐で船が難破し、偶然にも流れ着いたのだと理解することができた。

 そこは絶海の孤島だった。ごつごつとした岩だらけで樹木のたぐいはない。平らな地面もなく、靴を履いていなければ、鋭く尖った岩の先端で足の裏を切ってしまいそうだ。幸い、ドリトルの両足にはしっかりと靴が結ばれていた。 

ドリトルは、とある岩礁に流れ着いていた。あの大嵐で船は粉々に壊されて海の藻屑と消えたのだ。ロシア人や船員や、ほかの乗客も大波に呑まれて海底へと沈んでしまった。豚やネズミ、ほかの小動物も同じ運命をたどった。助かったのは、この岩礁に流れ着いたドリトルだけだった。

 さっきから思念を送ってくるのは、岩場を住処にしている小さな磯ガニだった。彼らは魚の死骸や虫などを常食としている。哺乳類の腐りかけの死体なども大好物であり、ドリトルをアザラシの死体かなにかと思っていた。

{なんだよ、生きてるじゃないか}

{あれってなんだ。はじめて見た}

{どうせ、もうすぐ死ぬから待ってようよ}

 磯ガニたちは、ドリトルを食い物であるとみなしているようだ。

「おまえら、うるさいぞ。あっちいけ」

 そばにあった礫を投げつけると、うるさいやつらがサッと岩陰に隠れた。助かったのは幸運だが、場所が芳しくなかった。ドリトルはあらためて周囲を見回した。

「なんか、あるな」

 船の残骸らしきものがいくつか、浅瀬に漂っていた。さっそくそれらを物色する。

水が半分ほど入った瓶を見つけた。海に沈むこともガラスが割れることもなく漂着したようだ。ほかにも真水が入った瓶が数本浮いており。すべてを回収することができた。他にも役立つ物があるのではないかと探し続けたが、大半が船体の破片であって、薪以外には使えないものばかりだった。

 喉の渇きがおさまったので、ドリトルは一息つくことができた。念のためほかに生存者がいないか探してみたが、皆無だった。生きていても死体でも、流れ着いたのは彼だけなのだ。

 その岩礁島は十分も歩けば周囲をぐるりと回れてしまうくらい狭かった。中央部分が小高くなっていて、草のようなものがちょぼちょぼと生えていた。岩礁といえども、陽光は絶え間なく照りつけていた。濡れた衣服もすぐに乾いてしまい、身体を冷やす心配はなさそうだが、かといって、家もテントもなければ夜は冷えてしまう。

 ドリトルの腰に巻いていたポーチにマッチがあった。濡れないように、人差し指ほどの小瓶に入れていたのが役に立った。乾燥した海藻類を集めマッチを擦ると、火はあっけなく点いた。それを大きな木へと移して焚火とした。揺らめく火を見つめながら、ドリトルはしばし、ボーっとしていた。

「腹が減ったな」

 なんとか命が助かったので安心していたら、急に腹が減ってきた。かといって、ここは岩だらけでロクな植物も生えていないし、家畜がいるわけでもない。波打ち際に海藻があったので、とりあえず食べてみたが、ゴムのような食感で、とても食べれたものではなかった。

「これは食えんな」

 その海藻を投げ捨てて、なにか腹の足しになるものはないか、もう一度探すために立ち上がろうとして、岩に手をついた時だった。

{うぎゃあ」

 突如、苦痛にまみれた思念がドリトルの中に入ってきた。手に何かの手ごたえがあったので岩場から離してみると、さっきの磯ガニが一匹、つぶれかけていた。甲羅にヒビが入り、足が二本ほどもげていた。

{ぎゃあ、お、おれの外骨格が割れてるう。って、おんひゃあ、なんだか足が痛いと思ったら、二本ももげてるやないか。ど、どうしよう、おれ死んじゃうよ。おれの汁がダダ洩れで死んじゃうって}

