勇者見習い(アンナ視点)

「あれ、アル兄ちゃんがいる」


 お城に来て一ヶ月近く経ったある日の朝、いつもの様に魔法訓練場に行ったらアル兄ちゃんが訓練してた。


「凄い」


 アル兄ちゃんは、備え付けられた的に向かって攻撃魔法を打っていた。

 一回、二回、三回立て続けに魔法を打ってもまだ終わらない。何度も何度も同じ魔法を打っていく。


「どうしてあんなに凄い魔法が何度も使えるの?」


 休みなく攻撃魔法を打つアル兄ちゃんに驚きながら、格好いい後ろ姿を植え込みの影にかくれて見つめ続ける。

 広い広い魔法訓練場にたった一人でアル兄ちゃんは立っていて、何度も何度も攻撃魔法を打っている。

 あたしが来る前からアル兄ちゃんは訓練をしてたのに、魔力回復薬を飲みながらだとしてもやっぱり凄いと思う。


「あたしなんて、薬三回使ったらもうヘトヘトなのに」


 中級魔法の火連弾四回。これが今のあたしが続けて魔法を使える限界。

 魔力切れが起きると倒れてしまうから、そうなる前に回復薬を飲むのだけど、三本目の薬を飲むころはもう疲れてしまって練習どころじゃなくなる。

 魔法って魔力だけじゃなくて、精神力とかも使うんだって、でもそれは薬じゃ回復しないんだって教えられたんだ。


「アル兄ちゃんが使ってるの上級魔法の技だよね、違うのかな。凄い威力なんだけど」


 もう上級を覚えたのだとしたら、アル兄ちゃんは凄い。

 火属性の魔法があたしとは相性がいいと宮廷魔法使い長さんが教えてくれたけど、それでもまだあたしは中級の魔法までしか覚えられてないんだもん。

 苦手な雷属性の魔法は最下級の魔法だけだし土魔法も下級まで、それを考えると火属性の魔法は出来てる方なのかな、よくわかんない。

 まだ魔法を勉強して一ヶ月しか経ってないんだし、出来てる方だって思いたいな。


「精神力が鍛えられないとって言われても、どうしたらいいのか分からないよ」


 魔法回復薬を飲めば魔力量は回復出来るけど、魔法を使うにはそれだけじゃ駄目なんだって何度も言われる。

 精神力を鍛えないと疲労で攻撃力が落ちるとか、魔力が残ってても使えなくなるとか、色々教えてもらったけど、どうやったらいいのか分からない。

 あたしは頭が良くないから、教えてもらったことを忘れないようにするだけでも大変なんだけど、アル兄ちゃんは違うみたいで、魔法使いの勉強も剣士の勉強も他の色んなこともどんどん覚えてる。

 あたしがあんなに勉強したら、頭がきっとおかしくなっちゃうのに。

 アル兄ちゃんはやっぱり凄い。


「勇者殿、そんなところに座り込んでどうなさいました」

「あ、魔法使い長さんおはようございます」

「おはようございます」

「アル兄ちゃんが訓練していたから、見てたんです」

「アル兄、アルフォートか。ううむ」


 あたしが指差した先に立っているアル兄ちゃんを、魔法使い長さんは唸りながら見てる。


「勇者殿と彼は本当の兄妹ではないのですよね」

「はい」

「でも、あなたも剣の勇者殿も彼を兄と呼ぶのですね」

「アル兄ちゃんは、血がつながってなくても兄ちゃんなんです。ええとなんだろ、でも兄ちゃんなんです」


 説明しようとして、でも上手く説明出来なくて途中で諦めてしまう。

 アル兄ちゃんを兄ちゃんと呼ぶようになった理由なんて、あたしとハンスが村でどう生活してたのかから説明してもきっと分かってもらえないと思う。

 アル兄ちゃんはあたしとハンスを育ててくれた。父ちゃん達に内緒で、こっそりこっそり毎日パンを食べさせてくれた。村の皆が見ないふりしてたのに、アル兄ちゃんだけはずっと傍にいてくれた。

