第4話

「あの、今はどこに向かっているんでしょうか……?」


 先ほどの神宮から徒歩で三十分以上歩いている気がするが、今はどこに向かっているのだろうか。暑さにくたびれながら俺が日向に聞いても、「お楽しみデーース」の言葉しか返ってこなくて、ちょっと不安になって来た。時刻はもうすぐ十八時。夏至を過ぎた長い日照時間のせいか辺りは明るいが、お腹の空いてくる時間でもある。てか俺、お昼食べてませんけどね!いろいろありすぎて。

「腹が減りました、宮崎に着いてから何も食べていません」

「ななしぃの腹から爆音がさっきから流れているから、分かってますけどなにか?」

 俺の腹からは相当な音色を響かせていたようだが、歩くのにも暑さにも疲れてくたくた過ぎて、もはや気にしてなどいなかった。宮崎空港に着いてからは、興奮しすぎて食べることを忘れてモアイまで突っ走り、着いた先では日向となんやかんやあって飯にありつけずにいるのだ。

「え?は?そんな鳴ってます?な、鳴ってるか……」

「めっちゃうるさいもん。グロロロロロボボボゴーーって超うるさっ!にひひ。まあ飢え死にはさせないから安心してよ。ふふっ。もうすぐだって」

「なんだその言い方は。もうすぐ?」

 こいつふざけてるな!と思いながら仕方なく足を進めていると急にどこかに到着したことを知らされた。

「ハイ!!着いた!!ココデーース」

 そして、両手をジャーーンと広げて嬉しそうに日向がアピールしている到着地は宿だった。

「え、りょ、旅館?」

「そ、うちのおばあがやってるんだけどね」

「え、日向んち旅館なの……!?」

 案内されたそこには、七星と書かれた小さな旅館があった。田舎の木造のどこか味のある旅館だ。

「だから言ったじゃん大丈夫って。上がってよ」

「え、大丈夫か?いいのかほんとに?それに急だしな……俺どうしよう、上がる勇気が……」

「ここまで来て悩んでんの?じゃ、帰る?」

「あ、上がります!!」

「じゃ、入って」

 日向はいいかもしれねえが俺はこう見えて臆病だからスパっと行動できねーーつーーの!心の準備をさせてくれよ……俺は不満を心で漏らしながら不安になっていた。だって、俺が上がって本当に大丈夫なのか、怖いじゃんか。いろいろと。

 二十七のおっさんを小学三年生が連れてくるなんてとんでもねえことだぞ。日向からしたらその辺で捕まえたただの東京から来たお兄さんかもしれないけれど。

何も言われなきゃいいが……。あとこんな急にやってきて果たして迷惑ではないのだろうか……。

 俺はとにかく緊張しながら中に入った。

「お、お邪魔します……」

 中に入れば、本当にそこは旅館の景色が広がっていた。しかし、誰も出迎えることは無く静かなまま。というかやっているのか?営業しているのか?

「こっちこっち」

 不安に思いながら下駄箱に履いてきた靴を入れてスリッパに履き替える。そして、日向について行き中へ進むと、とある場所に案内された。

「ここ、自由に使っていいよ!!」

「え、いいの?」

「いいよ!!」

 そこには旅館の素敵な部屋があった。畳の良い香りがして、障子が綺麗に貼られている古き良き部屋だ。

「あ、ありがとう……えっとさ、ばあちゃんとかへの挨拶は大丈夫……??」

「大丈夫!!じゃ!!日向は手伝うことあるからゆっくりしてて~~」

「えーー!!ちょ!!って行っちゃった……」

 ありがたいのだが、正直人様の家に来てしまっているわけだし、いろいろと本当に大丈夫だろうか。てか、日向はもうどっか行っちまったし。

まだ挨拶もしてねえし、事情も話してねえ。まあ、日向が言うなら大丈夫か……な……。

 不安になりながらも、俺は自由に使っていいと言われた部屋で見ていなかったスマートフォンの着信履歴を今日初めてチェックした。ずっと着信音がオフになるサイレントモードにしていて良かったと思う。二十件以上のとんでもない数が履歴に残っていたのでそっと画面をロックしカバンにしまった。その履歴を見るだけで手の震えが始まりそうだ。


