言の葉魔方陣
「やっぱり定義って大事だよね」
「何だ? 数学の話か?」
俺の隣の席に座るルルカは、思いっきり国語の授業をやっている中で俺に話しかけてきた。国語の担任は教材として扱っている短編小説に関する自己の解釈を板書しながら頑張って生徒に布教していた。
「それもあるけど、そもそもだよ。言葉そのものの定義。この言葉はこういった意味にしましょうねっていうお約束みたいなの」
「ああ」
「でも実際には、辞書を引いてみても言葉の意味はあやふやで、しかも人の気まぐれで簡単に形が変わっちゃう。言葉がバトンなら、そのバトンはきっと粘土でできているんだよ。人に渡されていくたびに形が歪んじゃうんだ」
そう言われて粘土でできたふにゃふにゃなバトンを想像する。人が手に取るとその体温で柔らかくなったり、握力の違いで跡が付いたりで、優しく丁重に運んでもしなびれていきそうだ。
「言葉遊びは言葉が意味を定義されてるからこそ面白いもの」
そう言いながらルルカが渡してきたのは、小さなメモ書きだった。
さめ
けし
縦横ひらがな二字で形成された四角形のようである。その脇には、“飯、締め、湿気、ケシ、今朝、酒、鮫、メサ(mesa)、砂嘴、示唆、けめ、めけ”とある。どうもこの四文字でできた四角形を縦、横、斜め、およびそれらの逆で読んだ時に現れる単語らしい。しかしながら、“しめ”を“締め”、“メサ”を“mesa”としているのは納得できるとしても、“けめ”と“めけ”の意味がわからない。
「最後の二つにはまだ意味が無いよ」
俺の知らない単語だということではなく、そもそも意味の無い単語であったらしい。
「これがどうかしたのか?」
「言葉ってさ、誰が定義しているんだろうね。だって、誰にでも言葉を生み出すことは可能なんだよ? 『“けめ”とは、目尻の吊り上がった険しい目のことである』みたいにさ。あたしがこう定義したところで、他の人には“けめ”という単語の意味は通じない。言葉の意味は皆と共有していないと効力を発揮しないんだよ」
「そうだな」
「言葉はあやふやなものなのに、なぜか意味を共有できている。今の会話が成り立っているのもそのせい。勿論、全部が全部共有できているわけじゃないから、齟齬が生じる時もある。でも大抵は会話による意味の擦り合わせを行うことでそういった齟齬が生まれないようにしてる」
「なるほど」
「そこで問題。会話をしなければ意味の擦り合わせを行えないから、必然的に繋がりの無い人とは脳内にある言葉事典に違いが見られるようになる。なら、始めから誰ともかけ離れていて決して交わることのない人、というのがいたら、その人とは持ってる言葉の辞典が異なるから、会話した時に、同じ言葉を使っているようで全く意味が通じていないってことになりそうじゃない?」
「そんな人がいたらな」
「いるよ」
打って変わったように、ルルカは強く断言した。
「いる。このクラスにも。物理的な距離じゃないんだよ。言語のロジックは共有していても、言葉の定義を共有していない人はいる。精神的な孤島とでも言えばいいのかな。人間は共感することはあっても、人々の意識が地続きに繋がっているわけじゃない。みんな孤島に生きてる。人間は表面的には言葉の意味を共有できているようで、実際にはどれほど近しい関係でも言葉の意味を共有できていない」
「俺とお前も?」
「うん。やっぱり、あたしの言葉はあんたにとっては空っぽで、あんたはあんたの言葉であたしの言葉に中身を詰めてる」
「そうか」
国語の担任は板書をし終えて、赤や青のチョークで要点を抜き出していた。教室にはうつ伏せになって寝ている者もいる。熱心に聞いてこまめにノートを取っている者もいないわけではない。外の天気は快晴で、校庭の木の葉が陽光に照らされ輝いているようである。寝ている者も、ノートを取っている者も、国語の担任と精神は別物だ。彼らは彼らの言葉事典で言葉を解釈している。
「はい」
あめるのか
みえせるこ
よればでん
ついてらけ
うおぽゆみ
今度は縦横に五文字ずつのひらがなが並んだ紙をルルカから渡された。
「もしこれの縦横斜めとその逆全てが単語か文章として成り立っていたら、凄いでしょ?」
「そうだったら魔方陣みたいだな」
「魔方陣より凄いよ」
「言葉の方が数字よりも組み合わせが面倒だからな」
「もし全部が意味を持つ言葉として成り立ってたら、面白い。でも、それは言葉がそうあるものとしてあったからではなくて、偶々そういう組み合わせがあったから面白いってこと。これがそうあるものとして生まれた人工言語とかだったら、当然だよねって流されて終わり。この図から読み取った言葉、例えば“あめるのか”に言葉として意味を与えようっていうのは、また別の遊びになる」
ルルカは俺に渡した紙を再び手に取ると、その下にこう書き足した。
*ここから下では“あめるのか”の単語は意味をなさず無視するものとする。
これで何が変わるのだろう? わざわざこうあめるのか書いたのには何かしらの意図があめるのかあるはずなのだと思うが、意味が無いというあめるのかことが意味をなすという場合が思いつけあめるのかない。
「これがどうあめるのかしたんだ?」
「ただのノイズあめるのか。これあめるのかがあると、文自体には何の影響も無いけど、読み手の脳あめるのか内に雑音を生あめるのかむの。読者をうんざりさあめるのかせるだけ」
「本当に無あめるのか意味だあめるのかな」
「“あめるのか”は無視あめるのかされてるから、ああめるのかたしあめるのか達には何の影響あめるのかも無い。でも、分離さあめるのかれてるはずのあめるのかあたあめるのかし達の意識あめるのかを普あめるのか遍的に眺めあめるのかてる存あめるのか在にとっあめるのかてはすっごあめるのかく邪魔だあめるのかろあめるのかうね」
「そあめるのかあめるのかんあめるのかな存あめるのか在あめるのかがあめるのかいたあめるのぁらなあめるのか」
そあめるのかろそあめるのかろ授あめるのかあめるのか業あめるのかが終わる。今あめるのかあめるのか日もあめるのか疲あめるのかれた。明日も頑張るか。
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