タブーに塗れて

「一万年後くらいになっても、世界的なタブーは変わらずそこにあるのかな?」

 登校中、ルルカの何気ない呟きが、俺の耳にこだまする。今日は少し寝るのが遅かったせいで、あまり眠れた気がしない。朝ごはんはちゃんと食べられたぶんまだましなものの、学校にはここから30分くらい歩いて行かなければならない。バスは出ているが、ろくに運動もしていないので登校時に歩くことでそれを賄っているのだ。それに、ルルカと二人でだらだらと喋りながら登校することが、小学校からの日課となっていた。

「人間がまだ存続していれば、そういう可能性はあるんじゃないか?」

「可能性はね。でも、一万年も経てば価値観は結構変わるだろうし、既存のタブーがタブー視されなくなる日が来てもおかしくないよね」

「それもそうだな」

 俺達のように歩いて登校する奴はいないわけではない。だが、大抵は自転車かバスだ。俺もルルカが居なければそうしていただろう。空は薄く曇っており、天気予報では一日中曇りとされていたものの、一応折り畳み傘をカバンに入れてある。何気なく周囲を見渡したところで、不意に見慣れない看板が目に入った。

「なぁ、あの看板って前からあったか?」

「どれ?」

「あそこの家の脇にあるやつだ」

「あー、あれかぁ」

 俺が指を差して場所を伝えると、ルルカもどの看板かわかったようだ。その看板は青い板に黄色い字ででかでかと『雨流の禍から言論の自由を守ろう』と書いてあった。雨流の禍に心当たりはない。読んで字のごとく雨に関連した自然災害っぽいが、それだと自然災害から言語を守るというヘンテコな内容になってしまう。

「たぶん無かったよ」

「だよな。雨流の禍って何か知ってるか?」

「さぁ? なんだろうね。漢字はカモフラージュの為の当て字だったりして」

「その方が変だろ」

「確かに」

 そのまま看板の謎は解けないまま、俺達はそこを通り過ぎてしまった。学校までそろそろ半分となる地点の小道に入るところで、ルルカが何も言わずにスッと青い屋根の家を指差した。そこにも、先ほど見た意味不明な看板が置かれていた。

「またか」

「この感じだと、他の場所にも結構ありそうだね」

「一斉に看板が増えたみたいだな。だが、目的がわからない。雨流の禍なんてものは聞いたことすらないぞ」

「それはあたし達が認識できないだけなのかも」

「認識できない?」

 俺が不思議がって聞き返すと、ルルカはニッコリ頷いて、俺の眼を覗き込むようにやや前傾姿勢になった。

「そう。あたし達には認識できないことが起こっている」

「こんなに大掛かりなのに認識できないのか?」

「規模は関係ないんだよ。あたし達の意識が本能的に認識するのを拒んでしまうような、根源的なタブー。真のタブーは言葉にするどころかイメージとして脳内に浮かぶことさえも拒絶されちゃうんだよ」

「タブーをタブーとして捉えることすらできないってことか」

「その通り!」

 ルルカは目を輝かせている。まだ朝なのにスイッチが入って元気になったらしい。寝不足な俺とは全く対照的だ。どこからそんな元気が出てくるのか。これもルルカの知的好奇心ゆえか。

「例えば、行動の候補として思い浮かぶことがなければ、人は故意に殺人や盗みをすることもないはずでしょ? 行動として可能であっても、それを意識することができなければ、実際に自分の意思で行動に移すことはできない。タブーとして認識していると、逆にそれをしたくなってしまうかもしれない。本当に駄目なことは駄目であるとすら認識しちゃいけないんだよ」

「そんなことできるのか? 他人を殴るという行為を例にすれば、事故とかで腕が欠損していない限り、誰だってできる。“殴る”という言葉をこの世から消しても、それは行動として可能な範囲にあるものなのだから、簡単にイメージできてしまうだろうし、殴るに変わる新しい言葉がその行為に充てられるだろ」

「そうそう。殴ることをいくら禁忌として設定しても、簡単に認識できてしまうから、それを犯してしまう人を生まないなんてことはできない。人間の脳の構造として、“殴る”は別にタブーじゃなくて、あくまでもそれを禁止としているのは後発的な人間の社会意識でしかない。殴るという行為は自然が可能なものとして人間に意識させることを許してる。だからってやっていいってことじゃないけど」

「だったら、自然が人間に許していないことはそもそも認識できないのか?」

「きっと、そうなんじゃないかな。自然なのか、遺伝子なのか、神様なのか、何でもいいけど、あたし達が根源的に認識を許されていないこと、そういったことはあるかもしれないんじゃない? 『神を冒涜することを、神はお許しになられた』なんていう人もいるくらいだし。もし仮にこの世界を管理している者がいるのなら、その存在が絶対に隠しておきたいこと、やらせたくないこと、そういったものがあれば、それらがあたし達の世界に現れることは無いはず」

 小道を歩きながら例の看板を数えていると、道を進んでいくほどに数というか密度が増えてきた。その様は酷く不気味で、世界がその看板によって浸食されているようであった。このままいけば地面や空すらもこの看板によって覆われてしまうのではなかろうか、なんて考えが一瞬頭をよぎったが、小道を抜けるとまるで幻であったかのように看板は全て消えていた。

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