「はあ、東京には戻りたくねえよ……」


 そう呟きながら俺は、目の前に広がる畳に仰向けにゴロンと力を抜いて寝っ転がり、目を閉じて深呼吸を始めた。怖くなる自分を落ち着かせるために。


 そして、ゆっくりとした呼吸を続けているうちに、田舎の香りが俺の心を落ち着かせ癒してくれていた。


 昔、俺のばあちゃんの家もこんな香りがしたっけな……。


 どれくらい目を瞑って息を吸って吐いていたかはわからない。たくさん歩いて疲れていたし、腹が減ってはいるが慣れない緊張がたくさんあって少し眠たかった。気が付けば、目を瞑って俺はそこでスースーと気持ちを落ち良く寝てしまっていたらしい。

 夢の中なのか、誰かが起こしに来たのかわからないが、誰かが上に……いる気が……。すると思ってゆっくりと目を開けた時には、天井だったはずの景色が、若い女性のにこにこ顔になっていた。

「って!ワッッ!?!?えっ誰!?えええ!?」

 俺はびっくりしすぎてそのまま勢いよく後ろに下がりながら起きると女性が謝って来た。

 これが眠っていた時の違和感の正体か!

「はわわわわわ、申し訳ありませんタイショウ☆!!」

「えええええと!?すすすすいません!!って大将!?あの、えっと、俺は日向に連れて来られた者でしてえっと!?えーーと!?」

「先ほどお聞きしました、この旅館を継いでくださると!!」

「え!?は!?ええええええ!?えっと?」

 俺は今とても混乱している。だって、急にこんなこと言われて理解できるわけがない。大将?継ぐ?

 どどどどど、どういうことなんだ!?

「え!?違うんですか!?先ほど、日向ちゃんと女将がお話されているのを聞いてしまいまして……この旅館を継いでくださる大将が見つかったと!!」

「えーーと、えーーと?すいません、理解が追い付いてなくて~~……?」

「じゃあ、追いつくまで待ちまショウ☆タイショウ☆」

「えっと?あの?」

「あなたはこの旅館の大将。イエス!タテナオスイエア!」

 この女性はなんだ?何を言っているんだ? そしてなぜラップ……!?

「あ、あの、えっと、その、つい盛り上がっちゃって!てへ!」

 従業員らしき女性は若干早口で俺に言うが、なにが「てへ!」なのだろうか。今、思考を回して一生懸命考えても全然把握が出来ないのだが、一体どういうことだろうか。

 俺が旅館を継ぐだと?俺がか?なにか誤解されているのか?日向って家の人に何て言って俺をここに置いていくつもりなんだ?何か企んでいるのか!?てか、跡継ぎ募集しているのかこの旅館は。待てよ、それとも何かの人違い?俺は別の人と勘違いされて今話しかけられているとか?うーーーーん、いろいろ知らな過ぎてわからんぞ。

多分この人は旅館の配膳とかそういうのをする人だよな?とりあえず落ち着いて聞いてみるとしよう。

「あの、この旅館を継ぐとは……?」

「あ。ひとっ……人違いでしたら申し訳ありません!!わたくし、七石さんという方が旅館の大将になる為に修行に来られていると先ほど日向ちゃんと女将との会話でたまたまあ~~ちらっと……耳にしまして」

「たまたまですよ~~」と女性従業員は念を押して後からも言葉を発した。そしてこの人、目がめっちゃ泳いでいるが大丈夫か?人違いしてやっちまったあって顔してるのか?それとも本当はたまたまでなくがっつり聞いてましたって感じか?わかりやすすぎるタイプだなこれは。多分この人の嘘は誰でもわかるぞ。

 そして、それはきっと人違いだ。残念だが、この女性従業員は間違え……。

て、ん?七石?多分この人が耳にした話の内容を聞く限り……。人違い……いや、日向が俺の事を何か企んでを誰かに言ったとしたら……。待てよ、七石、ななしい……七紙。


 えーー多分それおれじゃーーん。よほどのことが無い限り高確率で俺だろ。


 思考を回せばわかる。七石は七紙に似ているし聞き間違えやすい。それに、日向の事だから何か企んでる可能性の方があるわけで、女性従業員の言うことがなんとなく俺の事じゃないかと気が付いてきてしまった。

「ああ、それは俺ですねえ……。多分。いや、俺ですね。絶対俺。でも、日向の家が旅館だってのもここに来るまで知らなかったし、俺は旅館を継ぐなんて話も今あなたから初めて知ったわけで……」

「あらまあ……それは失礼いたしました……はあ、なんてこと……すいません。はわわわわ」

 女性従業員はやっちまたよお……って顔でものすごいスピードで深々と頭を下げる。

「いや、大丈夫ですよ。ちょっとびっくりしただけで……」

 大丈夫かはわからないがとりあえず大丈夫と言っておこう。そんなに深く頭を下げなくても、あなたが悪いわけでも多分無いし。とりあえず、顔を上げて貰ってちゃんと話をしたいし。そう思っていると女性従業員は顔を上げてくれて、笑顔でこう言った。

「でも、さすが日向ちゃん、やるわね……」

 って、何がやるわねだ。そこは日向を叱っておけよ。今の一言でやっぱり頭下げてていいですよって思えてきたが!?

