第36話 ????とシュブニグラス

 無数に広がる黒い塊を避けながら1台のバイクが戦場を駆ける。そのバイクはゴスロリ衣装の少女千原詩久羅の前で何処からともなく伸びてきた黒い触手に破壊される。


「久しぶりね。まさかここまで無茶な真似をする人だとは思わなかったわ。以前のよしみで私に助けをうつもりなら無駄よ。こう見えて責任はきっちり果たすタイプなの」


「ほんと、自分でもどうかしてると思うよ。こんな無謀な特攻。それにしても軽そうにしてて頑固とかやっぱり似てるな」


 破壊される直前にバイクを捨て降り立った中村忠広なかむら ただひろは敵対する少女に向かって苦笑しながら返事を返す。


「似ているって何の事?そもそも特攻?貴方1人で?馬鹿にしないで私を止めるつもりなら最低でも神格クラスの適合者を連れて来なさい。貴方が強いのは知っているけど、あくまでも人間の範囲。私には敵わないわ」


 傲慢や慢心での発言では無い。普通なら組織ユニオンのトップレベルの適合者の板川か朽木が対応すべき敵だ。いや、板川でさえ黒い塊の大群に苦戦しているのを考えるにその2人両方を使うぐらいが妥当だろうか。それでも届かないかもしれない。

 正真正銘、人智を超える神格クラスの適合者の中でも破格とも言える力をこの少女、千原詩久羅ちはら しぐらは有している。

 中村が今まで倒してきた敵とは何もかもが違う。圧倒的な力の差。超える事のできない

 絶対的強者。


「それそう何だけどな。俺にも事情があるんだ。頭にくる気持ちも分かるが俺1人で止めるつもりだ」


「アハハハ。何それ、ほんと頭にくるわ。ここまで馬鹿にされたの始めてかもしれないわ。みにくい姿になるのは嫌だけど。いいわ、お気に入りだからこそ特別に私自ら全力で潰してあげる」


 可憐な少女の姿が溶けて黒く泡立ちながら変貌へんぼうする。その黒は大きく広がり、その中では無数の長い気味の悪い触手、黒い粘液を垂れ流しているおぞましい口。先端にひづめがついた足などが絶えず形成し続けていた。ソノ全長はこのまま広がれば恐らく、異形の姿の板川さえも超えるだろう。

 人間ごときが決して敵うはずかない、神格の中でもトップクラスの異形の女神がソノ姿を現したのだ。


「はぁー、大口を叩いたがこれは予想以上にヤバイな。上手く行かなければ即死か。改めて覚悟を決めないとな」


 普通の人であればこの光景の恐ろしさに絶望し精神が壊れたりするのだろう。普通の人よりも中村は多くの異形を見てきた分、目の前のモノの恐ろしさを正確に感じ取っていた。

 しかし、恐怖を抱きながらもソレから目を背ける事もせずに1つの呪文を行使した。


「契約をここに結ぶ。俺の体と魔力を好きなだけ喰らい尽くせ」


 中村は彼女千原詩久羅を止める為に祝福でありしばりでもあるペンダントを放棄し魔術を会得えとくする道を選んだ。しかし、元から才能があったとはいえ、単なる付け焼き刃では彼女には届かない。いや、普通の魔術ではどんなに極めても敵わない。

 ならば狂気的な方法を取るだけだ。そもそもアレと戦う事が狂気の沙汰なのだから。


     『名状し難き契約』


 組織ユニオンで禁呪とされている魔術ので1つ。ある邪神との契約により力を得ることができる。その力は場合によっては神格クラスの適合者さえも上回る可能性を秘めている。だが、その対価は邪神が決める。どの様な対価を邪神から要求されるか分からない。少なくとも生易しいモノでは無い事は確かだ。術者が邪神の下僕となり人類の敵になる可能性もあるリスクが大き過ぎる魔術であった。


 突如として強風が吹き荒れる。気づくと中村の姿が変わっていた。黄色のローブを身にまとい、顔には青白い仮面をつけていた。

 その変化を見て千原は中村の力が前回とは明らかに違う事を確信し、直ぐに無数の黒い触手で攻撃を行った。普通の人間なら無数に迫りくるソノ脅威をさばき切る事は不可能。しかし、中村は刀を一振りするといくつもの風の刃を出現させ、その触手を余す事なく切り落とした。