 ドリトルの手のひらで、潰されかけた磯ガニはアタフタしていた。右に左に行き来しながら、しまいには泡を噴き出していた。

{ヤバいよう。おれ、ヤバいって。このまま海に入ったら、潮水がめっさ沁みるやん}

 絶望の淵でもがく小さなカニをしばし眺めていて、ドリトルはふと思った。

「これ、食えるんじゃね」

{えっ}

 なにせ空腹でたまらない。毒のないものであるなら、なんでも食べたい心境なのだ。

{え、おま、なに言ってんの。バカじゃないの}

 思念は双方向となっている。カニの考えていることも、ドリトルが考えていることも、お互いに知ることとなる。

 小さなカニは狼狽を隠せなかった。ただでさえ瀕死の重症なのに、その原因をつくったものが食おうというのである。冗談ではないとの思いだ。

「生はちょっとキツいか。そうだ、焚火で焼いたらどうだ」

 ドリトルの算段としては、まずは鋭い小枝を肛門から突き刺して、それを生きたまま焚火にあてて、焼きカニにしようというのである。

{ちょちょちょちょ、それはない、それはないなあ。だって、そんなの残酷だろう。すんごいホラーすぎて、夢に出てくるぞ。だいいち、オラっちを食べても、たいして美味くないし、腹の足しにもならないって。それにさあ、カニ食うと、アレルギーになっちゃうよ。そうだ、あんたきっとカニアレルギーだよ。体中にブツブツできて、死ぬほど痒いさ}

 ドリトルは、ちっぽけなカニごときの思念を気にしないことにした。

「どうれ」と言って、その磯ガニをつまんだ。そして、お尻のあたりに遠慮なく小枝を突き立てた。

{おいおいおいおい、やめろやめろ。おれのアナルになに突っ込むねん。そんなことしたら、ただでさえ開き気味のアナルが、ギャアアアー」

 磯ガニの尻に小枝が突き刺さった。焼いている途中で外れないように、しっかりとねじ込む必要があった。

{ぎゅおおおおお、ぐおおおおおお」

 尻の穴を蹂躙された小さな甲殻類は、極限の思念をまき散らしていた。

{いでええええ、痛ええええ。尻の穴がー、いでええええ」

 頃合いまで差し込むと、先端にカニが突き刺さった枝を焚火にかざした。

{ぎゃおおおお、アぢいいいいい、や、ヤケドするう}

 肛門の激痛を忘れさせるほどの灼熱だった。カニにとっては地獄の業火だが、腹をすかせた人間にとっては、ジュージューとじつに美味しそうであった。

{呪ってやるう、末代まで呪ってやる}と最後の思念を飛ばして、カニが香ばしく焼け死んだ。

 そろそろ焼けただろうと、とにかく腹が減っていたドリトルはかぶりついた。

「あちち」

 少し噛んだだけで、カニのうま味が詰まった出汁が口の中一杯に広がった。

「うんめえ」

 美味であった。熱いカニ汁が出ていてるそれに、ふーふーと息を吹きかけながら、一気に口の中に放り込んだ。固い骨格をバリバリとかみ砕き、ごくりと喉を鳴らして呑み込んだ。

「殻が固いが、身はうまいな」

 小さなカニ一匹で、大人の食欲が満足するわけはない。とくにいまのドリトルは、荒れ狂う海を無我夢中で泳ぎ、体力を消耗しきっていた。もっともっと食べなければならない。

「そうだ、さっきその辺にたくさんいたな」

 あんなに蠢いていた磯ガニは、まったく姿が見えなくなっていた。ドリトルが岩のすき間を探しているいると、カニたちの思念が伝わってきた。

{あいつがおれたちを探してるぞ}

{冗談じゃない。尻の穴に木の棒突っ込まれるって、どんな無理ゲーだっての}

{なんつう、凶悪なシリアルキラーなんだ}

{逃げろ逃げろ、ぜったいに見つかるんじゃないぞ}

 磯ガニたちは結託して身を隠していた。仲間の惨劇を目の前で見たのだから、当然の防衛行動である。

「ちっ、逃げやがったか」

 岩の奥深くもぐりこんだようで、カニたちの姿は見えなかった。木の枝でそれらしい裂け目を突くが、{ふん、そんなんで引っ張りだせるわけねえだろう。バカが見るー、尻の穴ー}とバカにされる始末だ。

