誰そ彼の子

「二人の子どもであることと遺伝子に繋がりが見られることって、実は全くの別物なんだと思うんだ」

 ふと思い出したかのように、ルルカはそう言った。休日の暇を持て余し、一緒に公園に訪れていた時のことである。ちょうど赤ん坊を抱えた夫婦とすれ違ったところだったので、それで思いついたのだろう。

「遺伝子の繋がりと血縁関係は同じものなんじゃないのか?」

「ほら、遺伝子組み換え技術ってあるでしょ? 極端な話、全くの赤の他人の遺伝子を編集して別の誰かと同じ遺伝子配列にできるのなら、ある夫婦の子どもが採りうる遺伝子配列の一つを取ることもできるはず。これは神を科学に置き換えただけの妄想に過ぎないけど、クローン技術やデザイナーベビーの話はあんたも知ってるんじゃない?」

「少しな。要するに、生まれる子どもの遺伝子をいじりまくれば全くの赤の他人との子どもも遺伝子としては再現できてしまう。そうしたらその子どもはいったい誰の子どもになるのか? そう言いたいんだろ」

「当たり!」

 ルルカは嬉しそうにはにかんだ。確かに、そう言われてみると遺伝子を組み換えられた子どもは本当にその人の子どもと見なしていいのか、疑問になってくる。完全に赤の他人の遺伝子を模倣するとまではいかなくとも、どこまで遺伝子を組み替えたらその人の子どもと見なすことができなくなるのか。難しい話だ。

「その個人が生まれるための条件に、親はどこまで関わってくるんだろうね。その人は本当にその親でなければならなかったのか?」

「普遍的に親を個人を産む一つの装置として捉えた場合に、その装置にどのような条件が与えられたらその個人が生まれるのか、として考えるなら親の在り方を機械的な条件として扱うことができるんじゃないか?」

「ほほぅ。でも、その親っていうのは結局何? それだと自然環境も親の括りに入れられちゃうんじゃない?」

「その、子どもを懐妊し出産する存在を自然から離して特別視する立場は、むしろ周囲の環境を無視した非自然的で特別な環境を想定しているとは言えないか? その遺伝子的特徴を持つ個人だから、というよりも、その遺伝子的特徴を持つ個人を含めた環境だったから、その人が生まれたとする。遺伝情報は重要だしそれで殆どが決まっているのだとしても、俺は子どもが完全にその親の遺伝子のみに依存する存在だとは思えないな」

「じゃあ、物理的にはありえないけど月と地球で同じ人間が同じ親から生まれたら少しは違う振る舞いをするようになるのかな」

「地球で生まれた双子だって、どちらが先に胎内から出たかといった微妙な違いがその後の人格形成に作用するのは想像できないか?」

「うーん。あるかもね。でも、その場合はどちらが先に外に出たのかを他の人が区別しているから違いが生まれるような気もするけど。あ、クレープ屋さんだ。食べようよ」

「あっちのベンチで食べるか」

 昼ご飯は食べてきたけれども、クレープの香りに食欲をそそられる。イチゴ、バナナ、チョコ、抹茶。俺がイチゴを選ぶと、ルルカは抹茶を選んだ。

「ちょっと頂戴」

 そして互いに一口ずつ交換する。意外にもイチゴの酸味が抹茶に合っていた。


 楽しそうな子どもたちの遊び声が聞こえてくる。隣から漂う甘い匂いはクレープによるものだけではないようだ。ルルカよりも一足先に食べ終えた俺は、ティッシュで口もとを拭きながらそよ風を感じていた。

「遺伝子を遺すとか、ミームを遺すとか、そういうのって何なんだろうね」

「何だろうな。どうして遺そうとするのかについて、『自分の遺伝子を遺そうとした遺伝子が自分を遺してきただけだ』と言えれば簡単だが、なぜそのような遺伝子があるのか、とか、そもそも遺伝子が連鎖する化学反応としてあるのか、色々疑問を挟む余地はある」

