第2話 教室
せっかくだし出てみるとしよう。もしかしたら、俺にとって有益な用件かも知れない。そうでなければ、切ればいいだけだ。
応答ボタンを押して、呼びかける。
『……もしもし』
————返答はない。
『もしもし』
————無音。
『……ちょっと』
「こんにちは」
突如、目の前に現れた人影。あまりの吃驚に、反射的に手が出そうになったが、よく見たら夢咲だった。っていうか、電話中に話しかけないでもらえます……? 常識がない側の人間だったりする?
「その電話、私がかけているので切っても大丈夫ですよ」
「あぁ、そうなの……」
そもそも、どうやって電話をかけてきたのでしょうか。とても気になります。
「久しぶりですね、夢乃さん。酷いですよ、手紙を捨てるなんて」
「あー……なぁ、誰か他の人と間違えてないか? 正直、全く覚えてないんだが……」
「間違えていませんよ。私、一度会った人の顔は忘れないので」
それは俺もなんだよなぁ……。とはいえ、ここまで自信満々にそう言われると、もしかして俺の方が間違っているんじゃないか、という気にもなってくる。これが認知的不協和という奴なのだろうか。
不安になってきたので、もう一度思い出してみる。
俺がうーんうーんと唸りながら記憶を漁り直していると、夢咲に釣られて男女問わず大勢のクラスメイトがこちらに詰め寄ってきた。ええい邪魔くさい。誘蛾灯に誘われる夜の虫じゃないんだから。
「胡桃ちゃん、夢乃君と知り合いなのー?」
「はい、昔馴染みなんです。小学校の一年生から、六年生の初めまで」
「へぇー、なんかいいねー、そういうの」
小学校一年生から、六年生の初めまで、か。新しい情報が得られた。さらに、昔馴染みを名乗るくらいだから、それなりに交流があった、と推測できる。しかし、足りない。やはり心当たりがない。
このままでは気分が悪いので、一つ仕掛けてみることにした。
「……なぁ夢咲、その小学校って、なんて学校だっけか」
「朝ノ宮小学校です、忘れたんですか?」
かなりの衝撃を受けた。合っている。当然だが、それを夢咲に教えたことはない。それどころか、彼女と会話するのも初めてなのだ。つまり夢咲は、本当に俺と同じ小学校に通っていた、ということになる。
彼女は続けた。
「夢乃さん、遠くから登校しているので辛いと、よく言っていましたよね」
————言ったかはともかく、思ってはいたような気はする。
なるほど……どうやら、俺の記憶力も鈍ったらしい。よくよく考えてみれば、彼女が俺の昔馴染みを騙る理由なんてどこにもない。もしくは、本当に頭が狂っているか、その二択だ。ただ、こうして彼女と少し話してみたが、とてもそうは見えない。
いやまぁ、かなりショックではあるけども。俺の唯一の取り柄である、人の顔を一度見たら忘れない、という看板はもう、降ろさないといけないのだ。これから、俺はなにを拠り所に生きていけばいいんだ……とまではならないけども、普通に傷ついた。
自分の非を認めるのはあまり好きではないが、致し方ない。
「あー……まぁ極力思い出せるように、努力するよ」
「えぇ、お願いします」
まぁ、嘘だけど。てへ。
夢咲と会ったことがあっても、それこそ苦楽を共にした大親友だったとしても、それは過去の話であって、今の俺にとってはどうでもいいことだ。ここは適当に流して、今後は赤の他人として過ごせばいいんですよ。簡単な話ですよ。
「ってことで、俺帰るから」
「はい、また明日」
嫌なことを思い出した。こういう時は、さっさと一人になるに限る。
「あっ、夢乃君ちょっといい?」
「え、なに……」
帰る気満々だった俺に声をかけてきたのは、長い桃髪をサイドテールに纏めた女子。先ほどの自己紹介にて、一人で十五分も喋った変な奴だったか。名前は確か……忘れた。覚える気がないとも言う。
「これから、皆で商店街を回ろうって話になってるんだけど、夢乃君もどう?」
「悪い、この後友達を植物園に行く約束してるから」
「……植物園?」
怪訝そうに問い返す女子A。なんだよ、いいだろ植物園。自然のエネルギーを自分の中に取り込むような、あの独特の雰囲気、俺は嫌いじゃない。いやまぁ、本当は植物園に行く予定なんてないし、そもそもこの島に植物園は存在しないんだけども。昨日、予習として島の地図を読み込んだから間違いない。賭けてもいい。