「くそう。たかがカニの分際でナメやがって」

 憤慨したドリトルは、足元にあったスイカほどの岩を持ち上げて、カニが潜んでいそうな場所に向かって投げおろした。

{ひいい}

{な、なんだ。アルマゲドンかっ}

 衝撃は大概であったが、磯ガニたちが出てくることはなかった。

「お、なんだこれは」

 カニを追い出すことはできなかったが、叩きつけた岩に亀裂が入り、そこに何かが蠢いているのを発見した。

{おいおい、なんだよ、いまのは。つか、眩しっ」

 それは岩イソメである。海辺に生息しているミミズのような虫だ。普段は岩の裂け目にもぐりこんで身を隠している。

{あ、こら、おっさん。俺様に触るなよ。汚い手で触るなって。あんまり力を入れるとちぎれるんだって}

「なんだこの虫は」

 ビロ~ンと細長いそれをつまんで、ドリトルはしげしげと見ていた。

「これ、美味いのかな」

 空腹だったが、さすがに岩イソメを食うのは躊躇われた。

{おい、おっさん。あんたは知らないようだけど、俺様は毒持ってるんだって。あんたが食うと、腹壊して下痢三千回して死ぬからな。諦めなあ}

 岩イソメに毒があるのかどうかドリトルは知らなかったが、毒うんぬんよりも、その気色の悪い虫を口の中に入れる勇気がわかなかった。

「この虫、イライラするぐらい気持ち悪いな」

{おっさんだって、たいがいにキモいわ}

 ウネウネと不気味な動きをしている岩イソメの思念が、ドリトルに突き刺さる。

「そうだ、これをエサにして魚を釣ればいいんだ」

 画期的なアイデアだった。岩イソメは魚のエサとしては重要で、高値で取引されている。なんでも釣れる万能エサとして重宝される存在なのだ。

 ドリトルのポーチには、釣り糸と釣り針が入っていた。釣り自体は好きでも嫌いでもないが、よく誘われるので、いちおう用意はしているのだ。

 さっそく、釣り針に糸を縛ってフィッシングの開始である。竿はその辺に落ちていた細長い流木である。岩イソメをつまみあげ目の前に掲げると、どこから針を刺したらいいのか考えていた。

{いやいやいや、おっさん、なにするんだよ。てめえ、まさかその針で俺様をぶっ刺す気じゃねえだろうな。そんな残酷な仕打ち、悪魔だってしないぞ}

 ドリトルの頭の中には、岩イソメの頭部から釣り針をぶっ刺して、その細長い内部へねじり込む光景が展開されていた。お互いの思念は双方向なので、当然岩イソメもそのことを知っていた。

 岩イソメに情が移らないうちに、早めに処置しなければならない。ドリトルは、その虫の頭部に鋭い釣り針を突き立てた。

{わあわあわ、おまえ、ちょっと待てーや。本気か、本気なのか。アホう、バカ、マヌケ、包茎。いいか、自分のやろうとしている悪逆非道な所業をよ~く考えてみろ。そんなことをして、お天道様に申し訳が立つのか。一介の虫けらごときを嗜虐して、おまえの矜持が満たされるのかって話だ}

 うるさいとばかりに、釣り針が突き刺さった。ぷしゅーっと、得も言われぬ臭いの体液が噴き出して、ドリトルの指先を汚した。

「う、臭いなあ」

 いわゆる虫系の体液は、人にとって悪臭となる場合が多い。指先のニオイを嗅いで顔をしかめた。

{ぎょおおおおおおおおーーーーー}

 凄まじい激痛の思念が飛び込んできた。一般的にミミズ的な虫は、身体を切断されても生きていられるほど生命力が強靭だ。この岩イソメも、釣り針を刺されたぐらいでは死ねなかった。

{ぎゅぐぎょぎゅおおおおお}

 釣り針自体の太さは大したことないが、なにせ相手は小さな虫けらである。人で例えるなら、先端の尖った金属バットを、口から腹の中へと捩じり込まれているようなものなのだ。