「『自分の遺伝子を遺そうとした遺伝子が自分を遺してきた』。それで私たちは生まれたなら、反出生主義は反遺伝子主義と言えるのかもね。ただ、いくら反出生を語っても、この世に『自分の遺伝子を遺そうとする遺伝子』がある限り子孫を残そうとする営みは無くならない。宇宙が永遠なら、既に事象として確立しているそれが消えることもたぶん無い。他が死んでもまた別の誰かがバトンを繋げだすだけ。それに、『自分の遺伝子を遺そうとする遺伝子』だってメタ的な立場からの物言いで、そこに自分を遺そうとする意志があるかと言えば遺伝子に意志などないと感じる人は多いだろうし、自分を遺しているっていうのも化学反応の循環が上手いこと続いているだけともとれる。けれどもそんな意志もなんも持たないような遺伝子によって、意思の存在の有無を語る私たちは生まれている」

 そこでルルカは自分のポケットに触れて、しまったという表情を浮かべる。ハンカチを忘れてきてしまったんだろう。ティッシュを渡してやると、「ありがと」とクリームでべたべたな口で言った。ゴミはクレープの袋と合わせてクレープ屋が設置したゴミ箱に捨てた。

「産めよ増やせよ地に満ちよ。遺伝子は残されるべきだ。種族の存続は生物の大義だ。こういうのって、どうして自分たちは子どもを作りたがるのか、という問いに仮初にでも答えを与えたかったからできた考え方なんだと思う。きっと、その人は何にでも理由をつけたがる人だったんだよ」

「生物の大義だ、とか、義務だ、といった考えとは違うが、子どもを作るのは老いたときに自分たちの世話をさせるためだ、とかいう考えも結局は似たような経緯で生まれたんだろうな。野生動物の中には子どもを作ったときに既に親は役割を終えて死んでいく生物もいる」

「人間と他の生物は違うって言いたがる人が出るのもわかるし、何より人間には宗教がある。いくら人間以外の動物を極めても人間の全てがわかるわけもないし、そもそも人間とそれ以外の生命活動の比較は無意味だって主張する人もいるだろうね。そこまでいくと個人の価値観の話にもなってくる」

「ならその価値観はどこから来た? ……こうなると、遺伝子の話が今度はミームの話にもなるな」

「うん。遺伝子もミームも個体がどのような存在なのかを形作るものだけど、遺伝子と違ってミームは直接的に繋がることはない。視覚や聴覚といった感覚や行動を通して伝えられていくもの。けど、だからこそ、遺伝子以上に個人に作用する部分もある」

 そろそろ公園の出口も近い。このまま解散だろうか。今日は良く晴れていて、公園で気晴らしをするには絶好の気候だった。

「ねぇ、遺伝子を遺すって虚無だと思う?」

 俺よりもやや先を歩いていたルルカは、不意に振り向いて俺を見つめた。

「世界が永遠で永劫回帰的にいつかまた再び同じ遺伝子配列を持つ生物が生まれたり、もしくは幾らでも遺伝子を好きなように組み合わせることができるようになったら、父親母親といったメタ情報は人間の認識から外れて行っちゃうのかな? アカシックレコードは誰が誰の子か教えてくれる?」

 その目は悪戯っぽいようにも真剣なようにも見えた。

「この世界にとって、誰が誰の子かなんてどうでもいいんだろ。そういうのを気にするのは戸籍や血縁関係を大切にしようとする人間社会だけで。最悪、俺もお前も本当の親はアメーバやミミズなのかもしれない。だとしても、俺もお前も今こうして生きているのなら、本当の親がどうなのかを知らなくとも今みたいに生きていけるってことだ。なら、今みたいに生かしてくれている親とか環境とかに感謝しとけばいい」

「……ふふふ。そうだね」

 そうしてルルカは満足そうに笑うと、俺に見送られながら家に帰っていった。

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