納得ゾンビ

 うぅむむむ、と珍しいことにルルカが頭を抱えて悩んでいた。地理の授業がそんなに難しかったのだろうか。暗記するのは大変だが、悩むようなものは無かったはずだ。

「どうしたんだ?」

 尋ねてみようと声をかけると待ってましたと言わんばかりに頭を起こしてこちらを見る。なんだ。罠だったのか。俺が若干ドキドキしてルルカの次の言葉を待っていると、神妙な顔で口をすぼめながら、

「人類の敵を倒すにはどうすればいいかな?」

と、陰謀論にハマったおばあちゃんみたいなことを言い出した。


「なんだそりゃ」

 それはもう、とびっきりのなんだそりゃ、である。人類の敵って何だ? 爬虫類人類か? エイリアンか? それとも未来からの侵略者?

「納得! 納得だよ!」

 今度は「エウレーカ!」みたいなことを口にする。寝不足だろうか。保健室に連れて行ってやった方がいいかもしれない。

「おい、お前ちゃんと寝たのか?」

「寝たよ。昨日の十時から朝六時まで、八時間」

 そうか。思い返してみれば今日の登校の時には別におかしいところは無かった。ならば、やはり先ほどの地理の授業でどうしても納得できないことでもあったんだろう。それが今になってようやく腑に落ちた、と。

「地理にそんなに悩むなんてな」

「え? 別に地理には悩んでないけど」

「じゃあ何に悩んでいたんだ?」

「納得について」

 ますます訳がわからないことになった。どうやら納得それ自体について考えていたらしい。

「人は納得できないものとは共存したがらない。どんなに些細なことにも納得したがって理屈をつける。例え不快なものと一緒にいることになったとしても、納得できていれば我慢もできるはず。でも、いつまで経っても納得できないまま、そんなものなんだと受け入れることもできないまま事柄を放置して生きていくことに、人間は耐えられないんだよ。そう。そして納得は正義にもなる。大義名分を欲するのは、それで一応の納得はできるから。人間は自分を含めた周りに納得できなければいつまでも心が苛まれるし、納得できていればそれがそのまま自分を正当化することにも繋がる。人間は納得できなければ生きられない。そして、納得して自分を正当化していかないと生きていけないんだよ!」

「あ、あー。人間は生きるうえで『納得すること』に縛られているから、納得というのは人間を縛る悪で敵だ、ということだな」

「そういうこと」

「だがそれは同じような論理で逆のことも言えるんじゃないか? 人間は納得によって生かされている。人間が納得することができないまま永遠に迷い続けていたら、そのまま何もできずに死んでしまう。納得こそが生きる原動力になっている。となれば、むしろ悩むことこそ人類の敵なんじゃないか?」

「む。手強いな。じゃあ迷わないって状態を考えよう。ここでは二つのパターンがあると思う。一つは自分で自分の行動に納得して、これをすべきだとして行っているパターン。もう一つは、疑問も何も持たずにただそうするように心が言うからそれに従って行うパターン。前者は悩んだ末に行動に移していて、後者は悩むも何もなくそれこそ反射的に行動してる」

「悩んだ末に行動している方が、自分の人生を生きている感じがあっていいんじゃないか?」

「ふふふ。甘いよクウヤ。なら、こう考えてみよう。なぜ納得しなければならないのか? 世の中には別に納得しなくてもいいことなんて幾らでもある。反射的に、機械的に行動した方がメリットが大きいことも多い。でも、一番の問題は、『どうして悩み続けちゃだめなのか』だよ」

「行動が遅くなるからじゃないのか?」

「確かに生死に関わることならそうかも。でも、例えば神の存在証明について。唯一絶対全知全能の神が存在するか否かを悩み続けちゃいけないの?」

「ん」

「悩むという行動自体、納得というゴールを目指す行為ではあるよ。けどさ、悩むことが楽しいのなら、悩み続けててもいいでしょ? それなのに、納得は悩む楽しみを殺してしまう。人間はむしろ『いつか必ず納得してしまう生き物』なんじゃないかな。そこにしっかりとした根拠のあるなしに関わらず。そして、生き物が最後に行きつく事象といえば?」

「死、だな」

「そう! 納得は悩みの墓標。そして一度納得した者は他人にも自分と同様の納得を求める。さながら死にながらも数を増やしていくゾンビのように!」

 そうなると、納得そのものよりも納得できた事柄を共有しようとする人間の社会性が問題な気がするが……まだ口を挟まないでおこう。

「あと、あんたはさっき納得のおかげで生きられる、みたいな感じのことを言ったけど、どうして生きていかなければならないの? 納得できるまで悩み続けるのは、人によってはとても苦しいこと。そして納得することで心がすっきりする。脳が報酬を得られる。納得はそうやって人間の脳を支配している。正しいから納得できるんじゃなくて、納得できるから正しいと思い込むんだよ」

「誰だって間違った人生を送りたくはない。そして何が正しいのかはその個人が“納得”できなければならない。正しさを支配する納得こそが人間を支配していて、だからこそ納得は敵なんだ、と」

「そういうこと!」

 ふふんと鼻を鳴らすルルカ。別に何も成し遂げたわけでもないのに。

「支配してるってのは悪なのか?」

「え?」

 今度はこっちから伸ばした鼻をつねってやろう。

「何が正しいのかを支配しているのは“納得”というものであることはわかった。だが、支配しているからと言ってそれは悪なのか? というか、味方でもないだろう。納得しようがしまいが、行動しなければと考えれば己の中の優先順位に従って行動する。そもそも納得って何だ? 納得が悩みの終着点であるなら、それでどうした。自分はこれで納得するのだという、自分に対しての知己が一つ生まれる。人間は最初から自分自身のことなんて知らない。物事に納得していく過程で自分を知り、社会を知り、仮初にでも納得する答えを置くことで自分の中に世界観を形作っていく。納得するというのは大理石から己の心という彫刻を削り出す過程であって、それが攻撃的な風貌であろうが怯えて弱弱しい姿をしていようが、それがその個人の輪郭線を明確にし、その人にとっての最善を示す標となる」

「ははぁ。いいね。そういうのも、いい」

「何目線だそれ」

「ふふーん。あ、もう次の授業始まるよ。暇つぶしに付き合ってくれてありがと」

「暇つぶしかよ」

 俺も暇つぶしできたから別にいいけど。さて次は数学か。鬼のように練習問題を解かせることから通称“無限湧きの高佐”と呼ばれる教師の授業だ。そのぶんテストは見知った問題が出るので楽になっている。午後も近づきお腹も大分減ってきたが、これを超えれば昼休みだ。

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