第10話


「試練の間に入り己の望む物を手に入れる為の対価です。あなたのこれからの人生の幸福、それを捨ててまでも望むのかそうでないのかと聞いているのです」


 リクリアーナの声は淡々としていて、血が通った人には見えない。

 城で貴族達が着飾っていた宝飾品の様な瞳が、俺をただ見ているだけなんだ。


「幸福なんて人それぞれだろ。だいたいどうやって俺の幸福を対価として渡すんだ」

「試練の間は時間を切り離し、生命力や魔力を一瞬で癒やす神の力の領域です。人が心から望んでも簡単に立ち入るなど出来はしない聖域です。神の力で対価としてあなたの幸福をもらい受ける等容易い事です」


 リクリアーナはリアナ以上に感情の読めない石で出来た美しいお面の様な顔で話すから、なんだか現実味が薄い。

 先読みとも異なる。だけど似たような神の力の場で見ている夢、そんな気持ちになってしまう。


「幸福とは」

「そうですね。幸せと思う気持ちは人それぞれです。簡単に言えば幸せをもらうというのは、これからのあなたはずっと不幸せだということです。ささやかな事で言えば家の中で家具に足の小指をぶつける確率が格段に上がるとか、今まで善意と受け取られていたあなたの言動を他人が悪意と感じ、その結果他人から理不尽な悪感情をぶつけられるとか、何をするにも裏目に出てしまい、力と栄誉と富は手には入っても心は常に満たされず淋しく孤独を感じる毎日。あなたは力も栄誉も富も望んではいない、大切に思うのは人と人との繋がり、あなたが心の底で大切に思う物程これからのあなたにとって遠くなる。愛されたいのに愛されない、傍に居たいと願うのに誰も彼もがあなたから離れていく。孤独で辛い日々を過ごすことになる。幸せを手放すというのはそういう事です」


 足の小指をぶつけるのは確かに痛いし、何度もそれが重なったら辛いと思うかもしれない。善意を悪意と取られるのも、悪感情をぶつけられるのも辛いだろう。でも、それで力を得られるなら、ハンス達を助ける事が出来るなら俺はそれを躊躇ったりしない。


「なら、それを対価として欲しい」


 迷わず即答すると、リクリアーナは一瞬だけ驚いた様に僅かに目を見開いた。


「悩まず、幸福を対価として差し出すと。死ぬまで続く孤独を受け入れると?」

「俺は、試練の間に入って力を手に入れたい。魔王を倒せるだけの力だ。俺は勇者じゃない、神からの神託もない俺が魔王を倒す力が欲しいなんて間違っているのかもしれない。だけど、可能性があるなら、力が手に入るなら、自分の何を犠牲にしてもかまわない。俺はハンス達を助けたい、あいつらの命を守りたい。それが出来るだけの力を得られるのなら、これから先、一生人から石を投げ続けられる人生でもかまわない!」


 それを躊躇する事で、あいつらが死ぬかもしれないのなら、俺は何度だって自分のすべてを差し出す。今命を差し出すのは無理だが、魔王を倒した後でいいのなら命だって差し出す。

 後悔だけはしたくない。あそこであれをしていたらと、ハンス達を失ってから後悔するくらいなら俺は、俺が持っている物すべてを犠牲にしても力を手に入れる。


「人は生きる為に食べ物を摂取する事で体に必要な栄養を満たしますが、心も心を生かす為の栄養を必要とします。心の栄養とは、他人との関わりで得られる感情や何かをやり遂げた時の達成感。満たされていると感じる充実感、そういう物が大なり小なり積み重なって毎日の幸せとなり心を生かす糧となるのです。あなたが幸福を差し出すということは、心の栄養を捨てるということ。栄養を取れなくなった心は痩せ細りやがて死んでいく。死んだ心を抱えたあなたは、今の選択を後悔するでしょう。こんな辛い毎日になるのなら、あの時止めておけば良かったと、それでもあなたは幸福を対価としますか」


 リクリアーナの話は恐ろしい未来だ。他人からの悪意や何をやっても報われないという空しさや孤独しかない未来は恐ろしい。そんな未来は回避出来るなら回避したい。

でも、それでも俺は力を望む。ハンス達を助けられる力を。


「今力を得られなければ、大事な仲間を見殺しにすることになる。不幸しかない未来しかないとしてもあいつらが元気に生きて、笑って暮らしてくれるならそれでいい。俺の未来なんてどうでもいいんだ。あいつらを死なせたくない。世界を救うなんて、そんな重責を子供だったあいつらは必死に耐えてきた。五年って時間は短くなんかないだろ。戦うなんてしたことも想像した事もない世界から召喚されてきた百合はこの世界になんの関係もない。それなのに、親や友達がいる世界から引き離し命をかけてこの世界を救えと、どうして神はそんな残酷な神託が出来るんだよ。それなら俺が三人の代わりになる。俺の一生がずっと辛くても孤独でも不幸でも。俺は後悔なんかしない。あいつらの命より大切なものなんか俺には無いんだ」


 手首に結ばれた飾り紐を見つめる。

 百合がこれをくれたあの日からずっと一緒に旅してきたから、糸は色あせ始めているけど、これをくれた日に見た百合の笑顔はずっとずっと俺の中で色あせず心の中に残っている。

