2.魔女は利発になりたい

 一晩中、白紙をじっと見つめても何も書けなかった。この気持ちをどう説明するばいいのか。

 目が覚めると朝になった。曇り空だ。

 雲が厚く、太陽が雲に遮られてよく見えない。ヴィクトルさんと出会ったあの日を思い出す。

 ガーデンで水やりをすると、ヴィクトルさんの声がした。


「ルフィナ、ここにいたのか」

「あっ、ヴィクトルさん。今日も傷薬を取りに?」

「さすがにそこまで早く使い切っていないよ」と、笑いをこぼす。


 珍しい。傷薬を取りに来るじゃないのか。

 それだけでも珍しいのに、今日のヴィクトルさんは鎧姿、もしかしてなにか危ないことでもあるのかな。


「ヴィクトルさんの鎧姿は初めて見たんです、なにかありましたか」

「最近は物騒だ。賊も多くなってるから、ルフィナもちゃんと気をつけて」

「そう、ですね」


 王国と大公国の仲はあまりよろしくないみたい。でも、この森にいると大丈夫。何度も戦を回避したことがあるらしいから。

 ヴィクトルさんもそんな心配な目をしなくてもいいのに。そう告げると、彼は自分が心配性だと返事した。


「おや、おふたりさん朝は早いね」


 ガリーナ婆さんがふらりとヴィクトルさんの後ろに現れ、微笑みながら挨拶した。


「ガリーナ婆さん!」

「おはようございます、ガリーナさん」

「今日は太陽が見えないのね」

「ですね。でもちょっと涼しいので、嬉しいです」


 ヴィクトルさんは私の話に頷く。鎧姿じゃ暑そうだ。


「ルフィナは冬のほうが好きだものね――そういえば、昨日が言ってた買い出しの件はどうなったのかい」


 ガリーナ婆さんはちらちらと私とヴィクトルさんを見る。


「今から買い出しに行くのか?」

「おや、ヴィクトルさんは興味あるのかい」

「最近は賊も多い、ルフィナがひとりだと心配だ」

「よかったわね、ルフィナ。ヴィクトルが付き合ってくれるそうだよ、買い出しに」

「そ、そうなのですか、ヴィクトルさん」


 予想外の申し出に、声が震えた。もしかして、これって、いわゆる、デートってこと? い、いえ、これは買い出しよね。


「買い出しはいつなのか、ルフィナ」

「もちろん今日だよね、ルフィナ?」


 ガリーナ婆さんは意味深の笑みをこぼした。き、今日? 無理、無理、無理だ。

 だって。髪も整ってないし、服もこんなのだし、手紙も書き終わってないし。絶対ヴィクトルさんに嫌われる。


「き、今日は無理です。明日にしましょう」

「わかった、明日の朝に来るよ」

「本当にいいんですか。その。騎士の仕事もあるのでは」

「住民の身の安全を守るのも騎士の仕事だ」


 即答だ。とてもヴィクトルさんらしい真面目の答え。かえって断りづらい。

 いまさら怖気づいたなんて言えないし、嫌われたくないのだ。

 懸命にこころの不安を押し込めて、頷いた。


「わかりました、明日はここで待ちます」


 ヴィクトルさんは私の返事を聞くと満足げに微笑む。明日の待ち合わせをもう一度確認すると、仕事に戻った。

 彼を去った瞬間、緊張が一気に解放した。


「うう、ガリーナ婆さん、どうしてそんなことを言うんですか」

「いいチャンスじゃないかい。それに、賊はどこでもいるからね、わたしは心配だよ」

「でも。ちゃんとした服もないし、手紙も書き終わってないんですよ。訛りだって」

「ならいつ準備が終わるのかい」


 ガリーナ婆さんはじっと私を見た。まるで師匠に叱れたように、身動きが取れなかった。


「うう、それもそうですね」

「ルフィナ、大丈夫。わたしは応援するよ」

「ガリーナ婆さん」


 なぜか泣きそうになる。別に悲しいわけでもないのに。


「ヴィクトルにいじめられたら、わたしに言いなさい。ガンガン殴るわ」

「ヴィクトルさんはそんな人じゃありません」

「……少し落ち着いたかい」と、ガリーナ婆さんは微笑む。

「うん、私も頑張ってみます!」


 ガリーナ婆さんと一緒に服を選んで、明日の予行練習をした。訛りもできるだけ治した。

 どんなことがあっても大丈夫。大丈夫だと自分に言い聞かせた。

 明日が来るのは早い。ヴィクトルさんは時間通りに姿を現す。鎧姿じゃなく、私服で。腰のあたりに長剣があった。


「ヴィクトルさん、早いですね」

「市場の朝も早いから。早めに行って損はない」

「それも、そうですね」


 適当に相槌を打つ。正直に言うと、街へ行くのは久しぶりだから、今はどうなってたのかよく知らない。

 すると、ヴィクトルさんがわざわざ馬車をつれてきた。このほうが安全だと彼が頼もしそうに話した。


 半刻くらいがすぎて、街まで到着した。

 朝なのに、どこも人だらけで。熱気が溢れて、森とは大違い。前と比べて、いろんなものが増えた。知らない店ばかりだ。


「行きつけの店はあるか」と、ヴィクトルさんは尋ねた。

「えっ、あの」


 行きつけの店なんていない。街へ来るのは一年ぶりだし。おろおろして、情けない私を見て、ヴィクトルは再び質問した。


「先に買いたい物はあるか」

「それなら――」


 珍しい薬草と、薬学の本を買いたい。

