第5話 そばに

「お風呂ありがとうございました」

「ゆっくり出来た?」

「はい」


 ごめんなさい、嘘です。彩那さんは大丈夫だろうかって心配していたはずなのに、お風呂に入って彩那さんが使っているシャンプーとかボディソープとかを借りて同じ匂いになった気がして全然落ち着きませんでした……


「飲み物適当に飲んでね」

「ありがとうございます」


 お言葉に甘えて冷蔵庫からお茶を取りコップに注ぐ。彩那さんはソファにゆったり腰かけてテレビを見ていて、自然体。


 私は自分がどこで寝ることになるのか……ソファをお借りしていいのか、それとも同じ部屋なのかと考えてしまって落ち着かない。自分からソファを借りていいか聞いた方が精神安定上いい気がしてきた。

 飲み終わったら聞いてみよう。


「あの、彩那さん」

「ん? もう寝る?」

「あ、いや、違くて……夜、ソファお借りしてもいいですか?」

「ソファ?? 布団出しちゃったけど……美和子の家でも布団だったから大丈夫かなって思ったんだけど、ベッドの方が良ければ私の使って?」

「え!? いや、布団ありがとうございます……」


 既に用意済みですか……同じ部屋ってこと?


 私が女性を好きになるって知っていて警戒心がないのは彩那さんにとって私は完全に対象外なのか、自分はその対象に入らないと思っているのか……それとも、美和子ちゃんの知り合いということで信頼されている?? 

 どんな理由にしろ、避けないでいてくれることが嬉しい。彩那さんを傷つけるなんて考えたくもないし、私の理性が仕事してくれますように。



「紫音ちゃん、おやすみ」

「おやすみなさい」


 電気が消されて、彩那さんのベッド下に敷かれた布団に横になる。彩那さんの息遣いが聞こえる距離にとても眠れる気はしなかったけれど、とりあえず目を閉じた。


 眠れなくて、時間を確認しようとスマホを取ろうとすれば、彩那さんが起き上がって部屋を出ていった。


 そして、数十分過ぎても彩那さんが戻ってこない。このまま知らないフリをするべきか、様子を見に行くべきか……もし1人で泣いているなら、そっとしておくのが正解なのかもしれないけど、1人にしていたくなかった。