 本当はアル兄ちゃんの家族も困ってたって知ってたけど、あたしとハンスは気がつかないふりして、アル兄ちゃんにくっついてたんだ。


「彼はあなた方をとても大切に思っていますね、あなた達も。それは分かります」

「分かるんですか?」


 魔法使い長さんは村長さんよりも年上に見えるし、お城の魔法使いをまとめる偉い人みたちだから、あたしの下手くそな説明でも分かったのかな。


「どういう背景でそうなったのかまでは勿論分かりませんが、それでも三人の絆は分かりますよ」

「絆?」


 絆ってなんだろう。首を傾げながら魔法使い長さんを見上げる。

 魔法使い長さんは長くて白い顎髭を右手で触りながら、あたしに魔法を教えてくれる時みたいに話してくれる。


「絆とは人と人との結び付きという意味です」

「結び付き」


 魔法使い長さんは優しく教えてくれるけど、よく分からない。

 アル兄ちゃんは村でも沢山勉強してたから、お城の図書室の本も読めるけど、あたしはここに来るまで自分の名前すら書けなかったし、難しい言葉は言われても分からないんだ。


「難しい言葉は分からないです」


 色んなことを知らないってことすら、あたしは知らなかった。

 本なんてあたしの毎日にはなかったし、見たことあったのかも覚えてない。アル兄ちゃんは村長さんの仕事も手伝っていて、羊皮紙に書かれた何かを見て勉強してた様な覚えがあるし、村に本を持ってる人なんていなかったのかもしれない。


「あたし馬鹿だけど、こんなんで本当に勇者になれるのかな」


 勇者だと言われても本当かなって思ってる。

 あたしよりアル兄ちゃんの方なんじゃないかなって。


「勇者になるのは嫌ですか」

「そうじゃなくて、あたしは馬鹿で出来損ないだから」


 いつもいつも、母ちゃんと父ちゃんにそう言われて殴られてた。

 怒られる理由は色々で、薬草摘みが上手く出来なかったり、洗濯や畑仕事が遅かったりだったから悪いのはあたしなんだけど、でも怒られるのも殴られるのも嫌だったし悲しかった。

 怒られると食べ物が貰えないから、水を飲んでお腹が空いたのを忘れようとしてた。

 母ちゃん達に見つかると取り上げられて殴られるから、アル兄ちゃんからパンを受け取れるのは薬草摘みや畑仕事をしている時だけ、だから雨が降って外に出られない日は何も食べられなかった。

 雨が降ってて働いてないからお腹すかないだろって言われても、水だけじゃお腹はすぐに空いてきて、フラフラしながら部屋の隅で縄をなったりしてたんだ。


「出来そこないなどではありませんよ。魔法だって短期間で沢山覚えているではないですか」

「覚えた中級魔法はまだ一つだけだし、上級はなしでも?」


 アル兄ちゃんは沢山沢山覚えてる。

 性質が違うから比べられないと言われても、よく分からない。分かるのはあたしは全然強くなってないってことだけ。


「勇者殿は誤解されている様ですね。魔法は短期間で習得、覚えられるものではないのですよ。あなた位の年ですと本当なら攻撃魔法を放てる程の魔力量は持っていない筈なのです。貴族の子供は水晶の適性検査を生まれてすぐに行い、魔法使いの適性があれば魔力量を増やす訓練から始めますが、平民であるあなたはそういった訓練を行ってこなかったのですから、魔力量が短期間で増えたということだけでも驚くべきことなのですよ。それは剣の勇者殿も同じですが」

「そうなんですか?」


 でも、ハンスだって使える技は増えてる。

 ハンスは剣士だから魔力量は関係ないけど、使える技がどんどん増えてる。

 あたしよりも進んでる気がするよ。


「あたし、勇者になれますか」


 魔物と戦うのは怖いけど、お城で沢山お世話になったのに勇者になれなかったら申し訳ないよね。


「あなたが勇者になりたいと強く望んで努力すれば、必ずや神は勇者の称号を与えて下さるでしょう」


 今のあたしとハンスは、勇者の素質を持つものという神託を受けている。

 素質って何か分からなくてアル兄ちゃんに聞いたら「努力したら勇者になれるだけの力があるってこと」だって教えてくれた。


「まずは力をつけて神託の神殿に向かうのです。すべてはそこからです」


 訓練して力をつけて、神託の神殿で勇者の技を授かるまで、あたしとハンスは素質を持つもののままらしい。

 あたしは、勇者にならなくちゃと思うけど、なりたいとは思わない。

 そんなんでもなれるのかな。それに。


「神様を信じてないのに、勇者の技なんて貰えるのかな」

「勇者殿?」

「そういうのって、信心深い人が貰えるんじゃない……ですか」


 偉い人だからちゃんとした言葉使いをしないといけないのに、あたしは時々忘れちゃう。ちゃんとした言葉って、村では使ったことなくてここに来てから習っただけなんだもん。しょうがないよね。