「……じゃあ、仕方ないわね。また明日」
適当に吐いた嘘だったが、どうやら信じてもらえたらしい。へっ、甘ちゃんが。
普通に断ってもよかったのだが、変に波風を立てる必要もないだろう。俺も商店街を回る予定なのだから、そこで鉢合わせしたら意味がない、と素人は考えるだろう。しかし、彼女のような人種は基本的に、数が増えれば増えるほど、煩く、大きくなる。俺のようなプロフェッショナルともなれば、そんな集団を避けることなどなんでもない。
ともあれ、これでようやく帰れる。今日は、頭を回したり会話をしたりで、大分精神的なエネルギーを削られた。早く休息を取らなければいけない。
廊下を歩きながら、ポケットから端末を取り出す。先ほど、夢咲は番号を知りもしないこの端末に、電話をかけることができていた。つまり、この端末には、なにかそういうシステムがあるはずなのだ。もしなかったら、この学校の情報管理能力がペラッペラだということになってしまう。流石にそれはありえない。
「……あ、これか」
電話帳アプリに、クラス全員の番号とアドレスが登録されていた。このアプリを弄った覚えはないので、初期状態でこうなのだろう。一々交換するのは面倒だろう、という学校側の粋な計らい、といったところか。マジで余計なお世話。
とはいえ、今後使うことが絶対にないとは言えない。全部消すのも時間がかかるし、このままにしておこう。
下駄箱を出て、商店街の方へ向かう。すると、端末からピロリン、と小気味いい電子音が鳴った。画面を見てみると『メールを受信しました』の文字が浮かんでいる。また夢咲かと思いながら差出人を見ると、一宮奏、と書かれていた。確か、電話帳の中に、そんな名前があったような気がする。
件名は『植物園』だった。開いてみる。
『突然メールしてごめんなさい。夢乃君に、お願いがあるの』
厄介そうな書き出しに、もう読む気が失せてきているが、頑張ってスクロールする。
『夢乃君には、クラスの皆と仲良くしてほしいのよ。さっきの植物園に行くって話、私の誘いを断るために吐いた嘘よね? だって、この島には植物園なんてないんだから』
あぁ、あいつが一宮か。続けてスクロールする。
『夢乃君が、夢乃君なりの考えがあるっていうのはわかるのよ。でも、私はこのクラスを皆が仲のいいクラスにしたいと思っているの』
…………。
『だから、明日は私たちの誘いを断らないでほしい』
メールはここで終わっていた。
端末を操作する。————『メールを削除しました』という表示を確認してから、俺は端末をポケットにしまった。あー、すっきりした。危ない危ない。読み終えた時点で俺のイライラメーターは七十を超えていた。ちなみに百がマックスだ。今は、三十程度に落ち着いている。もし百になっていたら、とんでもないことをやらかすところだった。
なにが『夢乃君が、夢乃君なりの考えがあるっていうのはわかるのよ』だってんだ。本当にわかっているなら、こんな舐めたメールは送ってこない。
結局のところ彼女は、自分の言うことを聞いてほしいだけなのだ。しかも、こんな文面を送ってきたということは、これで俺が転んでくれると思っているのだろう。最早馬鹿にされているとさえ感じる。というか、多分されている。
まぁ、俺は温厚で温暖で湿潤な性格だから、返信せずに削除し、見なかったことにする程度で許してやろう。多分、これが彼女には一番効くだろうし。こういう意趣返しをする時が、生きてて一番楽しいんだよなぁ。
自分の性格の悪さに惚れ惚れしながら、再び歩き出す。
ふと横を見ると、海が遠くでキラキラと光り輝いていた。願わくは、この光が、俺の未来を暗示していますように。
……いや、願っていてはダメか。ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん、なんて言葉もあるくらいだし、自分の手で掴み取る、くらいのハングリー精神が大切だろう。
だから、これは決意だ。
俺はここで、一人で生きていける力を手に入れる。
それだけが、夢乃リアに残された、たった一つの道だからだ。
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