第5話

「あんたウルサイよ。もう三日になるっていうのに、いつまでグズグズ泣いてんのよ」


 アンナがイライラとハンスを責めながら、魔法の勇者の奥義不死鳥の業火を放った。


「アンナさん。小物にそれはやり過ぎです」

「だって、ハンスが鬱陶しいんだもん」

「分りますけど、無駄に力を使うのは」


 アンナを窘めながら、百合は聖女の奥義である聖なる魂への導きを放つ。


「百合だって使ってるじゃないの。ほら、無意味にこの辺りが浄化されちゃってるよ」

「私はいいんです。浄化された土地が増えればそれだけ魔王の力を削ぐ事ができるのですから」

「言い訳だよそれ」


 しれっと言い放つ百合に、アンナは八つ当たりとばかりに奥義を連発する。

 立ち並ぶ木々のせいで暗いだけで今は昼なのだろうか、禍々しい瘴気が漂う場所でひっきりなしに魔物達が三人を襲っている。

 ここはどこだ。


「ハンス、あんたも泣いてないでちゃんと戦って。こんなところでのんびりしてる暇はないんだよ」

「分ってるよ。分ってるけど、アル兄ちゃんに酷い事言ったから」


 グスグスと鼻を鳴らしながら、ハンスも奥義聖剣の舞で魔物を倒し始める。


「あらら、一瞬だね。これで歩き易くなった」


 周辺の魔物と木々と瘴気を一瞬で消したハンスの奥義に、呆れた声を上げるのは百合とアンナ。どいつもこいつも規格外過ぎる。


「酷い事を言ったのは私達も同じです。でもそれは、三人で決めた事。恩知らずな私達をアルフォートさんは呆れた筈です。もう私達の事なんて、私の事なんか……」


 百合はスンと鼻をすすりながら、それでも歩みを止めない。


「過ぎた事は仕方ないでしょ。あたし達がやんなきゃなんないのは、一刻も早く魔王の城に到着して倒す事なんだよ。泣いてる暇なんかないんだよ。魔王は復活しちゃってるんだってお告げがあったじゃない。一日も早く倒さなきゃどんどん魔王は強くなるんだって言われたじゃない」

「それはそうですけど、でも」


 魔王の森にいるのか? だけどもう三日とアンナは言っていた。

 じゃあこれは俺の天性技能である先読みの夢? でもどうして。


「お人好しのアル兄ちゃんにあたし達が死ぬところを見せない様に、あたし達に呆れて未練なんか持たない様に、酷い事言って嫌われようって言ったのはハンスだし。百合だってそれが良いって言ったよね」

「言いましたけど。でも言い様があったのではないかって。アルフォートさんを悲しませたくなんて無かったのに」


 暗い暗い森の中を歩きながら、百合とアンナが話すのは俺の事。

 だけど、これじゃまるで。まるで。


「自分達が死ぬと分っていても、アルフォートさんに嫌われたく無いです。忘れられたくなんかない」

「そんなのあたしだって、ハンスだって同じだよ。だからあいつはずっとずっと泣いてるんでしょ。アル兄ちゃんにあんな事言いたかったわけないじゃん。ずっとずっと頼ってきたんだよ。ずっとずっとアル兄ちゃんに守られてきたんだよ。アル兄ちゃんがいたから、だからあたし達戦ってこられたんだよ。それなのにっ」


 アンナの放つ奥義で、グオンッと森の木々が揺れた。


「仕方ないんだって分ってるよ。魔王を倒す為には俺達の命が必要なんだって、でもそれをアル兄ちゃんには知られたくなかったんだから。アル兄ちゃんの目の前で死ぬなんて、そんな事出来ない。そんな事したらアル兄ちゃんは一生後悔して、後悔して……」


 ハンスはなんて言った?

 魔王を倒す為に、何が必要だって?


「神様も酷いよね。魔王を倒すには今の奥義の威力じゃ足りないだなんて。あたし達の命を糧にして奥義を何十倍もの威力にして発動しないと倒せないだなんて」

「奥義を何十回分も同時に放つなんて事、どんなに努力しても出来なかったのですから仕方ありません。こうやってポンポン奥義を放てる様になっても、威力は変わらなかった。何十回分もの威力になんて出来なかったのですから、私達の命を費やすしかないのでしょう」