「途中で針が抜けないように、しっかりと通さないとな。とりあえず、エサはこれしかないし」

 中途半端に通していると、海中で抜けてしまうことがある。釣り針の長さの分まで、しっかりと入れなければならない。

{ぎょおおおお、んっぐっ、んっぐ}

 湾曲した釣り針はどんどん岩イソメの身体に侵入している。

 柔らかで不可侵な部分を硬質の鋼が蹂躙していくが、岩イソメが大仰に暴れているので、内臓をつき通していた釣り針が何度か戻ってしまった。容易に抜けてしまわないように、針には進行方向とは逆側にカエシがついているので、釣り針が戻ると中の内臓類も逆側に引き千切られてしまう。

{おぎょおおおおおおおーー}

 その苦痛は想像を絶する。へたに強靭な生命力があるだけに、どんなに熾烈な痛みを受けても死ねないのだ。

「まあ、だいたいこんなもんか」

 岩イソメ自体は十数センチの長さがあるので、その長い身体のすべてが釣り針に収まるわけではない。しぜん、残りの部分はビロ~ンとぶら下がることになった。

「せいやっ」

 ドリトルは、仕掛けを海へと投げ入れた。岩場のすぐ前に深い水深がある。嵐の後の静けさで、波も穏やかだった。

 さすがに水中に入ってからは、岩イソメの思念は途切れてしまった。死んでしまったと考えたドリトルは気楽になった。

 あの絶叫は耳障りで、イラつくからだ。付近のカニどもが何ごとかを囁き合っているが、それらは後で捕まえてカニ汁にしてやろうと考えていた。また、そういう光景を心の中に思い浮かべるだけで、あたりは沈黙するのだった。

 突如、グググっと竿先が引き込まれた。魚がかかったかと思い、すぐさま引き上げた。

 しかし、獲物の姿はなかった。岩イソメが半分ほどになっている。食いつくことは食いついたが、残念ながら針にはかからなかったようだ。

 ドリトルは、一度釣り針を自分のもとへと引き寄せた。エサがまだ使えるかどうか、確認するためだ。

{祟ってやるー。祟って祟って、たたって、タタタタタ、祟りきってやるー}

 半分になっても、岩イソメはしぶとく生き続けていた。臭い体液をたらしながら、ドリトルへ激しい怨嗟を放射していた。

「うん、これならまだいけそうだ」

 岩イソメの体長は短くなってしまったが、まだまだ十分にアピールできるレベルだ。今度こそと願って、仕掛けを海へと投げ入れた。

「おっ、入れた途端、すぐにきたー」

 仕掛けが沈むか沈まないかのタイミングで、魚が針にかかったようだ。即席の竿先が海の方へと引きずり込まれる。ドリトルは木の枝が折れないように慎重に引き上げ、四十センチほどのメジナを釣り上げた。

{きゃあああああ、な、なんのよ、ここは。っつか、苦し、苦しいって。息ができないでしょう。なしてあたしはここにいるのよ}

 魚は、岩の上でバタバタ暴れながらも、困惑とパニックの思念をまき散らしていた。磯場の岩でバタついていので、鱗が少しばかり剥がれ落ちていた。すぐにドリトルが掴んだ。

{あ、ちょうどよかった。あんた、早くあたしを海の中に戻してよ。これは何かの手違いなんだから。これから卵を産まなきゃならないのに、こんな息苦しいところで油を売ってるヒマないんだよ、つか、口が痛いんだけど}

 この魚が卵持ちと知って、ドリトルの食欲がさらに刺激された。彼は、魚卵がことのほか好物である。

 腰のポーチからナイフを取り出した。焚火はまだ燃え続けている。鱗をこそげ落とし、腹を掻っ捌いて内臓をとったら、身と魚卵を焼いて食おうとの算段が出来上がった。

{ファッ。ちょっとあんた、なに考えてるのよ。あたしを食おうと思ってるのね。なんて鬼畜なのよ。あたしは妊婦なのよ。お腹にたくさんの、それはもうたくさんの赤ちゃんがいるの。この子たちの母親になるのが、神様があたしに与えた運命・・・}

