覚えられない名前

「ではお嬢様。質問です。殿下のお名前は?」


 なんだ、身構えて損をした。5年間付き添った相手なのだから。名前ぐらい……、そう名前ぐらい……なんとか……。


「嘘だろう」

「リリ、あなた……」

「お姉様?」


 みんなして私を見ないで。嘘よ。五年もあったのよ。名前ぐらい……


「では、陛下の名前は?」

「アリオス・ウォーレン」

「正解です。では、王妃様のお名前は」

「シャロン・ウォーレン」


 陛下と王妃様の名前なんて覚えていて当たり前じゃない。それよりも殿下の名前を思い出さないと。


「殿下は第何王子ですか?」

「えっ? え〜と、ちょっと待ってね。今思い出すから」

「……隣国の王太子と第ニ王子の名前は?」

「隣国……アルベルト王国のことですか? それならベルフリード王太子殿下と、第ニ王子はいなくて、アイリス第一王女でしょ?」


 問題を出すならしっかりと出さないとね。そんなことより殿下の名前よ。全然出てこない。


「……もういいわ」

「お母様! もう少し待ってください」

「もういいの、リリ。今までごめんなさい」

「お母様? どうし……」


 お母様はとても悲しそうに、それを我慢するように私を抱きしめる。ダメ……ここで泣いたら今までの苦労が全部無駄になってしまう。全部……全部ティアに押しつけてしまう事になってしまう。


 私はお母様をゆっくりと押して、離れ……あれ、離れない。というよりもさっきよりも力が強く……痛い!? 痛いです、お母様!!


「ふふっ、離れようとするなんていけない子ね。そんなに私の事を怒っているのかしら?」

「ち、ちがっ、このままだと甘えそうだったので離れようとしただけです」

「そう」


 痛くはなくなったけど、離れてはくれそうにないみたいです。ですが、さっきの痛みで涙は出てきたけど、泣きそうな気持ちは引っ込んだ。


「無理はしなくていいのよ」

「お母様……私、学園までは頑張ろうと思います。その間に情勢が変わるかもしれませんし。ですが、またなにかあった時は、今のようにして貰ってもいいですか?」

「ええ、勿論です。しかし、我慢してはいけませんからね。何かあったら……何かを言われてもですよ。必ず私に言うこと。それが条件です」

「……はい」

「少し返事が遅れましたね。迷っているのですか? まあいいです。1つリリが勘違いしていることを言うわね……ティアも聞いてね。私たちの家は公爵家だけど、そんな地位よりあなた達の方が大切なの。だから、あなたたちが本当に嫌なのであれば、この国にいる理由はない。その事だけは覚えておいてね」


 正直、迷っていました。何かされたら言うつもりではいました。ですが、何か言われたらだと毎回になってしまうからです。

 それこそ、学園が始まれば回数も多くなるでしょう。それだけ顔を合わせる事になるのですから。


 どうやって誤魔化そうか。それだけを気にしていたのに、お母様はそんな考えをお見通しかのように問題発言をする。公爵夫人とは思えない話。けれど、その内容を肯定するかのようにお父様も頷いているのを見ると本気なんだとわかる。


 逃げたらダメだと思っていました。私が逃げると、全部ティアや家に影響すると思っていたから……。この国にいる理由はない。冗談だとしても、その言葉だけで心が軽くなるのを感じる。何も変わっていないのに、味方がいるだけでこんなにも違うんだ。

 

 後でアンにもお礼を言わないと。今まで唯一の味方だったアン。感謝してもしきれそうにない。


「さあ、お姉様。今日は久しぶりに一緒に寝ましょう」

「……そうね。久しぶりに寝よっか」


 ティアの頭を撫でて、部屋に戻ろうとした時にふと思い出す。


「そういえば、殿下の名前を」

「リリ、知らなくていいんだ。今日はもうおやすみ」

「お父様? ですが、そういうわけにも」

「リリ、今日はアレの相手もあったんだし疲れているでしょ。もう寝なさい」

「お母様まで!? ですが気になって」

「お姉様?」

「……はい」


 覚えていない私が悪いのだけれど、みんなして教えてくれないのはいかがなものでしょうか。


「ちなみに、ティアは知っているの?」

「いいえ、もう忘れてしまいました」

「そうなの? でも少しぐらい気にならない?」

「全然なりません。もう寝ませんか? お姉様」

「えっ、そ、そうね。もう寝ましょうか」


 ティアの体温が布団にも伝わって、いつもよりも暖かい。これならグッスリ眠れそう。


「お姉様、暖かいですね」

「そうね。ティアが温かいからかしら」

「お姉様を温められるならよかったです」

「……おやすみ、ティア」

「おやすみなさい、お姉様」


 気になっていた事も考えられなくなり、眠りに落ちる。


 ――――――――――――


「お姉様は何も考えなくていいんですよ。あの愚かな――に言われた事も全部忘れてくれたらいいのに。まぁ、名前も覚えられていないのはラッキーね。あんな奴の名前なんて覚える必要がないもの」


 すぅすぅと小さな寝息を立てる少女の頬を、銀髪の少女が軽くキスをした。


「おやすみなさい。お姉様」

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