第2話

「やけに静かだな」


 ゴシゴシと子供の様に目を擦り、無理矢理気持ちを奮い立たせた後、俺は冒険者ギルドにやってきた。

 村の中央部に位置するギルドは三階建ての大きな建物で、元は貴族の別荘だったというなかなかに年代物の無駄に豪勢な造りをしている。そのギルドの、豪華ででも古ぼけたドアを開けて中に入ると、何故か誰も居なかった。

 まだ朝ともいえない時間ではあるけれど、普通なら冒険者数人は居そうなものなのに、受付カウンターを見ても小さく光る魔道具が置かれているだけで人の気配すらなかった。


「鍵が開いてたんだから、受付の人間くらいいそうなもんなのに」


 基本ギルドはいつでも開いている。休みもしなければ閉まっている時間も無いのは、いつ依頼者が来ても、いつ冒険者が戻ってきても良いようにだと聞いた事がある。

 この国だけじゃなく、この世界のいたるところに魔物は生きていて人の暮らしを脅かしている。国の兵隊や騎士達は魔物を討伐する事は殆ど無く、冒険者がその任を負っている。

 人は常に魔物の脅威に脅えて暮らし、魔王が現れてからは更に脅威は増した。

 冒険者は常に不足しているし、討伐依頼が切れるなんてありえない。だからギルドは閉まる事がないのだ。


「出直した方がいいのかな」

「今日はどのようなご用件でしょうか」

「うわっ」


 誰の気配もなかった筈なのに、急に声を掛けられて驚いた。

 声の方を見れば受付に人が座っていた。いつの間に?


「私そんなに怖い顔していますか」

「い、いや。あんたいつからそこに」


 細身の女性金髪で緑色の瞳が目を引く、十人いたら十人振り返りそうな美人が不機嫌そうな顔をして受付に座っていた。


「ずっと座っておりましたが」


 いや、居なかった筈だ。だって俺ちゃんと見てたし。なんて、言い返せる雰囲気はこの人には無く、俺は賢く口を閉ざすことにした。


「パーティー離脱の手続きをしたくて」

「パーティー離脱ですね。私リアナが担当致します。よろしくお願いします。では、ギルドカードをお願い致します」

「ああ、これ」


 淡々と話す様子に戸惑いながら懐からカードを取り出し、リアナと名乗った受付に手渡す。


「アルフォートさんですね。はい、昨日パーティー離脱の申請を頂いています。こちらに署名をお願い致します。代筆は必要でしょうか」

「いや、いい」


 離脱手続き書と書かれた紙には、すでに三人の署名があってそれを見たとたん心臓がぎゅっと掴まれた様な気持ちになった。

 あれは三人の悪い冗談だった、扉の影から三人が飛び出してきて「騙されたね」と笑う。そんな希望を、かすかな希望を持っていたのに。

 今、三人の言葉は現実になったんだ。


「どうかなさいましたか」

「いや、ここに書けばいいんだな」


 百合の名前の下をリアナが指差し、俺は泣きたい気持ちを抑えて自分の名前を書き始める。

 ギルドで使っている紙は、羊皮紙と違ってぺらぺらと薄くて頼りない。

 俺が始めて紙を見たのはギルドだったか神殿だったのか、思い出そうとしてもたった五年前の事が思い出せない。五年の間に紙は珍しい物では無くなったのだ。

 五年という時間で、俺達は楽々魔物を倒せる様になり、子供だったハンス達は大人になった。

 村を出たあの日、神殿から城に向かったあの日、俺の上着の裾を不安そうに握って、離れないでと縋っていたあの小さな子供はもういないのだ。


「書いたよ。これでいいのか」

「はい。こちらで手続きは完了です。それからパーティーリーダーであるハンスさんからこちらをお預かりしておりますので、ご確認ください」

「これは」


 小さかったハンス達を思い出して感傷に浸る自分に、未練だと苦笑いするしかない。

 そんな俺に手渡されたのは、パーティで共有の財産を保存していたマジックバッグだった。


「これをあいつらが? どうして」


 表情が強張るのはもうどうしようも無かった。

 だって、これはこのマジックバックはパーティーには無くてはならない者だった筈なんだ。


「自分達は小さなマジックバッグを使うので、これはアルフォートさんに使って欲しいとの伝言です。中身をご確認いただけますか」

「不要だ。これは四人以外開けられないから」

「では、受取証に署名をお願い致します」


 呆然としながら署名して返す。

 ハンス達が持っている筈の小さなマジックバッグの方は、保存出来る数量に限りがある。数日分の食料と水と薬を入れたら容量はそれで一杯の筈だ。

 これから魔王の城に向かうというのに、どうしてこれがここにあるのか。

 疑問は俺の顔にでていたのだろうが、リアナは何も言わず俺の顔を見つめるだけだった。


「なあ」

「はい。他にご用はございますか」

「ああ、俺の口座を確認したい」


 百合の言葉が気になっていた。

 口座を確認するつもりはなかったけど、気になって聞いてみることにした。百合は、薬を買い取った金も振り込んだと言っていたけど、パーティーの財産の殆どを俺に渡しておいて、一体幾ら振り込んだっていうんだろう。