 ナイフの刃が雌メジナの腹部に突き刺さった。

{あっひーーーーーーー}

 突然の激痛に、魚の思念がさく裂した。

 魚卵が大好きなドリトルであったが、魚をさばいた経験はなかった。通常ならば、エラを切るなり頭部を落とすなりして、絶命させてから処々の作業をするのだが、生きているうちに内臓をとり出すという暴挙にでてしまった。

{ぎゃばぎょぼぐぼぎゃばふじこあいらぶゆう}

 生きたまま腹を裂かれ、内臓とわが子どもたちを引き抜かれている。しかも、慣れていない分だけドリトルの手際は悪く、無駄に長い時間を要していた。幸いにも、メジナは岩イソメとは違い、生命力にしぶとさはなかった。はらわたを引き千切られた瞬間に、絶命することができた。

{おおー、これはごちそうやんけ。すんげえ生臭えごちそうがあるでえ。ぐへへへへ}

 上空を旋回しているトウゾクカモメの思念が落ちてきた。ドリトルが釣り上げた魚を盗賊しようと、狙っていた。

{いただきマンモス~}とニヤつきながら、その海鳥は急降下してきた。他者のスキをついて食べ物をかっさらうのは、この鳥の得意技である。

「天誅ーっ」

 だがしかし、その思念は察知されていた。すぐ近くまで降下してきたところに、ドリトルの手刀がさく裂した。

{どべんじゃっ}

 急降下中で勢いのついたところに手刀をかまされて、トウゾクカモメは岩に叩きつけられてしまった。片方の翼が折れて、くちばしも先端部分が砕けてささくれている。

{くえ~、しくじったー}

 鳥は羽ばたいて逃げようとバサバサやるが、全身を砕かれた痛みでほとんど動けていなかった。

「鳥の丸焼きもいいな」

 本来なら七面鳥なのだがと思いつつ、まあ、海鳥も潮の香りがして美味いはずだと確信していた。

{え、な、なに。なんのこと}

 さばいた魚を焚火にあてて、ドリトルは重症の海鳥の首根っこを掴んだ。

{ぎええええええ、ぐ、ぐるじい。や、やめてー」

 ドリトルは魚だけでははなく、鳥を〆た経験もない。

「ええーっと、たしか羽を毟るんだっけ」

 その前に鳥を殺さなければならないのだが、食欲の方が先に立った。どちらかというと、魚よりも肉食派である。

{まてまて、オイラはケガ人なんだぞう。このまま放っておいたら、傷口からばい菌が入って敗血症になるって。鳥インフルエンザも流行ってるし、オイラを食ってる場合じゃないって}

 ドリトルは、鳥の首根っこを掴んだまま毛を毟り始めた。なんら手加減することなく、ブチッブチッっと、親の仇のような力の入れようだった。

{痛っ、痛っ、やめ、やめろ。おまえ、なにしてるのかわかってるのかっ。想像してごらん、自分のチ〇コの毛が一本ずづ抜かれている姿を。想像してごらん、長く伸びた尻毛が一本ずつ引き抜かれる痛さを}

 羽を毟りとっていたが、なんだか面倒くさくなったので、ドリトルは磯ガニと同じようなやり方に変更した。

{ぐえええええ}

 海鳥の肛門にやや太めの木の枝を突っ込んで、グリグリと突っ込んだ。あまりの地獄的な苦痛に折れた羽をバタバタとやるが、すぐに灼熱がやってきた。

{あぢぢぢぢぢぢぢぢいーっ}

 さっきの魚は焚火の遠火に当てられていたが、海鳥の場合はより深く直接的だった。炎の最深部、紫の火炎が揺らめく最も熱い場所に、棒に突き刺された海鳥は頭から突進した。

 苦しさのあまり羽をばたつかせると、かえってそれが空気を送ることとなり、ふいごの原理で火炎がたくましく育つこととなった。海鳥の頭部は香ばしく焼かれ、絶命する数秒前に大量の怨恨を撒き散らした。

{殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す、・・・}

 ドリトルの調理の仕方がマズかったのか、海鳥は中途半端な焼き具合になってしまった。表面は真っ黒に焦げて、中身は半分生である。それでも腹が減っていたドリトルは、かまわず食べることにした。

