第38話 浅斗

 朽木と成神は門の魔術により難なく教会の内部に侵入した。朽木にして見れば久しぶりの帰省とも言えるが懐かしさを感じる余裕は無かった。


「さてと、色々と察するに君の目的は浅斗君が眠っている部屋にあると思うんだが。どうかな?」


 成神から浅斗の名前が出た時、朽木の表情にかげりが見られた。過去の因縁は自分を決して逃しはしないのだろう。自分は罪と向き合うべきだ。だがその因縁に関係が無い井須が巻き込まれるのは間違っている。それだけはなんとしても止めなくてはならない。


「そうだな。その可能性が高い。成神、お前はどうするつもりだ?まさか本当にこのまま教会を裏切って俺に協力する気なのか?」


「信用できないかもしれないけどそのつもりだ。ここまで来たのなら最後まで付き合うよ。君達の結末を見届けたい。それに教会が残っていると僕の隠居生活に支障をきたしそうだしね。この機を逃すつもりは無いよ」


「そうか、もう疑うのも面倒だ。勝手にしろ。さっさと行くぞ」


 互いに強がっているが本心は別にある。それを互いが分かっているからこその信頼。それはいびつではあるが確かなモノだった。

 朽木は改めて覚悟を決め、少し重い足を進めた。その部屋の前まで来た時にそれは確信に変わる。扉越しでもアノ桁違いな禍々しい気配は感じられた。この扉の向こうに間違いなくヤツがここにいる朽木は震える体を無理矢理動かしてその扉を勢い良く開けた。

 そこには予想していた通り井須を拐った人形ひとがたの何かと治療用の機械の様な物に寝かされている浅斗、そしてその近くで倒れている井須がいた。

 朽木は直ぐにでも井須の元に駆け寄りたかったが、迂闊うかつに動くのは危険だと朽木の本能が警鐘を鳴らした。


「この素晴らしい瞬間にこうも邪魔されるとはつくづく人間は度し難い」


 何かがこちらの方を向く。相変わらず脳内に直接言葉を入れられている様な感じではあったが、組織ユニオンで遭遇した時とは違い怒りと殺気が明確に感じられた。


「貴方が直接動くなんて余程追い込まれているのですね教祖様。いや、全にして一、一にして全なるヨグ=ソトースの化身ウムル・アト=タウィルと呼ぶべきですか」


 成神がソノ正体不明の何かにそう呼びかける。


「成神か、貴様等が使えないからな仕方なくだ。それよりも今まで何をしていた?まぁ、どうでも良い。最後の仕上げをする。手を貸せ」


「申し訳ないが断らせて戴きます。貴方についてても救いは無い。ただ貴方の都合の良い道具として使われるだけ。最初から人間の世の救済など貴方は興味すらない。俺は貴方の超常的な力に盲信し、自分を見失っていた。敗北してようやくそれに気づけた。だからもう俺は貴方の指図には従わない」


 成神は今までのどこかふざけた様な軽い口調ではなく、力強くそう言い切った。


「愚か者、何にせよ我が全てを統べるのだ。救済など関係なく我にこうべを垂れ従うのが賢い選択だ。それが分からない貴様では無いだろう」


「貴方が統べる世界に最早、何の興味もわかない。どちらを選んでも地獄なら俺は信じたい方を選ぶ。朽木、俺が地獄までつきあってやる。ヤツを倒すぞ。井須君を助けたいんだろ」


「あぁ、お前なんかの協力なんて願い下げだと言いたいところだがここは無理にでも協力してもらうぞ成神」


 目の前には計り知ることができない強敵。恐怖はあるだが思いもしなかった心強い味方が今、ここにいる。そして何としても助けたい人がいる。朽木は戦闘態勢をとった。

 その時、ウムル・アト=タウィルと呼ばれたモノとは別に凄まじい禍々しい気配を感じとった。その方向を見ると倒れていた井須が起き上がっていた。


「朽木さんと成神さんですか…お久しぶりですね」


 そう言葉を発したのは井須であって井須では無かった。


「お前もしかして…浅斗なのか?」


 思わず声が震える。


「御名答です。流石は朽木さんですね。この体の持ち主は今、俺の体で代わりに眠てもらっています。それにしてもついている。目覚めて早々、会いたかった2人に会えるなんて」


 井須浅斗はゆっくりと朽木達に歩み寄ってくる。

 こうなる可能性は事前に予想できていた事だった。前々からその時の覚悟も決めていたつもりだ。だが、この事態に朽木の体は固まってしまった。


「本当に良かった。何せずっとこの手で殺してやりたいと思っていましたからね」


 井須浅斗が朽木の方に手を伸ばす。


「何を呆然としているんだ朽木!」


 成神が叫ぶ。朽木が立っている床が突如として腐食し崩れ落ちた。


「あれ、おかしいな?外れるなんて。あぁ、成神さんが何かしたのですね。まぁ、俺もあっさり終わってしまってはつまらなかったので良かったです」


「朽木、いい加減にしっかりしろ。奴が手加減してたから何とかなったが、魔術で浅斗の攻撃をそらすのなんてもうできないぞ」


 その成神の必死の呼びかけもむなしく、朽木は井須浅斗を見つめ呆然と立ち尽くした状態になってしまった。そこには先程までの闘志が全くもって感じられない。


「朽木さん、久しぶりの再会なんです。もっとリアクションしてくれませんか。いや、そもそも俺の事なんてどうでもいいのかな?ならこれならどうでしょう」


 井須浅斗は笑いながら朽木に向けていた手を治療用の機械に寝かされている浅斗の体に向ける。


「元の自分の体を消すのは嫌悪感がありますが、コイツが消えれば朽木さんは俺を見てくれますか?」


「…やめてくれ。浅斗」


「はぁ?!何なんですかそれ。朽木さんらしくない。ってかそんなにコイツが大切なんですか?俺なんかはあっさり切り捨てたくせに。そんな貴方が俺なんかに弱々しく頼み事するなよ」