「あなたには信心がないと」

「信心って神様を信じるって意味だってアル兄ちゃんに聞きました」

「そうですね。勇者殿は神を信じていらっしゃらないのですか」


 驚いた様に聞かれるけど、でも仕方ないよ。

 あたしは神様なんて信じられない。


「神様がいるって考えたことが無かったです。村には神殿なんか無かったし」

「こちらに来てから、毎朝神殿で礼拝されていたのでは」

「礼拝?」


 また知らない言葉が出て来て、困って魔法使い長さんを見る。

 神殿には毎朝三人で行っている。

 イシュル神様の像に挨拶をしなくちゃいけないからだ。


「イシュル神様の像に挨拶に行くのが礼拝?」

「挨拶ですか」

「違うの?……ですか?」

「そうですね、似ているようで違うのかもしれませんし、それも礼拝の形の一つなのかもしれません」

「頭を下げてるだけでも?」

「ううむ……。まだ幼いあなたには難しいでしょうし、それでよろしいかと」


 あたしの返事が魔法使い長さんは気に入らなかったみたいだ。

 失敗したかな、父ちゃんみたいに怒ってあたしを叩くかな。少し怯えながら魔法使い長さんの顔を見つめる。何を間違えたのか分からないけど、怒られる前に謝らなきゃ。


「信仰は強制出来るものではありません。でも、神を信じないあなたに、神の神託を受け勇者になれというのは酷な事なのかもしれませんね」

「ごめんなさい」


 叱られてないのに、怒鳴られても叩かれてもいないのに、そう言われて胸が苦しくなる。


「謝る必要などありませんよ。子供のあなたに、あなた達に無茶を強いているのは私達なのですから、勇者殿一つ聞いてもよろしいですか」

「はい」

「あなたは、勇者の素質があると聞いてどう思いましたか」

「え」

「嫌でしたか、逃げたいと思わなかったですか?」

「びっくりしました。間違いだと思いました。あたしはノロマで間抜けで、父ちゃんと母ちゃんに生まれて来なきゃ良かったのにって言われてたから、あたしが勇者って聞いても信じられなかったの。でも魔王を倒さないとこの国が魔物達のものになっちゃうって聞いて、それをなんとか出来るのは勇者と聖女だけだって聞いたから、あたしは」


泣きそうになりながら、話す。

泣いたりせずに、声が小さくなりそうになるのを必死に堪えて、ちゃんと相手に聞こえるように話す。

そうしないと、母ちゃんと父ちゃんはあたしを打つから、他の大人も同じかもしれないから、頑張らないといけないと自分に言い聞かせて。


「はい」

「アル兄ちゃんを守りたいって思ったの。アル兄ちゃんが勇者になった方が良いって今でも思うけど、だってアル兄ちゃんはなんでも出来るし、ずっと守ってくれてたし。でもアル兄ちゃんが勇者じゃなくて、あたしとハンスがそうなら、今度は二人でアル兄ちゃんを守ろうって思ったの」

「お二人にとって、大事なのは世界ではなく、アルフォートなのですね」

「世界なんて凄いこと、あたしは馬鹿だから分からないもん。大事なのはアル兄ちゃんとハンスだけだもん。だからあたしは勇者になってアル兄ちゃん住むこの国を守るの。世界を救うとか、大勢の人を守るとかそんな事言われてもそのために頑張ろうとか、強くならなきゃとか、そんな風には思えないの。ごめんなさい」


 初めて王様と会った時、君が強くならないとこの国は魔物のものになってしまうと、言われたけど。そんなの言われても困るとしか思えなかった。

 多分アル兄ちゃんがいなかったら、あたしは勇者になるって言えなかった。

 あたしが辛いとき誰も助けてくれなかったのに、アル兄ちゃんとおじさんとおばさんしか助けてくれなかったのに、それなのに助けてくれなかったその人たちの為に、あたしが戦わなきゃいけないのって酷いって、今でも思ってる。


「ここに来て沢山お世話になってるのに、毎日食べさせてもらって服も靴も部屋も用意して貰って、それなのにごめんなさい」


 打たれちゃうかもしれない。

 今度こそ、やっぱりお前は勇者には相応しくないって叱られるかもしれない。それでも嘘はつけなくて、あたしは思ってたことを話した。


「謝らないで下さい」

「怒らないんですか、あたしを」

「怒りませんよ、いいえ怒ったり出来ません。私は国政に関わる者ですよ、それなのに守られるべき立場の子供に無理矢理戦わせようとしているのです。あなたを怒ったりなど出来る筈がない」


 魔法使い長さんの言葉は、難しくてやっぱりよく分からない。

 だけど、怒ってないって事だけは分かった。

 でも、なんか悲しそう?


「頑張るから、頑張って勇者になるから許してください」


 あたしがそう言うと魔法使い長さんは悲しそうな顔のまま、首を横に振ってそのまま歩いて行ってしまった。


「嘘ついた方が良かったの?」


 あんな顔をさせたのは、あたしが本心を言ったからなのかな?

 何を考えてても、神様を信じなくても、あたしが強くなって、勇者になったら魔法使い長さんは許してくれるのかな。


「あたし馬鹿だから分からないよ」


 しょんぼり俯くあたしに気がつかないまま、アル兄ちゃんは魔法を打ち続けてる。


「アル兄ちゃんみたいに強くなりたいよ」


 呟きながら、あたしはただアル兄ちゃんの背中を見つめていた。

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