 焦げの部分が相当にざらついたが、剥がれやすい皮を取り除くと、食べられそうな肉がホッカホカの湯気を出していた。

「いただきマンモス~」と言って、ドリトルはかぶりついた。

 生臭さとケモノの汗を凝縮したような味がした。思わず吐きそうになるが、食欲の方が勝った。表面をあらかた食いつくし、生焼けの部分をもう一度焚火にあてて、今度は十分に焼いた。

「う、うめえ」

 ほどよく焼けた肉は、ジューシーでうま味があった。脂の具合も絶妙であり、海鳥あなどりがたしと、ドリトルは一人感心していた。

{おい、あれは、おまえの兄弟分じゃねえかよ}

{ああ、そうだ。野蛮な人類に捕まって食われてやがるなあ。まあ、おれたちの食い物を横取りしてばっかりだったから自業自得だな}

 上空を旋回している他のトウゾクカモメたちが、仲間の死を悼んでいた。

{あ、いま、棒を抜いたら、あいつの内臓がごっそりと付いてたぞ}

{グロいなあ」

 内臓部分も、こんがりと焼けば美味であった。もう、魚を焼いていたことを忘れて、ドリトルは骨までしゃぶり付いていた。

「予想外に美味かったな」

 げぶげぶと鳥臭い息を吐き出し、ドリトルは満足していた。上空のトウゾクカモメたちは、グエエグエエ鳴きながら、食い散らかされた仲間の残り肉を狙っていた。

「しかし、ここに救助船なんて来ないだろうな。長期戦になりそうだ。もっと食料を手に入れないとな」

 食料確保が、ドリトルがやるべきことの最優先事項となった。もちろん、無人の岩礁にパンなどあるはずもなく、生物を狩ることしか方法はない。

「おお~い、岩イソメども、出ておいで~」

 ドリトルは礫を叩き割って、中から岩イソメを引っぱり出していた。

{なんだよおい、せっかく気持ちよく寝ているのに。うわっ、眩しっ}

{あれえ、あれえ、ちょっとなにするの。わたしはただの環形動物門多毛網ですから。ちょっとう、引っぱらないでよ。千切れるでしょう」

 岩イソメたちは不平の思念を送ってくるが、ドリトルは知ったこっちゃなかった。さっそく釣りを始めるべく、彼らを釣り針に突き刺すのであった。

{ぎゅぎょおおおおおおおおおお}

{あっひーーーーーーーーーーー}

 釣り針に全身をぶっ刺されて、岩イソメたちは激烈な苦痛にのたうち回る。

{ぎゃううう、いっそ殺してくれ}

 死んでしまってはエサとしての価値が損なわれてしまうと、ドリトルはさっさと海の中に釣り針を放り込んだ。

 魚は次々と釣られ、不器用で、しかも調理にも生命への尊厳にも不案内な男に、生きたまま引き裂かれることとなった。

{ぐおおお}

{痛っ、ぎゃあああああああ}

 その岩礁は生き物たちの阿鼻叫喚の場となった。

 残虐に殺害されたものたちの苦痛にまみれた思念が、ごうごうと渦巻いていた。そこに漂う空気に触ろうものなら、感電しそうなほど激烈な電波である。

{いでででで、なんか嘴に刺さってるう}

 魚ばかりでは飽きてしまう肉食なドリトルは、岩イソメを五匹ほど釣り針に贅沢掛けして、海ではなく岩の上に投げたのだ。海鳥は魚だけではなく、虫の類も好物で、岩イソメなども喜んで食す習性がある。

