宇田川君は今日も疑う

鍵崎佐吉

謎の箱

 六時間目の数学が終わって皆で教室の掃除をしていた時、宇田川君が私に話しかけてきた。

「相沢、少し話したいことがあるんだ。掃除が終わったら図書室に来てくれ」

 宇田川君はそれだけ言うと私の返事を待たずにどこかへ行ってしまった。宇田川君がこういうよくわからない行動をするときは、たいてい何か新しい謎を見つけた時だ。彼はいつも世の中の色んなものを疑っている。例えば教室のチョークの本数が昨日から二本減っているとか、英語の山崎先生が今日は腕時計をつけていないとか、そういう誰も気づかない細かい出来事をいつも気にして、そこには隠された陰謀があるんじゃないかと考えている。だからはっきり言ってしまえば宇田川君はかなりの変わり者だ。だけどそういう彼だから一緒にいると退屈しない。今日は特に用事もないので、彼の言う通り後で図書室に行ってみることにした。


 私は冷えた廊下から暖房の効いた図書室にそそくさと入る。すると部屋の奥の方に立っている宇田川君と目が合った。彼は私に手招きをして本棚の影に姿を消す。どうやら他の人にはあまり見られたくないようだ。と言っても図書室には四人しか人がいないし、皆本を読むのに夢中で私たちのことはどうでもいいみたいだ。これなら別にコソコソしなくてもいいんじゃないかな、と思いつつ私も部屋の奥に歩いていく。そして特に人気のない、難しい歴史の本が並んでいる本棚の前にいる宇田川君を見つけた。ここなら誰からも私たちの姿は見えない。

「急に呼び出してすまない。でもどうしても話したいことがあったんだ」

 宇田川君は声を潜めて私に言った。それにつられて私もつい小声で返事をする。

「いったいどうしたの?」

「さっき気づいたんだが……机の中にこんなものが入っていたんだ」

 そう言って宇田川君は足元に置いた黒いリュックから一つの箱を取り出した。片手で持てるくらいの大きさで、ちょうど文庫本を二冊重ねたくらいだろうか。白とピンクのしま模様をした包装紙で綺麗に包まれている。

「それは……」

「今朝見た時には確実に入っていなかった。多分昼休みに俺が席を立った隙に誰かが入れたんだろう。何か怪しい素振りをしているやつはいなかったか?」

「……うーん、ちょっと覚えてない」

「そうか……。まあそこは後回しでいい。重要なのはこの中身がいったいなんなのかということだ」

「なら開けてみれば?」

「ダメだ」

「え、なんで?」

「この箱からは……何か得体の知れない気配を感じる……!」

 ああ、また始まってしまった。宇田川君は頭はいいけど、その代わりに色んなことを考えすぎる。そしてそれはいつも陰謀とか策略とか、そういう物騒な方向に向かっていく。私が思うに、多分それは宇田川君がスリルを求めているからだと思う。勉強も運動も得意な優等生の彼からしたら、今の学校生活は少し退屈に感じられるのかもしれない。

「中には何かが入っているようだがかなり軽い。だからさほど危険なものではないだろうが油断はできない」

「ねえ、一つ聞きたいんだけど」

「ん、なんだ?」

「これ、私に相談してるのには何か意味があるの?」

「ああ、もちろんだ。相沢はクラスの中で一番信頼できる相手だ。もしも俺の身に何かあった時には相沢がこの件を引き継いでくれ」

「さっき危険はないと思うって言ってなかった?」

「あくまでも保険だよ。どんなに小さい可能性も無視するわけにはいかないからな」

 なんだか拍子抜けした気分だけど、宇田川君にクラスの中で一番信頼されているという事がわかったので、もう少し話を聞いてあげようと思う。

「まずわかるのはこれは何らかの計画の一環だということだ。これは間違いない」

「計画? どうしてそう思うの?」

「この包装紙が学校の備品でないのは明らかだ。おそらく前日からすでに準備していたんだろう。つまりこれは計画的な犯行であると言える」

「まあ、確かに」

「そして犯人はこの行為を誰にも気づかれたくなかった。気づかれてもいいのなら直接渡せばいいだけだからな。そうである以上、それは人に知られたくない、何か後ろめたい行為であるということだ」

「うーん、そういう捉え方もできるかもね」

「昼休憩は教師の出入りはない。そもそも教師が生徒の机の中に何かを入れていたら目立ちすぎるしな。だから犯人はクラスの中の誰かだ」

「うん、そうだね」

「……誰かが俺に恨みを持ってるとか、そういう話を聞いたことはないか?」

「え、ないない。全然ないよ。うちのクラス、仲良いし」

「……まあ、そうだよな。俺も皆を疑いたくはない。しかしそうなると犯人の目的はなんだろうか……?」

「単純にその箱を渡したかったんじゃない?」

「それなら直接渡せばいいじゃないか。いや、それができなかったという事はつまり……」

「つまり?」

「悪意はないが他人に知られたくない。例えば俺の気づかないうちに何か俺の持ち物を盗んで、でも後になって罪悪感にかられてそれをこっそり返そうとした。もしくは……」

「あのさ、宇田川君。ずっと気になってたことがあるんだけど、言っていい?」

「え? ああ、かまわないが」

「今日、何の日か知ってる?」

「何の日って、今日は二月十四日だから……あっ」

「……やっぱり気づいてなかったんだね。今日はバレンタインデーだよ」

「じゃあこれは……」

「多分チョコなんじゃない?」

 宇田川君は頭はいいのに、妙に鈍いところがある。さっきも図書室に行くまでに二回も宇田川君を見なかったか聞かれた。多分あの子たちはチョコを渡すつもりだったんだろう。それなのに当の宇田川君はこうして図書室に隠れてしまっているわけだ。もしかしたら今頃、新しい箱が宇田川君の机の中に入れられているかもしれない。

