関数的人格あるいは溶け切った個人
「ねぇ、あんたは人は要素の集合だと思う?」
「要素の集合? それは、どういう意味だ?」
「個人を構成する物は、ブロックみたいにばらばらで、それらの組み合わせによって人格ができてるってこと」
「個人の人格はその人の細かな経験とか、環境とか、そういったものが相互に影響し合ってできてるんじゃないか?
だから、単純にブロックの組み合わせという訳にはいかないだろう」
「そうだね。でもさ、波みたいに、独立したものがそれぞれ独立したまま混ざり合って複雑な形の波になるように、複雑に見えるだけで、実際にはある程度分離できるかもしれないよ?」
「ある程度はできるかもな」
「それに、人間の見かけの多様性を生んでいるのは、それこそ生まれとか環境かもしれない」
「どういうことだ?」
「例えば、AとBがある特定の事象に対して同じ感想を抱いたとするでしょ。
でも、Aが若い頃から苦労してきて身内にも不幸が絶えなかった人物であるのに対して、Bが富裕層の生まれで今まで順風満帆な人生を送ってきたのだとしたら、彼らの感想は全く別物だと考えられるはず」
「なるほどな。同じ感想を抱くというところから、感想という結果は同じであっても、そこに至る過程が異なれば、その二つは区別可能だ、ということか。
人物の背景というメタ情報があることで結果の質が変わる、ということだな」
「そんな感じかな。だから極端な話、クローンが本人と同様の反応・行動を示しても、クローンであるというその場では判断できないメタ情報により、二人はこの世界から区別される。スワンプマンみたいなものだよ」
「逆に言えば、そのメタ情報を認識していない人物からすれば、その二人を区別する術はない」
「その通り。認識の上では、つまり、人々の脳内では、その二人は同一人物としてカテゴリ可能な状態になるんだ。
それでね、ちょっと思ったの。更に逆に考えて、複数の人物の脳内に存在するある人物の人格が同一の物として区別不可能な状態になるってどんな感じかなって」
「どういうことだ?」
「たとえば、親しい間柄の三人組でAさん、Bさん、Cさんがいたとしたとき、Aさんが考えるCさんと、Bさんが考えるCさんと、Cさんが考えるCさんが完全に一致している状態」
「完全に一致、か」
「それって普通は有り得ないはずでしょ? 歴史の人物みたいに断片的な情報からしか判断できないような場合なら、そこで抱く印象も情報量が少なくて被りがちになるかもしれない。
でも、親しい間柄であればある程度その相手に対する印象は複雑化していて然るべき。なのにこれが完全に一致していて、テレパシー能力者が彼らの脳を覗いても、Aさんから見たCさんとBさんから見たCさんとCさん本人から見たCさんをそのテレパシー能力者は区別できない。
Cさんのことを思い浮かべている状況に限り、この三人の思考はシンクロする」
「なかなか難しい話だが、仲が良ければそういうこともある気がするぞ」
「それは、まぁ、あるかも。
けど、数を増やしていって、百人とか千人とかになってくると、もう偶然では済まされなくなる。この異常は人々の思考というメタ情報があってようやく明らかになるもの。
彼らはそれぞれが独立した思考であるにも関わらず、ひとつの人格を共有している」
「人格を共有していることにはならないだろ」
「うーんと、なんて言えばいいんだろ。
ここで言っている人格は、その個人を支配しているものではなくて、この人はこの状況ならこう動くっていう想像上の疑似的な他人の像。実際はどう動くのかは関係なくて、その人に対して期待する次の行動のイメージが相互のやり取り無しで共通している感じ」
「人々がCという特定の人物を思い浮かべたとき、その人物が何をするのかについて本人を含めた誰もが同様の予想をする。そう聞くと、確かに異常だな。まるで人々の中にその人物をダウンロードしたみたいだ。ここでの共有は、パソコンはオフラインでも中に入っているゲームは同じっていうのに近いかもな」
「うんうん。このレベルまで共有された個人は、もはや人々の一部になってる。もうその人本人が居なくても十分なぐらい人々の間にその個人が浸透している。インターネット上で量産された転載動画みたいに。コーヒーに溶け切った角砂糖みたいに。ここまで浸透したら、いったいその人はどこにいることになる?」
「あー、ああ、わかった。本人がいなくても、他の誰かがその本人の代わりを振る舞うことが可能なのか」
「当たり! 戸籍とか、遺伝子情報とかは無理だけど、行動に限れば、そこに本人が居なくても本人と同様の行動を他人がその場に起こせるの」
「そうした存在がいたら、それは完成された個人なのかもな」
「と、言うと?」
「人ってのは、その場の出来事によって大きく変質してしまうことがある生き物だろ? 例えば、事故に遭ったり、家族が重病に罹ったとしたら、その人の生活は今までとは大きく変わってしまう。だが、そうした変化さえもあの人ならこうなるだろうって誰もが想像できるのなら、そしてそれ以降も想像の範疇から外れないのであれば、そいつはこれから新しく予想を超えた別の存在になることはない。関数みたいな存在だ」
「ほほぅ」
「なんだその顔」
「ふふふ」
「なんで笑う」
「なんでだろ。やっぱりこんな話に付き合ってくれるのはあんただけだからじゃない?」
「そうか」
「あたしはね、人間は要素の集合で、組み合わさった波みたいなものだと思う。ある特定の形の波があたしで、また別の形の波があんた。人と人との間で受け継がれるミームも波で、それはそれとして独立していて、既存の波と作用しあってできた新しい形の波を新しいミームとして誰かに引き継ぐ」
「関数は関数でも、お前にとっては三角関数なんだな」
「そ。リアルタイムで相互に干渉している波。だから、立ち止まって見つめてもあんまり意味は無い。だっていくら一つ一つの波が独立していても、干渉し合い変化し続けている波から目当ての波だけを抜き取るなんてできやしないもん」
「なるほど」
「あーあ。お腹空いちゃった。近くのコンビニでも行こ」
「そうするか。俺も喉が渇いた」
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