{ちょ、おっさん、俺のくちばしになんか突き刺さってるんだけど、とってくれや}

 さっそく、一羽のカモメが針にかかった。木の棒を持った男がサッと近づくと、あいさつ代わりに強烈なる一撃を食らわした。

{ぐっへえ}

 カモメは頭部を潰されて絶命した。その瞬間、彼の生涯の記憶が走馬灯的な思念となって放たれたが、ドリトルは気にもしてなかった。

{やっべ、下に撲殺魔がいるぞ}

{これは、へたに降下できないっしょ}

 上空の鳥たちは警戒警報を出していた。しかしながら、付近にはその岩礁のほかに陸地がなく、海が荒れた場合などは、どうしてもそこで休息しなけらばならない。

 生物学的に、鳥類はそれほど頭がよくない。三歩進めば物事を忘れるという、ぞくにいう鳥頭な鳥が多い。あのカモメたちは上空を旋回しながら、ドリトルの脅威をもう忘れていた。

{疲れたから、昼寝でもすっか}

{んだ、んだ}

 二羽が急降下して岩場に着地した。嘴で毛づくろいしながら休んでいると、そこへ握りこぶし大の礫を持った男が近づいていた。そして油断しきっているカモメに向かって、それを投げつけた。

{どべっ}

{うっわ、ヤバ}

 二羽のうち、大きいカモメの左羽に直撃した。骨が折れてしまったそれは不格好に翼を伸ばしたまま、グエグエと喚きながらトボトボと歩いている。飛べない鳥はただの肉だ。焼き鳥の方がまだ存在価値がある。生きている理由を見いだせないものには容赦のない呵責が加えられるのだ。

{グえええええ}

 ドリトルは手負いのカモメを素早くとっ捕まえると、羽毛に覆われたその首を力の限りに絞めた。

{ぐ、苦しい。苦しすぎて死ぬー。た、た、たじげでぐで~。 ああ~、屁え出る、屁。プヒィ}

 死にたくなるほどの息苦しさに、カモメは折れた羽の痛みも忘れて激しくばたついていた。

{あっひー、人殺し。いや、カモメ殺しだー。ひーひー}

 間近で目撃した無傷のカモメがアタフタしていた。さっさと飛んで逃げればよいものを、あまりにも驚いたのと、こんな衝撃の瞬間は滅多にないとばかりの野次馬根性が、逃避の本能を一時的に麻痺させていた。

{ゲヒッ}

{ぼげっ}

 食い意地が張ったドリトルは、カモメたちのデバ亀的な間抜けさを見逃さなかった。

 ギラリと野獣のような眼が光ると、今現在首を絞め続けている瀕死のカモメを、傍観者カモメに向かって力いっぱいに叩きつけた。両方が激突し、骨の砕ける音がした。大量の羽毛が空を舞っている。

 二羽のカモメは生きたまま羽を毟り取られていた。鳥は鳥なりに嘴をたてて抵抗しようとしたが、あちこちの骨が折れているので、それはままならなかった。

 ブチブチと音を立てながら毛が抜かれていく。空腹はおさまっているので、ドリトルには余裕があった。今度はきっちりと下ごしらえをして、豪華な夕食にしようとほくそ笑んでいた。

{痛え、いでえ、いでえ、ぎゃあああ}

{お願いだ、もうやめてけろ。お願えだから、ひでえことはやめてケロ}

 苛烈な生き地獄だったが、本番はまだまだこれからだった。

 ドリトルは足元に落ちていた流木の小枝を拾うと、なんら躊躇することなくカモメの肛門に突っ込んだ。そしてグリグリと力強く回転させる。カモ猟などで、仕留めた鳥の腸を引き抜いて臭いが肉に付いてしまうのを防ぐ処置だ。ただ通常は獲物が死んでからやるのだが、彼は面倒くさがりだった。

{ぎょえっ}

 耐えがたい悲鳴を残して、最初のカモメがようやく絶命するに至った。大自然の急峻な崖で羽化してから五年余り。まさか肛門に棒をつっ込まれて、さらに内臓を引き抜かれて死ぬなどとは夢にも思わなかったであろう。