 俺を兄ちゃんと慕ってくれていたハンスとアンナ、照れる俺をからかって楽しそうに笑っていた二人。

 照れくさくて言ったこと無かったけど、俺だって二人を弟と妹、大事な家族だと思っているんだ。


「俺にとっての不幸はあの三人がいない未来、それだけだ」

「分りました。では試練の間へ案内します。こちらへ」


 リクリアーナはおもむろに向きを変えると、祭壇に向かって歩き始めた。

 その漂う様にゆったりとした歩みは、躊躇いなく祭壇中央の神の像へと向かっている。


「え、あの」


 真っ直ぐに、ただ真っ直ぐにリクリアーナは歩いて行く。

 俺は戸惑いながらその後へと続く。

 王都の神殿にも匹敵する規模の建物の中にある広間。

 祈りの間とも呼ばれるこの広間の中央の祭壇、その数段高い所には神であるイシュル神の像が祀られている。


「ぶつかるっ」


 祭壇に向かい歩いて行くリクリアーナの歩みは止まらず、目の前に迫った祭壇にぶつかるとそう思った刹那世界が変わった。


「こ、ここは」


 何も無い空間。どこまでもどこまでも白い床が続き果ては見えない。

 果てが見えないのが、こんなに不安になるなんて考えた事も無かった。

 顔を上げても天井が分からない、手を伸ばしても先には何もない。

 俺は本当に立っているのか、見えているのは本当に白い床なのか、それすら自信が無くなってしまう。


「ここは試練の間です。私がこの場所から退出した瞬間世界とこの空間との時間は切り離されます。最後の確認です。あなたの望みは魔王を討伐出来るだけの力、その力を得るための対価は今後の人生の幸福。それで間違いありませんね」

「間違いありません」


 俺が頷くとリクリアーナは小さく首を横に振り、俺の右手を取ると目の前の高さまでひっぱり上げる。


「神はあなたの対価をお認めになりませんでした。代わりの対価としてこちらをご所望です」

「え。どうして」


 するりと飾り紐がほどけて、リクリアーナの手に落ちる。


「試練の間で望みの物を手に入れる為の対価としては、あなたの幸福は足りないのです。あなたにとって、自身の幸福の価値など石ころの様なもの。犠牲にして捨ててしまってもかまわないもの。それでは対価にはなり得ません」

「そんな。俺だって幸せになりたいと思って」


 だけどその幸せより大事だと思うものがあるから、だから俺は。

 それじゃ駄目なのか。


「あなたは自分の価値を分っていない。あなたが不幸でいたら、あなたの大事な仲間は幸せになれますか。自分達を救うために幸福をすべて投げ出したと知ったら、彼らは己を責めたりせずあなたを見捨てて幸せになろうと考えるでしょうか」

「それは、でも」


 だからって死んでしまったら、命を失ってしまったら。


「あなたにとって、自身の幸福はこの飾り紐の記憶よりも軽いもの。それを対価とするのは傲慢というものです。あなたが望む強さは、魔王を倒せる強さ。でも強さとはそれだけではありません。守りたいなら、体だけで無く心までも守れなければならないのです。相手を悲しませ、体だけを守る事が出来る強さをあなたが得たとしても、それは真の強さでは無いのでは?」

「そんな、分らない。俺は勇者でもないし、真の強さなんか持ってない。だからそれを望むんだ。それだけでは駄目なのか! 強くなりたいんだ、俺は強くなってハンス達を助けたいんだよ!!」


 リクリアーナの言いたいことがよく分らないかった。

 分るのは、たった一本の飾り紐を失っただけで感じる喪失感。

 重さなど殆ど感じる筈もないのに、たった一本、それだけを失った手首は妙に軽くて淋しくなる。


「俺の幸福より、飾り紐の記憶」


 リクリアーナが本当に言いたい事の意味は分らない。だけど、対価として俺の幸福では足りないという意味だけは分った。

 確かに足りない。俺はきっと、幸福すべてを差し出しても今の様な気持ちにはならなかった。

 大事なものを失った。手放してしまったという後悔。

 リアナに持ち金全部支払った時もこんな気持ちは感じなかった。


「あなたの望みが叶った時、あなたの目的の場所に送られるでしょう。もう会うことはありません、どうぞお元気で」


 ゆらりとリクリアーナの周りの空気が揺らぐ。

 この空間と世界が切り離されて行くのだと、悟った。


「リクリアーナさん」

「なにか」

「ありがとう。俺は分ってなかった。いや、今も本当は分ってないのかもしれないけど。でも少しだけ分ったから。ありがとう」


 言われなければずっと気がつかないままだった。大切なものが何なのか、気が付かないままだった。

 だから、消えかけているリクリアーナにそうお礼を言うと無表情だった顔は少しだけ歪んで、笑っているのだと気がついた。


「これだから、人は……」

「え。何? 聞こえない」


 リクリアーナが何か言ったけど、良く聞き取れず聞きかえす。


「いいえ。試練の間は己の心の強さを試す場でもあります。望みを強く持ち決して諦めず投げ出さず強く強く望み続ける事。望む理由を忘れずに心を強く持っていれば、道は開けるでしょう」


 リクリアーナの姿が白い空間に溶けて消えた。

 残ったのは俺、立った一人。

 何もない、本当に何も無い空間で俺はただ立っている。


「望み。俺の望み」

『汝は何を望む』


 どこからか声が聞こえてきた。

 この声聞いた事がある。でも、一体どこで。


『大切なものを対価とし手放してまで、何を望む』

「強さを。魔王を倒せるだけの強さを!」


 どこにいるか分らない声の主に向かって、俺は声を張り上げた。

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