 というか継ぐってまじでなんだ?俺もしかして勝手に裏でさらなる話を進められてるのか?

 ちょいちょいちょい、そこまで勝手に進められましても……。

「あの、えっと、旅館を継いでくれる人を募集中だったりするんですか?」

 俺は知らないままというよりは聞かされてないままなので、とりあえず女性従業員に聞いて情報収集することにした。

「募集中ではないのですが……先月の五月に閉めてしまいまして、今は旅館を運営しておりません。まあ、後継者がいないというよりは、元々今の女将の代で閉める予定でいたので……ここは女将が好きでやっていた宿で、女将も歳を取ってゆっくりしたくなったのともう満足したらしくて……」

 詳細をほっぺに手を添えながら女性従業員は早口で教えてくれた。

「なるほど……でもなんで従業員の方が……まだ?」

「ふふ、片づけとかいろいろあるんですよ……あと、寂しいので来ちゃっているのもあるかなあ……ナナナ・ナンナンナンツッテ!」

 たまにラップっぽい感じになるのはなんなんだ。ラップではない可愛らしさもあるがどこかラップ風な何かを感じる気もする。答えてくれてありがたいが、調子が狂うぞ。そして、もうこの旅館はやっていないのか。もったいない。小さいけれど良い旅館なのにな。しかし、俺はそんな終了した旅館に今いていいのか?日向……大丈夫なんだろーーな……。

「え、俺いて大丈夫ですかね?」

 俺が不安をぶつけると、女性従業員は、はてなマークを頭上に浮かべながら俺に言った。

「うーーん、私はよくわかんないんですよ。日向ちゃんが最近色んな人を連れてきては強引にタダで泊まらせちゃってて……女将は怒っているんですけれど、日向ちゃんは旅館が無くなるのが寂しいのかな?閉めているはずなのに忙しい気がします……だから私もなんだかんだまだいるのかな?ちょっと嬉しいけど……なんて……!」

 この女性従業員は相当この旅館が好きなのだろう。言葉から寂しさがにじみ出ていた。しかし、わからないという回答に俺は不安を増やす。でもなんとなく事情が把握できて来たからとりあえずよしとしよう。最悪、利用した分のお金払って出て行けばいいんだし。

「なるほど……なんとなく見えてきました……日向がここへ連れてきた理由的なのが」

 結構強引だったからな。俺の上に落ちて攻撃した挙句、眼鏡を奪って俺を連れて来たのだし。

「ちなみに今日は旅館を継いでくれる人を連れてきたとかなんとか日向ちゃんが女将に言ってて……さっき通りすがりに耳に挟んだだけなんですけどね!耳に挟んだだけですよ!だから、どいつが大将だあ!?ってちょっくら見に行ってやろうと思いましてね!!☆」

 で、ここに来たという訳か。なるほど。

 そして、本当に通りすがりに耳に入ってしまっただけなのだろうか。絶対がっつり陰で自ら聞きに行ってるタイプだぞこの人は。で、なんだ、見に行ってやろうとは。というか日向、俺は何にも聞いてないぞ。そんなこと勝手に進められても困る。いくら俺が東京に帰りたくないと言っても、旅館に急に住み込んで大将になるんです!なんて、出来るわけないだろ。


 お前の好きな旅館が無くなって寂しいのは分かるけどよ……。もし、ここに居ていい代わりに旅館の大将になれっていうんなら俺は出てくぞ。


――――グロロロゴゴゴゴゴゴ


 すると突然、俺の腹が盛大に鳴った。


「あら!そうだ!夕食こちらに運びますね、あり合わせですが……長旅疲れたと思うので今日はゆっくり休んでください!……あと……大将になる気になったらいつでも……言ってください・サイ・あなた何歳~~!?」

 腹が鳴ったせいで、女性従業員は気遣って夕食を準備すると言ってくれた。しかし、もしこれが大将になる為の釣りだったとしたら嫌だしな。でも、もう今日は腹ペコで動けねえし。これを食べたことで日向に旅館を継ぐことを交渉されてもめんどくせえし……俺はぐるぐる考えながら返事する。