「でもこういうのって誰が渡したかわかるようにしないと意味ないんじゃないか?」

「……なら開けてみれば? 中に送り主がわかるものが入ってるかもしれないし」

「まあ、そうだな」

 宇田川君は慎重に包装紙をはがしていく。出てきたのは綺麗な赤い箱だ。表面には『Present for You』と書かれている。

「店で買ったやつっぽいけどブランド名が書いてないな」

「これ手作りだよ。お店のチョコみたいに見える箱付きのキットがあるの」

「へぇ、そうなのか」

 宇田川君はゆっくりとその箱を開ける。中に入っていたのはハートの形の小さなチョコが六つ。それだけだった。どこにも名前を書いた紙とかそういうのは見当たらない。

「やっぱり送り主は不明なのか」

「そうみたいだね」

「うーん、なんで直接渡さなかったんだ……?」

「……恥ずかしかったんじゃないの?」

「そういうものか……」

「そういうものだよ」

「しかしこれじゃお返しもできないな」

「しなくてもいいんじゃない? きっとただ渡したかっただけなんだよ」

 とにかくこれで謎の箱事件は無事に解決したわけだ。宇田川君もこれで満足しただろう。

「……いや、待てよ。俺は大きな見落としをしていたかもしれない」

「え、なに?」

「もしそうであるなら……」

 宇田川君はそう言って黙り込んでしまった。箱の中身がわかった以上、今残されている謎は誰が送ったか、ということしかない。まさか宇田川君は気づいたというのだろうか。でも、いったいどうやって……?

「……相沢、教室に戻ろう。そこに答えはあるはずだ」

 私はただ黙って宇田川君についていくことしかできなかった。


 教室に戻って来た宇田川君は、黒板の横の掃除当番表をじっと眺めている。しばらくして私の方に振り返り、口を開いた。

「あれの送り主がわかった」

「……そう、なんだね」

「俺は一つ勘違いをしていた。それは箱がいつ入れられたか、ということだ」

 私はただじっとその話を聞く。宇田川君も淡々と言葉を続ける。

「俺は自分が唯一席を立った昼休憩に入れられたんだと思っていた。でも本当はそうじゃなかった。昼休憩は半分くらいの生徒は教室に残っている。箱を入れるとしても誰かに見られる可能性は高い。だから送り主はもっと安全かつ確実に入れられるタイミングを選んだ。あの箱は俺が見つける直前、つまり掃除中に机に入れられたんだ」

 宇田川君は掃除当番表を指さす。

「俺は今日は教室前の廊下掃除だ。ここは一番早く掃除が終わる。そして掃除中に誰も教室を出入りしていなかったことも覚えている。つまり箱を入れたのは教室掃除担当の生徒だ。教室掃除なら全員の机を運ぶから、その時に誰にも気づかれないように箱を机に入れることができる。……そして教室掃除をした生徒の内、女子は二人だけだ」

 当番表に書かれている名前は相沢と山下だ。そして多分、宇田川君はどっちが送り主なのかわかっている。

「……なんで山下さんじゃなくて、私だって思うの?」

「……山下からは図書室に行くときにもらった。そっちは袋に入ってたから、あの箱がチョコだってすぐには気づけなかったんだ」

「……はぁー、そっか」

 あーあ、バレちゃった。私、めっちゃ恥ずかしいじゃん。ていうか宇田川君、モテすぎ。

「その、気づかない振りした方が良かったのかもしれないけど、探偵になったみたいで楽しくて、つい」

「まあ宇田川君はそういう人だよね」

「でも相沢からもらえたっていうのは、その……嬉しかった」

「皆には内緒にしてね……?」

「ああ、もちろんだ」

 こうして謎の箱事件は本当に解決したのだった。やっぱり宇田川君は頭がいい。だけど一つだけ気になることもあった。

 宇田川君は何でも疑う。自分でも「どんなに小さな可能性でも無視するわけにはいかない」と言っていた。確かに宇田川君の推理は当たっていたけど、誰かがこっそり昼休憩に箱を入れた可能性もゼロではない。それでも宇田川君が箱を入れたのは私だと考えたのは、そこに宇田川君の願望も少し混ざっていたからじゃないだろうか。私が心のどこかで宇田川君に気づいて欲しいと思っていたのと同じように。

 だけどそれを確かめる方法はない。もしかしたら宇田川君本人にだってその答えはわからないかもしれない。きっと世の中には答えのない問題だって存在するんだ。だから宇田川君は色んなものを疑っているんだろう。そして私は、そんな変わり者でちょっぴり不器用な宇田川君のことが、やっぱりどうしようもなく好きなのだった。

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