 泣いていなかったとしても、喉が渇いたということにしようと寝室を出てリビングを覗けば、私に気づいて、慌てたように涙を拭って立ち上がる彩那さんの姿が目に入った。

 間違いなく元カレの事を思って泣いているんだろうし、彩那さんを泣かせた元凶にどうしようもなく腹が立つけれど、彩那さんが泣けた事に安心した。


「……っ、しおん、ちゃん」


 近づけば、涙に濡れた目で見上げられて、心臓が跳ねた。

 口付けをしたいという衝動を抑えて、そっと抱き寄せるだけに留めた私、偉い。



「……ごめん、もう大丈夫」

「はい」


照れくさそうに笑う彩那さんが可愛すぎて離したくなかったけれど、恋人でもない私にはそんな資格はない、か。


「思いっきり泣いてスッキリした! 紫音ちゃんが居てくれて良かった。ありがと」

「……っ、お役に立てて良かったです」


 居てくれて良かった、だなんて嬉しい。そして可愛い。


「彩那さん、ちょっと待っててくださいね」


 明日は仕事だし、目の腫れを何とかしないと。蒸しタオルと、保冷剤とタオルと……


「彩那さん、ソファに横になって、これで目元を温めてください」

「ありがとう。……紫音ちゃん、どうして来てくれたの?」

「えーっと、喉が渇いて……その、寝る前は水を飲んで寝た方が良いらしいんですよ……!」


 身振り手振り誤魔化そうとしてしまって恥ずかしくなった。彩那さんはソファに横になって目元をタオルで覆っているんだから、見えてないじゃん。


「ふふ、そうなんだ? 本当のところは?」


 誤魔化せないですよね。そうですよね。


「あー、その、ずっと笑ってたから、心配だったんです。もしも泣いてるなら、1人にしたくなくて……迷惑かな、とは思ったんですけど……」

「心配してくれてありがとう」

「……はい。何も出来ないですけど、そばに居ますから。次はこれ、使ってください」

「ありがと」


 そばに居る、ということについては彩那さんから返事はなかったけれど、何となく距離が縮まった気がした。



「彩那さん、おはようございます」

「え、おはよう……もしかして、朝ごはん……?」

「はい。簡単なものですけど、食べていってください」

「うわ、嬉しい」


 次の日、キッチンに立つ私を見てぱあっと笑顔になった彩那さんの目が腫れていないことにホッとした。

 朝から可愛い笑顔が見られて幸せです……!

 聞いてみれば、少しでも長く寝たいから朝ごはんを作ることは無いらしい。パンを買っておいてそれを持っていく事が多いとか。



「あ、そうだ。紫音ちゃん、合鍵渡しておくね」

「……え?」

「え?」


 彩那さんと一緒に家を出て、差し出された鍵を呆然と見つめる私に、首を傾げる彩那さん。

 いくら美和子ちゃんの知り合いとはいえ、一昨日会ったばかりの私に合鍵渡しちゃダメでは……? 天然さんですか?


「いやいや、鍵は受け取れません」


 彩那さんの出退勤時間に合わせて、外で時間を潰すか、美和子ちゃんのお家に帰っていようかと思っていたから断った。

 美和子ちゃんからも、"彩那が出勤している間は家に帰るように"と連絡が来ていたし。


「紫音ちゃんの方が帰り早いだろうし、その間どうするの?」

「美和子ちゃんの家に行ってます」

「そっか」

「彩那さん、そう簡単に合鍵渡しちゃダメですからね? 危ないです」

「いや、紫音ちゃんは美和子の同居人だし、まだ知り合って間もないけど信頼できると思ったからだよ?」

「それは嬉しいですけど、合鍵は大丈夫です」

「分かった」


 納得しながらも、ちょっと不満そうな彩那さん可愛い……



「お仕事終わったら連絡貰えますか?」

「うん。分かった。これ、連絡先ね」


 駅まで歩きながら、連絡先を交換した。登録された彩那さんの情報が嬉しかった。



 バイト中も嬉しさが溢れていたのか、何かいい事があったのかとお客さんにも聞かれて、その都度慌てて気を引きしめた。

 美和子ちゃんが居たらすぐバレるだろうし、居なくてよかった……



「250番でお待ちのお客様、ドリンクお待たせし……!?」

「はい」

「カフェラテの氷少なめ、ミルク多めになります」

「ありがとう。打ち合わせが近くだったから、来ちゃった」


 ドリンクを作り終えてバーカウンターで番号を読み上げれば、受け取りに来たのはまさかの彩那さん。

 来ちゃった、って可愛すぎませんか??


「びっくりしました……」

「ふふ、また夜ね」

「はい。彩那さん、お仕事頑張ってくださいね。ありがとうございました」

「紫音ちゃんも頑張ってね」


 嬉しさを隠せなかったみたいで、彩那さんを見送って振り向けば目が合った先輩にニヤリと笑われた。


「紫音ちゃん、今のお姉さん知り合い?」

「あ、はい。店長の同期さんで」

「へぇー、それだけ?」

「それだけですけど……」

「今日やけに機嫌がいいのはあの人かー。うんうん、そっかそっか」

「あの、何も言ってませんけど!?」

「最初の頃の紫音ちゃんは警戒心の強い猫みたいでさ、私たちスタッフに笑いかけてくれるようになるまでにかなりかかったし、お客さんに対してもクールに対応してるじゃん。それなのに今日はふとした時に笑みが溢れてるから何が起きたのかってみんな気にしてて」

「え」

「で、さっきのお姉さんには名前を呼んで、見たことがないほど優しく笑ってたから、あの人かなって。休憩入ったらお話しよ?」

「あはは……」


 美和子ちゃんが居なくて良かった、と思ったけどバレバレだったらしいです……私って分かりやすいのか……

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