「えっと、ごはん頂いたとしても……大将については俺無理っすよ……それに日向が勝手に言ってるだけですよね?元々閉める予定って言っていたし……俺、継ぐなんて言われても本当に無理ですからね!」

「ナンサイ☆?」

 すると、俺がスルーした部分に対して、再度の謎のラップがやって来た。

 俺はぐるぐるしていた考えを一瞬消してしまうような、魔法のラップに飲まれ答えてしまう。

「二十七……サイ……」

 上手いこと俺は流れに乗せられ回答してしまった。別に言いたくないわけではないが、このタイミングでしっかりと年齢を確認するという、謎の流れ……。なんなんだこの人は……。そう思った瞬間、次に自己紹介がラップにっぽい感じに流れた。

「わたくしは~~三十二サイの赤(あか)丸夏(まるなつ)美(み)☆赤丸・まるまる・日の丸の国っ生まれっ・なつみってヨンジャッテ☆イエア」

 どこかの芸能人がウィッシュと叫んで手で願いを作った時のように、良く分からない決めポーズがイエアの後にビッシとキレよく繰り出された。

 何故、夏美さんのテンションは旅館の従業員の容姿からは想像がつかない感じなのだろうか。不思議で仕方ないだろ。なんか、見た目以上に歳だし。そして、この人はまさか、このノリで接客してきているんじゃないだろうな。絶対滑ってるぞ、コレ。

 まあ、とりあえず俺の自己紹介もしておくか。

「じ、自己紹介ありがとうございます。えーーと、俺は七紙剛志です……七石ではありません。多分日向と女将さんの会話かなんかを聞いた時に夏美さんが聞き間違いしていたんだと思います。ななしです」

「はっ!!!!え、七石じゃなかった!?私の聞き間違え。オーマイガー」

「かなりの確率で夏美さんの言っている七石と七紙は同一人物なはずなので……多分七石に聞こえちゃったんですよ、似ているので」

「しっかり聞いたはずだったのに……オーノー」

 夏美さん、しっかりって今言っちゃってましたけど?

「まあ、もう、よろしくおねがいします……。俺いつまでいるかわからないですけれど……あと……あの一つ疑問があって、なんでラップ……みたいな?ラップじゃないみたいな不思議な返答……なんですか?」

 俺はとりあえず自己紹介をする流れになってしまったので、よろしくと言っておいた。そして、このラップっぽい謎な感じはなんなのだろうか。俺は気になって聞いてしまったのだが、たぶん誰でも気になって聞くレベルで癖が強いと思う。

「東京で昔はラッパーみたいな感じのことしてたんだYO☆」

「え!?みたいなとは!?何このギャップ!?なんで旅館で働いているんですか夏美さんは……」

「日向ちゃんに上手いこと連れて来られちゃって、てへ☆」

「はあ……」

 全然わからん。なにが起こった夏美よ。

 そして、日向って子供のくせにいろんな大人を巻き込んでやがるんだな。

 迷惑ばっかりかけて無けりゃいいが……。

 まあ、夏美さんが幸せならいいし、実際何があったのかどういう状況かも知らねえからわからねえけど。

「私は半年くらいこの旅館でのんびりしているうちになんか働いてましたよ~~」

「何があった、マジで……」

「まあ、ここは自由なので好きなだけゆっくりしていってくだサーーイ☆さてさて、改めて夕飯運んできますね!食べ終わったら、二十四時間入浴可能なお風呂も案内するんで!自由に寝たりしてすごしてくだサイ!」


「あ、ありがとうございます。でもいくら良い食事や風呂だからって大将は無理ですよ!」

 夏美さんは俺のその言葉を聞いてくれたのかわからないスピードで、スタスタッと部屋から出て、業務?に戻ってしまった。


 はあ、とりあえず日向がいたらいろいろ聞かなきゃいけねえぞ。夏美さんに重要な情報を貰ってしまったんだしな。


 俺のことで日向が勝手に何を進めているのか知らないけどさ。


 悪いが俺は旅館を継ぐようなことは出来ねえよ。


 今はありがてえっちゃありがてえけど。


 確かに俺は東京には帰りたくねえし、会社にも行きたくはねえ。


 だから今は助かっている。


 でも、そうだとしてもだ。ここにずっと逃げたままで過ごすつもりはねえよ。


 まあ、せっかくこうなった以上、気が済むまで俺は宮崎で心を休めるけどな。


 今は帰りたくねえし。

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