{ちょ、ちょっとー、待ってよ。まさかその棒を俺のお尻に突っ込むつもりじゃないだろうな。そんな殺生なことは、絶対やめて、マジでやめてって}

 相棒の死にざまを直視したカモメは、たまらず肛門の筋肉をキュッと締めた。

{せめて、あいつの腸を洗ってよ。棒の先っちょをきれいにしてからにして、ぎゃああああ}

 カモメの腸が絡みついた不浄の棒きれが、再びカモメの肛門に突っ込まれた。先ほどと同じように、ドリトルは問答無用でグリグリと棒を捩じり込んだ。

{ぎゅおおお、お、お、お、}

 ズルズルと肛門から腸が引き抜かれてゆく。その苦痛は彼岸を通り越えて地獄にまで達していた。しかしながら、このカモメの生命力は尋常ではなかった。

{ぐおおおおお、、、呪ってやる呪ってやる呪ってやる。おまえの一族郎党を呪い殺してやる}

 怨念がドリトルの良心を粉々に破壊しようとしていたが、彼は動じなかった。

 じつはあの嵐の海に放り出されて生死をさ迷ってから、彼の精神は狂い始めていたのだ。すでに壊れているのだから、いくら悪念を浴びせかけようと無駄である。常軌を逸した感情の吐露は、むしろ暴虐に拍車をかけることとなる。ドリトルは長年培っていた良心のタガが外れている状態であり、よりラディカルな精神状態へと落ち込んでゆく。

「うっせーな、こんにゃろう。てめえなんかカーカー鳴くだけで、人様に迷惑ばっかかけやがって、死ね、いね、ファッキュー」

{いや、オレ、カラスじぇねえし}

「こうしてやるう」

 ドリトルの指がカモメの口の中へ強引に挿入された。泥と垢で黒く汚れた爪先が、鳥の喉粘膜にガッチリと突き刺さった。

{うぎょお、ぎゅぎょう、ぐおおおお}

 いまさっき肛門から棒をつっ込まれて腸を引き抜かれたのに、今度は口から汚れた肉棒が乱入してきて、柔らかで不可侵な粘膜を掻きむしっている。後ろから前からの容赦のない拷問に、野生で鍛え抜かれた強靭な生命力も尽きかけようとした。

「まだまだこれからだ。さらにこうしてやる」

 ドリトルは、死にそうになっているカモメの尻の穴にもう片方の親指をつっ込んだ。すでに壊されている肛門の奥で鉤状に曲がったそれは、容易に抜けないようにしっかりと爪を立てていた。

「ムおおおおお」

 絶海の孤島で、カモメの身体が引き延ばされてゆく。筋肉組織の伸張力が限界に達し、億万の細胞一つ一つが絶叫していた。苦痛に満ち満ちた、あらん限りの思念がぶちまけられた。

 しかも、その波動はドリトルの特異体質を通して増幅され、付近のありとあらゆる生命体へと伝えられていた。ゴカイが、フナ虫が、あるいは海中の魚たち、岩にへばり付いたホヤまでもが恐れ慄き、怯えきった。それらの思念は、あちこち乱反射しながらドリトルの心の鐘を打ち鳴らしていた。

「ははは、これはいいぞ。なんと爽快な気分だ。愉快愉快」

 生き物たちの尋常ならざる畏怖が心地よいと、ドリトルは感じていた。

「俺は王だ。痛みの王、残虐の王、拷問の王だ」

 ドリトルは心の領域いっぱいに叫び続けた。生き物たちに残虐を加えるさまを、考えられる限りの熾烈な拷問を想像していた。鳥たちを毟り、魚を抉り、虫の類は丹念にすりつぶした。その思念は重厚な波動となって島全体を隈なく侵犯する。彼の呼びかけに応じて、さっそく熱い反応が返ってきた。

{うわああ、地獄だー、地獄の使者がやってきたあ}

{やだやだ、殺される、引き裂かれるよー}

{痛いのはイヤ、ぜったいにイヤ}

{死ぬう、今すぐに死ぬ」

 小さな岩礁島に最恐の暴君が誕生したのだ。痛みと殺戮を求める狂える王が跋扈し、生き物たちの絶望が計り知れない。

「さあ、次はどいつにしようかなあ。どいつをほじくってやろうかな、ふふふ、ヒヒヒ」

 屠殺場と化した孤島に、赤すぎる夕陽がゆっくりと沈んでいく。暗黒の訪れが、その地に平穏をもたらすことはないだろう。


                                   おわり

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虐げるドリトル 北見崇史 @dvdloto

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