 そういうと、ヴィクトルさんが親切に案内してくれた。薬師なのに、薬草の店の場所すら把握できないなんて、恥ずかしい。

 ヴィクトルさんは街に詳しい。まるで彼の庭のように、私をつれてどこまでも行けそうだ。


「ルフィナはやっぱり薬草には詳しいだな」

「薬師なのですから」

 薬草とその他の荷物を抱えながら、ヴィクトルさんに告げた。


「俺はどれがどれだかさっぱりだ」

「ヴィクトルさんも勉強すればできます! 私よりも賢いですから」

「そんなことはない。俺の知ってる人の中で、ルフィナは賢いし、一番の努力家だ」


 ヴィクトルさんはあたりまえのように話す。彼の褒め言葉を聞いて頬は思わず熱くなる。

 まるで最初に会った時のように、まっすぐで。


「そんな。私なんて、完璧には程遠いです」


 懐に抱えている薬草に目を落とした。師匠の話を思い出す。薬師はいつも完璧を目指さないとダメなのだ。人の命がかかってるから。


「誰でもそうだろ。俺だって剣の使い方はまだまだだ」

「ヴィクトルさんでもそうなのですか?」

「もちろんだ。俺よりも上の人はいっぱいいる、どうすれば彼らに勝てるのか毎日も悩むさ」


 彼よりも剣技が勝る人がいるなんて。賊に囲まれたときでも、たったひとりで五人に勝ったのに。

 素敵で完璧そうなヴィクトルさんにもそんな悩みがあるとは。それを知った途端、彼がとても近い存在だと感じた。余計に意識する。

 気がづくと、私も彼もたくさんの荷物を抱えた。薬草と薬学の本、おまけに食べ物や生活雑貨まで。


「うう、ちょっと、重いです」

「大丈夫か。俺が持つか」


 ヴィクトルさんの助けのおかげで、難なく荷物を馬車に置くことができた。


「言った通り、馬車があったほうがいいだろ」と、ヴィクトルさんは珍しく得意げに話した。

「でも馬さんが可哀想です」

「ルフィナは久しぶりに街に来たから、一回くらいなら馬も許してくれるさ」


 ヴィクトルさんは馬を撫でながら言った。


「――おい、ヴィクトル、なにをしているのか?」


 ふとヴィクトルさんの隣から明るい声がした。彼と同じ騎士で、しかし彼よりもすこし若い男だ。


「住民の安全のために、警備している最中だ。そっちこそ、サボってるじゃないよな」

「ヴィクトルは真面目すぎ」と男は何度も彼の肩を叩く。

「何を言う、森からの道は険しく、危ない道のりだ。若い女性を守るのはあたりまえだろ」

「森って――」

 男はちらっと嫌な目で私を見た。「森って、魔女の森じゃないか。頭がおかしいな人ばかりだぞ」

「おい、口を慎め!」


 ヴィクトルは男を睨みながら、襟首を掴む。

 やはり、街にも森の民を敵視するものがいる。

 これは差別だ、って、はっきりと啖呵を切る勇気があればいいのに。その剣幕を見て、なにも言えなかった。


 こころなしか、『魔女』の字が出た途端、人々の私を見る目がいきなり変わった。

 頭を垂れることしかできなかった。

 どうしようもなく悔しかった。森の中には優しい人もいっぱいいるのに。彼らのために、一言すら言えなかった自分が嫌になる。

 ヴィクトルさんは私をかばったけど。


 私と一緒だと、魔女の仲間と思われるのかも。彼にまでそんな目を遭わせたくない。

 ひろりと涙がこぼれる。悔し涙を隠すために、街から遠くまで走った。

 夕日がしつこくつきまとう。道が無限に広がるように伸び続けた。


「待ってくれ、ルフィナ!」


 後ろからヴィクトルさんの声がした。それを無視すると、いきなり私の腕は掴まされた。

 振り返えたくない。

 もう迷惑をかけたくない。涙を見せると、優しい彼ならきっと私をなだめる。


「さっきのは悪かった。あの男はいつも口が悪い、気が触ったら彼の代わりに謝る。申し訳ない」

「もう、いいんです」


 彼の手を振りほどいて、茜色を差す道を歩く。


「ひとりでどこへいく、危ないんだぞ」


 ヴィクトルさんは私の手を引き止める。


「もう、ヴィクトルさんに迷惑をかけたくありません。ここからは自分ひとりで」

「俺のことは心配しなくてもいい、大丈夫だ。これも仕事なんだから」


 仕事、その一言が強くこころに刺された。ヴィクトルさんは責任感が強く、仕事熱心なのは彼のいいところだ。

 でも。全部も『仕事』って一言でくくりつけると、冷たく突き放された気がした。

 身勝手なことを思う自分がさらに嫌になる。


 勇気がない、完璧じゃない、自分勝手で魔女である私が、ヴィクトルさんと一緒になる資格はない。さらに迷惑をかけるだけだ。

 もっと、利発そうな、勇気があるような人であればよかったのに。こんな。こんな。

 涙が止まらなかった。


「ヴィクトルさんなんて、嫌いです!」


 彼のことを後にして、走り出した。

 長い道が荒野のように、荒々しい風は私の頬に当てる。獣の爪のように。

 言ったそばから後悔した。

 なぜそんな心もないことを言うのだろう。泥沼に飲み込まれた気分だった。

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