魔女はラブレターを書きたい
五月ユキ
1.魔女は達筆になりたい
「ガリーナ婆さん、無理ですう」
テーブルに置いた純白の紙を見て、頭が真っ白になる。
向こうに座るガリーナ婆さんを見ると、彼女はマフラーを編みながら、ゆっくりと口を開く。
「ラブレターを書くっていうのはルフィナじゃないかい」
「そうだけど……」
無理だった。今時の殿方に告白するには手紙が人気らしいと聞いたのに。淑女のたしなみとかなんとか。
私も手紙を書ければ、告白できると思ったのに。
紙は真っ白。何度も見つめたのに、何も書けなかった。思いの丈を綴るだけなのに、難しい。
やはり魔女には無理なのだろうか。
「魔女とは関係ないのよ」
「はっ、ガリーナ婆さん、私の心を」
「ルフィナはわかりやすいからね」とガリーナ婆さんは微笑む。
魔女と言っても、おとぎ話のようにホウキで飛べるはずもなく、できるのは薬作りだけ。薬師のほうが正しいだろう。
薬を作れるだけで差別される時代もあった。人には理解できないものに恐れを抱くのだ。ゆえに多くの薬師は森の深くに住む。
今は差別はなくなったが、それでも深い溝がある。訛りだ。
同じ王国語を使ってるのに、森深くに住んでるせいか、街で聞く今時の王国語とは違う発音になる。誰でも一声でバレてしまうのだ。
「面と向かって告白するのは、怖いです」
「訛りの事かい」
「ふつうのおしゃべりならともかく、緊張すると標準語じゃなくなる。きっといやになるんです」
「相手はそこまで気にするタイプじゃないと思うよ」
「私が気になるの」
だって。標準語じゃないと。きっと嫌われてしまうのよ。手紙なら話は別だ。文字を書くだけだから、訛りがあっても大丈夫。
我ながら素敵なアイデアと思うのに。なかなか書けない。
「なら簡単に『好きです』って書けばいいのよ、ルフィナ」
「ダメです。思いの丈をうまく綴らないと」
好きだって言われたら、どこが好きなの、どうして好きになったのって聞くのでしょ。そこも書かないと伝わらないのよ。きっと。
「それじゃいつまで経っても書き終わらないわよ」
ガリーナ婆さんはため息まじりに言う。
「うう、助けてください」
「ならルフィナはなにを書きたいのかい」
「そうね」
少し考えると、ガリーナ婆さんに話した。
「ヴィクトル様、最初森であったときから好きです。曇り空の日で、あなたが怪我したときに私が偶然に通りかかって、思わず訛りのある王国語で話しかけたのに、不思議そうな目で私を見るのではなく、ふつうそうに私と――」
「待って。待ちなさい、ルフィナ」
「どうしたんですか」
「それじゃただの日記だよ」
「だって。ちゃんと完璧に説明しないと、私の恋心をですね」
師匠もいつも言ってた。薬は完璧に仕上げないといけないって。子供のときはこっぴどく叱れた。
なら、手紙も完璧に書かないと、一人前になれない。
「それでもただの日記だよ」
「どうして?」
「ルフィナのことしか書いてないし、手紙の相手を全然見ていないんじゃないかい」
「それも、そうよね。もしヴィクトルさんが私のことが嫌いなら、こんなはた迷惑の手紙を受け取りたくありませんよね」
「そこまで言ってないわよ」
ガリーナ婆さんはマフラーを編み続けた。
すんなりと編み進める様子が羨ましい。私の手紙もマフラーみたいに早く進めればいいのに。
「まずは名前だけでも」
ヴィクトル様、と。少しだけ進んだ気がした。そう、そんな気がしたのだ。実際は名前しか書いていないし、どうすればいいのか。
まったくわからない。その時だった。
扉を叩く音がした。
朝早くこんな時間なら、きっとヴィクトルさんだ。必死に名前を書いた紙を引き出しに押し入れて、扉まで走った。
気をつけるのよ、ルフィナ、と後ろからガリーナ婆さんの声が耳に届いた。が、心臓の鼓動が邪魔で、半分くらいは聞き流した。
薬の素材が雑乱に地面にちりばめる。おかげで走るのに、うまく避けないといけない。次はちゃんと片付けないと。
髪を完璧に整え、深呼吸して扉を開く。草木の匂いとともに、彼の姿は目にうつる。
「ヴィクトルさん、おはようございます」
「毎回もよく俺だとわかるな」
「はい、毎日もこの時間で来るのはヴィクトルさんだけですよ」
大丈夫かな、髪は乱れていないよね。訛りはどうなの。ちゃんと標準語になれたのかな。頭もさっきの紙と同じく真っ白になる。
「このあたりの見回りはいつもこんな時間なんだから」
彼は気さくに笑う。その笑顔を見るだけで口元が緩む。
「今日も薬を貰いに来たのでしょうか」
「そうだ、今日も頼む」
いつも通りに棚からいくつかの傷薬を取りだす。ヴィクトルさんは丁寧に受け取って、バッグに入れた。
「ルフィナ、本当にひとりで大丈夫か」
ガリーナ婆さんは時々街からお茶を飲みに来るし、ひとりとは言いがたいけど。
「大丈夫ですよ」と、私は微笑む。
彼は辺境を守る騎士のひとり。私が住んでる森は辺境と近いから、彼は毎回決まって同じことを聞く。
「そうか。いつも言ってるけど、なにかあったら俺を探してくれ」
「そうします」
すると、彼は急に視線を右のほうへ向く。果物を育てたガーデンがある。とてもおいしいメイフォンもある。ジュースにしたら、絶品だ。
「そういえば、ここの果物は立派になったな。ここまで大きくて赤いメイフォンは初めて見た」
「そうです。おいしいそうです、ジュースに――」
甘々ジュースを想像したら、思わず訛りがでっちゃった。慌てて口を封じる。
「どうかしたか」と、ヴィクトルさんはなにも気づいていないようで、少しホッとした。
「ううん、なんでもありません。収穫できたら、ヴィクトルさんもぜひ試してみてください」
「それは楽しみだ」
ヴィクトルさんは微笑む。その黒曜石の瞳がじっと私を見たのだ。
心が吸い込まれた。頬が熱を感じる。
はやく。好きだと言いたい。
――ダメだ。緊張すると訛りが出てしまう。やはり手紙で告白するしかないのよ、ルフィナ。
達筆になりたい、と無性に思う快晴の日でした。
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