 どういう事だ。奥義は魔王を倒せる技なんじゃ無かったのか。


「努力が足りなかったのかな。時間が足りなかったのかな」

「知らない。分ってるのは、俺達の命はあと長くてもあと一日ってことだけ」


 奥義を放ち、燃えた木々の向こうに禍々しい瘴気に包まれた魔王城が見える。

 朝なのか夜なのか分らない、暗い暗い森の中から見る魔王城は絶望を絵に描いたような姿でそびえ立っている。


「神様は自分が超えられない試練は与えないって神官様は言っていたけど、あれ嘘だってあたし小さい頃から知ってたもん」

「俺なんか神様はいないって信じてた。苦しい時にも助けてくれない。苦しくて辛い事しか俺達にしてくれないんだよ。神様はどこにもいないんだってずっと思ってた」


 繰り返し奥義を放ちながら、ハンス達は歩みを止めない。

 神の試練を嘆き、俺への仕打ちを後悔しながらそれでも歩き続ける。


「アル兄ちゃんが先読みの力で俺達が勇者だっていう夢を見なければ、俺達は今ここに居なかったのかな」

「さあね。アル兄ちゃんが先読みの力であたしとハンスが勇者だって気が付かなかったとしても、あたしは村には居られなかったもん。アル兄ちゃんが夢を見たから、あたし達は自分の意志で村を出られたよ。でも、アル兄ちゃんが夢を見ていなかったら、あたしは娼館に売られてたもん。売られた娼館でボロボロの雑巾みたいに使われて、きっともう死んでたんじゃないかな。あたしの親どうしようもない屑だったもん、きっと娼館に売った途端あたしの存在なんて忘れたと思うよ」


 アンナは吐き捨てる様に自分の両親の話をする。

 村に居た時、アンナの両親は幼い彼女に重労働を課して、出来なければ容赦なく暴力を振るった。


「アンナそれ、アル兄ちゃんには言うなよ。って、もう言う機会もないよな。そうだよな、俺も似たようなもんだったよ。勇者だって分って神殿が親に支度金払ってくれなかったら、俺も他の兄弟も奴隷商人に売られてただろうし」

「あはは、そうだよ。ハンスの家はあたしの親より酷かったもん。アル兄ちゃんとおじさんとおばさんがご飯食べさせてくれなかったら、あたし達村を出る前に死んでたよ。そうだよ、あたし達の命なんてそのくらいの価値しかなかったんじゃないの。死ぬのなんて今更だよ。元々あたし達の命なんて無かったんだよ」


 無駄に明るい口調で、アンナがとんでも無い事を言う。

 これはアンナの癖だ。怖い時ほど明るい口調で強がりを言う。

 アンナが親に何度も暴力を振るわれて、ガリガリに痩せてふらふらになるまで飯も食わせてもらえずに働かされていた時も、同じ様に強がっていた。


「俺とアンナはアル兄ちゃんに生かして貰ってたようなもんだった。それなのに俺アル兄ちゃんに、アル兄ちゃんに」

「ハンス。泣いてる暇ないよ。百合、あたし達神殿で誓ったんだよ。忘れちゃ駄目だよ」

「そうですね。神様に普通の魔物には効果的に効いたとしても、魔王討つには自分の命と引き換えにしなければならない、それでもこの力を望むかと聞かれた時、私達は自分の命が消えてもこの世界を、アルフォートさんが生きるこの世界を守る為に奥義を授けて欲しいと神様に願いました」


 なんだよそれ。

 あの日。神殿でハンス達は笑顔で俺のところに戻ってきたじゃないか。

 奥義を授けて貰えたから、これで魔王を倒せるって。そう言って笑ってたじゃないか。


「アル兄ちゃんがいたから、あたしは村で生きていけたんだよ」

「そうだよ。アル兄ちゃんに何度も何度もパンを分けてもらってこっそり食べたよね。あんまり食べると俺達の親にばれるから少しでごめんなってアル兄ちゃんは言ってたけど、あれ本当はアル兄ちゃんの分のパンだったって知ってたんだ。でもお腹が空いてどうしようも無くて、知らない振りして食べてたんだ」


 貧乏な村だったから、俺の家も人にやれるほどの金なんて無かった。

 それでも水で空腹を誤魔化しているハンスとアンナに、少しでも何か食べさせてやりたかった。


「誰一人知っている人が居ない世界に召喚されて、見た事もない魔物と戦えと言われて、怖くて苦しくて、そんな時アルフォートさんが守ってくれた。魔物からだけじゃなく、心も守ってくれてました」