「はい。アルフォートさんの口座には現在金貨が三千二百十五枚、銀貨が」

「ちょっとまて今金貨何枚って言った?」

「三千二百十五枚です。失礼しました白金貨と大白金貨もございますね。今詳細を書きますね」

「いや、おかしいだろそれ多すぎる」


 大白金貨という言葉に思わず口を挟む。

 金貨の上が白金貨、その上が大白金貨だ。

 俺達はそれなりに稼いでいたとはいえ、大白金貨が何十枚もあるなんておかしいんだ。

 

「昨日、パーティーの口座でお預かりしていた金額の他、三人の口座すべてをアルフォートさんの口座に移しましたので、金額は相違ありません。こちらが口座に振り込まれている詳細です。ご確認ください」


 リアナが渡してきた紙には、俺が記憶していたパーティー口座の額を遙かに超えた金額が書かれていた。


「アルフォートさん?」

「これじゃあいつらの口座には殆ど残っていないんじゃ」


 パーティー口座とあいつら三人の口座、それを足したらこの位の数字になるかもしれない。だけど、記憶通りならあいつらの口座はほぼゼロになる。そんな事をする理由が分からなかった。


「そうですね。パーティーの口座と三人の口座は昨日廃止手続きをハンス様が手続きされましたので。手持ちで幾らお持ちかは分りかねますが、口座に入っていた分はすべてアルフォートさんの口座に移されていたかと」

「おい」


 リアナの言葉はとてもまともに聞いていられるものじゃなかった。

 だって、三人は持ち金の殆どを俺の口座に移したと聞こえる。

 三人は持っている物すべてを俺に与えようとしている様に、俺の耳には聞こえてしまうんだ。


「守秘義務がありますので、通常であればこんなお話は致しませんが。今回は特例でお話します。昨日ハンスさん、アンナさん、百合さんの三人はアルフォートさんのパーティー離脱の手続きにいらっしゃいました。三人が勇者様と聖女様だとは存じておりましたし、アルフォートさんがその三人を支える補助者だとも存じていましたので、離脱の手続きと伺い驚きましたが、口座の中身をすべてアルフォートさんの口座に移すと伺って更に驚きました。パーティー離脱の際には大抵残った方達で離脱者の口座の中身を分けようとする方が多いですし、パーティーの共有財産を、しかも貴重なマジックバッグを渡すなんて話を聞いた事などありませんから」

「そうだろうな」


 俺はもう、泣いていいのか驚いていいのか分からなかった。

 驚き過ぎて、嘆き過ぎて何も考えられなかったんだ。


「三人は躊躇う事無く、口座を停止しアルフォートさんの口座にすべて移動する手続きをされ、ここを出て行かれましたが、その後ハンスさんだけが戻ってきてマジックバッグを預けていかれたのです」

「ハンスが」


 もう何に驚いたらいいのか、気持ちが付いていけなくなっていた。


「すまない、マジックバッグの中身を確認したい」

「どうぞ」


 共有財産として、様々な素材をマジックバッグの中に保存していた。

 三人の装備を整える為に集めた素材は、ついこの間神託の神殿でハンス達が勇者と聖女の奥義を極めた事で不要となったから、使わずにそのままにしてあったのだ。

 ユニコーンの角、青龍の鱗と玉、緑龍の鱗と玉、コカトリスの牙その他様々な素材がここに入っている。

 ユニコーンの角は素材そのものを持っているだけで、治癒力が上がる。

 もしかしたらその手の素材だけは持っていったのかもしれない。

 買いたいとギルドに依頼を出して手に入るものじゃない。

 価格は天井知らずだと聞いたことがある。

 そうだ、きっと。あいつらは律儀にその分を精算したんだ。


「嘘だろ」


 マジックバッグは、登録された使用者のみ中身が一覧出来る。

 どういう仕組みなのか分からないけれど、入っている物の名前が頭の中に浮かぶのだ。

 中身の一覧をして、減ったものがないと分かった。

 部屋で作った薬は、小さなマジックバッグの方に入れていたから関係ない。

 百合が言っていた薬の買い取りがあれだけなら、金貨三十枚もあれば十分だ。


「何か足りないものがございましたか」

「いや。足りない物はない、そうじゃないんだ」


 俺の記憶よりも増えていた物が三つ。

 ハンス達にお守りだと渡していた、身代りの宝珠。

 それがここに入っていたのだ。


「アル兄ちゃんありがとう。これで安心して戦えるよ」


 サラマンダーの魔石を元に制作者である俺の血と、不死鳥の血を媒体として作った身代りの宝珠は、身につけていれば死にそうになっても一度だけ命を救ってくれるという魔道具だ。

 これを作って三人に手渡した時、あいつらは嬉しそうに首に宝珠を付けた革紐を首に掛け、それ以降ずっと肌身離さず持っていた。それなのに。


「これすらもういらないのか」

「アルフォートさん?」


 命をかけた戦いをするのだとわかっているくせに、命を守る為の物すら置いてあいつらは旅立っていったっていうのか。


「こんな物に頼る程弱くない、そういうことか」


 守っているつもりだった。

 支えているつもりだった。

 それらは全部俺の自己満足でしかなかった、そういうことなのか。


「手続きありがとう。こんな時間に対応してもらえて助かったよ」


 礼を言ってギルドを後にした。

 重さを殆ど感じない筈のマジックバッグを持つ左手が、やけに重かった。

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