「えっ…嘘…」


 それは千原にとって余りにも予想外の光景だった。甘く見ていたわけではない。確実に仕留しとめるつもりで行った無慈悲の攻撃。さばき切られるのはまだいい。正直、それぐらいは期待していた。だが、たった一振りでいとも簡単に切り落とされるなど思ってもいなかった。


「ありえない、成神だってこんな芸当できないわよ」


 千原は恐怖した。それは圧倒的な力を誇る彼女が久しく忘れていた感情であった。

 切られた触手を直ぐに再生させ、更に新しい触手の形成し、先程よりも多くの触手で攻撃を仕掛ける。

 中村も刀を振り回し次々と触手を切り落としていく。その動きは素早いのにどこか優雅でまるで舞を舞っている様だった。対峙する千原さえも思わず、一瞬見惚れてしまう程の美しさであった。

 両者一歩も引かない凄まじい攻防。その緊張感からか互いに気持ちが高揚し始める。周囲の状況や立場など関係なく、この時だけは互いのみを見ていた。

 この状態が続けば次第に千原の方がまさるはずであった。彼女の体は更に拡大し続け、再生も新たなる組織形成の速度も徐々に上がっていくはずだからである。

 無制限とも思われる増殖と再生。それこそが彼女を最強たらしめている能力。故に本来なら力が拮抗した時点で千原の勝利が確定であった。しかし、そうはなら無かった。


「何で…」


 何故か再生、増殖の速度が上がらない。それどころか徐々にその速度が落ちている。それだけじゃない。力も体も小さくなっていっている。毒や呪いの類いだろうか?いや、その様な異常は無い。そもそもそれらが効く体では無い。間違いなく正常であるのにも関わらず明らかな異常事態。彼女が困惑するのにも無理はなかった。

 ただその原因は以外なモノであった。


「あぁ…私、本気で恋をしてしまったのね」


 高鳴る胸の鼓動を感じ、彼女は全てを理解する。

 千原詩久羅ちはら しぐらの異形のモデルには面白い逸話がある。なんでも人間の姿をとったその邪神は思考も人間レベルになってしまい。人間に変身した他の邪神と恋愛ドラマを繰り広げたとか。

 その物語が嘘か真かは分からないが千原の姿は元の無力な少女に戻ってしまった。それと同時に力が無くなり、彼女が召喚した無数の黒い塊達も消えていく。


「止めを刺さないの?」


 無力化されてしまった彼女は中村に問う。


「その必要は無いだろう。それに俺も契約した邪神もそれを望んでいない」


「そう、だけど私は教会のマスター。組織ユニオンは私を許さないでしょう。それならば私は貴方の手で終わらせて欲しい」


 命乞いはしない。世界の敵として負けたのだ。最早、世界の何処どこにも自分の居場所は無い。それならば愛しい人の手で終わりたかった。それが彼女の最後の我儘わがままだった。


「悪いけど断らせてもらう。その代わりってわけじゃあないんだが、俺と一緒に逃げないか」


「えっ…」


 それは全く予想外の返答だった。


「馬鹿なの?意味が分からないわ。私は世界を敵に回した重罪人よ。そんな事をしたら貴方だって危ないわよ」


「それなら俺だってそうだ。許可なく禁術を使用して邪神と契約したからな。何なら今の君より危険人物かもしれない」


「はぁ~、そこまでしていたのね。本当に随分ずいぶんと馬鹿な真似をしたわね貴方」


「俺自身もそう思うが。何しろこれぐらいしか俺1人でお前を止める方法が思いつかなかったからな」


「不思議に思っていたのだけど。何でそこまで私に気をかけているの?まさか前回のデートで私に惚れた?」


「まぁ、そんなところかもな。昔、惚れた女にそっくりだからなお前は」


「何それ、昔の女とかムカつくんですけど」


 千原は膨れっ面になり叫ぶ。


「嫌いになったか?」


「ムカつきはしますが、悔しいぐらいに嫌いになれないわ。こうなったらプライドにかけて上書きするのみよ」


「それじゃあ、改めて聞こう俺と一緒に逃げてくれるか?詩久羅」


 中村は微笑むながら手を差し伸べる。千原はそれをつか


「えぇ、よろしくお願いするわ忠広。こうなったら逆に私から逃げれるとは思わないでね」


 と微笑み返す。後ろ髪を引かれる思いも中村にはあるが、後は頼れる先輩に任せよう。こうして戦いは終わり、2人の逃避行の幕が開けた。だがそれはまた別の話である。


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