 涙がこぼれ落ちる。

 俺はそんな出来た奴じゃない。

 いつだって必死で、自分の事だけに必死で。


「旅が終わったら、一緒に皆で暮らすって、無理なのにそれだけが希望だったな」

「孤児院作って、アル兄ちゃんは皆のお父さんになるって」


 奥義を放ちながら、アンナは楽しそうに夢の話をする。

 旅を始めて暫く経った頃、アンナとハンスは、突然旅が終わってからの話をし始めた。

 王都にも村にも帰らず、どこか住みやすそうな町で孤児院を始めたいと、小さな畑を作り牛や鶏を飼い、親が居ない子供達と一緒に皆で暮らしたいと。

 ハンスもアンナも親に虐待されて育ったから、同じ様な境遇の子供達がお腹いっぱい食べられて安心して眠れる場所を作りたいのだと。そう言い出したのだ。


「百合は癒やしの魔法で、救護院をやるんだっけ」

「そうです。アルフォートさんの作る薬と私の癒やしの魔法があれば、百人力ですからね」

「あたしは料理を覚えて、皆にお腹いっぱい食べさせてあげるの」

「馬鹿だけど、俺だって頑張るよ。剣士の技なら教えられるし、食べられる草とか狩りの仕方とかだって教えられるし」

「その為にお金だって沢山貯めたもんね」

「うん、いっぱい貯めたよね。俺達頑張ったよね」


 ハンスとアンナの夢は、四人の夢になった。

 辛い旅、魔王討伐の不安、苦しい道のりを、夢を話す事で乗り越えてきたのだ。


「あの時、アル兄ちゃんに言いたかったな。一緒に暮らすのが楽しみだよって」

「ずっと一緒にいるって、私も言いたかったです」

「俺達が成人しても、年をとっても一緒だって、皆の家を作って暮らすんだって言いたかったなあ」


 泣きながら、三人は歩き続ける。

 あの時、それは昨日の夜? あの最後の晩餐での話か。


「あんな酷い事を言ったのに、アルフォートさんにもう一度会いたいです」

「奇跡が起きて、アル兄ちゃんにごめんなさいが言えたりしないかな」

「俺達が死ぬのは知られたくないけど、でも最後にアル兄ちゃんに傍にいて欲しかった。アル兄ちゃんが側にいてくれたら死ぬことだって怖くないのに」


『やめてくれ、そんな風に言うのは』


 声に出したいのに、そう叫びたいのに口を開こうとしても声にならない。


「宝珠気が付いてくれたかな、俺達を嫌いになっても捨てずに持っててくれるかな」

「せめて宝珠だけでも、私達の代わりに側に置いていて欲しいです」

「アル兄ちゃんならきっと持っててくれるよ。あたし達に呆れても嫌いになっても、きっと持っててくれる。あたし達死んだらさ、それを目指してアル兄ちゃんのところに帰ろうね。絶対に帰ってせめて魂だけでもアル兄ちゃんの側にいようね」


 不要だったからじゃなく。

 ハンス達の代わりに置いていったのか?

 俺が役立たずだからクビにしたんじゃなく、死ぬ瞬間を見せたくなくて?

 そんなの、そんなの納得できるか。


『側に行く、お前達の側に。命を無駄に使わせたりしない。俺が、俺がお前達を守る、絶対に守るから!』


 叫びたいのに、うめき声しか出せなくて、これは夢なんだと知っているから早く目覚めなくてはと気ばかり焦ってしまう。


「アルフォートさん?」

「どうしたの百合」

「今アルフォートさんの声がした気がして。守るって、そう聞こえた気がしたんです」


 百合がキョロキョロと辺りを見回している。


「何も聞こえなかったよ」

「空耳でしょうか。でも守るって聞こえたの嬉しかった」

「ずるいよ、百合だけ俺も聞きたい。最後にもう一度アル兄ちゃんの声聞きたいよっ! アル兄ちゃんごめん、酷い事言ってごめん。嫌いにならないで、俺達を忘れないで、アル兄ちゃん、俺達怖いよ。死にたくない」

「なんで勇者なの、なんで聖女なの。あたし達だけなんでこんなに辛い事しなくちゃいけないの。怖い、怖いよ」

「駄目です、怖いなんて言ったら前に進めなくなる。魔王が強くなって私達の力で倒せなかったら、この世界が闇に呑まれてしまいます。私達は進むしかないんです」


『守るから、絶対に俺がお前達を!!』


 力が欲しい。皆を守る力、魔王を倒す力。

 俺が倒してみせる。俺が三人を守る。だから、だから。


『死ぬなんて言うな、命を費やさなきゃ使えない奥義なんて使わせたりしないから!』


 うめき声を上げながら、俺は夢から目覚めた。三人の元に向かうために。

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