 ようやく口を開いた朽木に対し、井須浅斗にらみみ怒りをよりあらわにする。そこには悲しみも見られた。


「俺がお前にした事は誤って済む事では無い。だが、そいつは…井須は関係無い。頼む」


「世界をも滅ぼすかもしれないヤツに向かって何を言っているんですかアンタは。それにもう何もかもが手遅れですよ。コイツは俺の代わりに死んだようなもんなんです。そもそも俺が復活した時点で教会、組織ユニオンから見ても助ける価値が無いでしょう。何を躊躇ちゅうちょしているんですか?あの冷徹非道な貴方が…」


「それでもだ。お前が手を出すのと出さないのでは大きく違う」


「何なんだよ…意味が分からない。いい加減にしろよ…」


 決着がつかない互いの感情をぶつけ合う言い争い。井須浅斗は今にも癇癪かんしゃくを起こして暴走してもおかしくない状況であった。

 この一触触発の状況の中、成神が口を挟んだ


「僕が言うのも何だけど浅斗君、実のところ君は殺したいと思うほど朽木を恨んでないだろう。感情に任せてやりたくも無い事やると後悔するよ」


「何を言っているんですか成神さん。コイツは俺を殺そうとした。殺したい程に憎いと思うのが当然じゃあないですか」


「まぁ、それが普通かもね。でもね、心の底から本当にそう思っていたのならここまでの膠着こうちゃく状態になんてならないし、甚振いたぶるつもりであったとしても君はもっと躊躇無ちゅうちょなくやるだろう」


「それは…」


「そもそも君があの時に朽木を消し去りさえすればこの様な事態にすらならなかった。君は負けるはずが無かったのだから。昔と同じだ。どんなに憎んでいても君は朽木を傷つける事ができないのさ。君自身が分かっているはずだよ。そんな事をしても後悔するだけで満たされないって。昔から君の本質は昔から変わっていない。どうしようも無い程に君は優しすぎるんだよ」


「浅斗、お前にした仕打ちに対して言い訳をする気は無い。あの時の俺はお前の事なんか考えずに自分の身の安全だけを考えていた。只々ただただ、お前が恐ろしかった。組織ユニオンに入って井須達と過ごしてようやくあの時のお前の気持ちを考えれる様になったんだ。都合のいい言葉だが、俺はお前も井須も傷ついて欲しくはない」


 朽木はここに来て始めて井須浅斗の顔を見てしっかりと言葉を口にする。

 朽木にとって井須を守っていた日々は大変ではあったが充実していた。しかし、その行為はかつての後悔を救う事にはならずむしろ罪の意識を浮き彫りにしていった。


 井須浅斗が伸ばしていた手を下ろし、朽木の方に無言で歩き出す。朽木はそれに対し何のアクションもとらない。手が届く距離まで井須浅斗が迫る。


 バチン!


「うっ」


 井須浅斗が朽木の顔を力いっぱい殴った。


はらわたが煮えくり返りそうだけど今はこれで勘弁してあげます。悔しいですけど成神さんが言った通りですし、この体の元の持ち主に貴方を助けるようにお願いされてしまいましたからね」


「井須が…」


「あぁ、井須って名前なんですねコイツ。奥深くに眠っている俺の精神を叩き起こして『朽木さんを助けてくれ』っていきなり一方的に言ってきたんですよ。俺がどんなヤツか分かって無かったんですかね?まぁ、それぐらい必死だった。自分よりも朽木さんをそれ程までに心配してました」


「馬鹿だなアイツ。自分の方が明らかにヤバい状況なのにな」


 朽木はそれを聞き苦笑いを浮かべる。


「俺はあの時から何もかもどうでもよくなっていたから傍観を決め込もうとしてたんですけど、それで何か頭にきて思わず起きちゃたんですよ。そしたら朽木さんと成神さんがいるからますますヒートアップしちゃいました」


 井須浅斗はそう言いながら笑った。その表情を見て朽木は懐かしさと罪悪感に襲われた。


「ともかく、浅斗君は僕と朽木の味方という事でいいのかな?」


 成神が急に話を進める。


「味方ってはいわけにはかないですけど、教会を潰す手伝いならしましょう。俺も教会に恨みがないわけではないのでね。それと成神さんも後で覚悟していてくださいね」


「分かった。嫌だけど分かった。とりあえずは生き残る事が優先だ。まずは3人でアノ神を倒すいいね?」


「今はそれでいいでしょ」


「言われるまでも無い」


 3人はウムル・アト=タウィルをにらみ、改めて戦闘態勢をとる。



「全くもってつまらん茶番だ。憎悪の感情のまま暴れる事を期待して見ていたが、まさかこの様な結末になるとはな。人間の感情は分らん。嘆かわしい。魔王アザトースの適合者が何たるていたらく。人間の感情とは相変わらず訳がわからん。まぁ、良い。欲しいのはその力だけだ。周りの連中が目の前で死ねばまた心に隙も生まれよう。ここまできたのだ出し惜しみ無く我も本気を見せよう」


 ウムル・アト=タウィルの体が無数の巨大な玉虫色たまむしいろの球体に変化する。ソレが広い空間に集合して巨大な異形となった。正真正銘の神であるヨグ=ソトースが顕現したのである。

 宇宙の命運をかけた戦いが戦いの幕が上がった。



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