持論哲学

あおすい

第1話

 人は何を求めるのか。私は何者として生まれたったのか。いまだに理解ができない。自分のこの環境を羨ましがる者もいれば、逆に哀れむ者もいる。

 誰かが考えたことについて「それは正しい」「間違っていると思う」いろいろな考えが飛び交う。それはどこから見て何を仮定した良さ悪さなのだろう。常識という大多数に少し共通するものが生まれたことにより善悪ができ全ての差別は始まったのだと思った。常識さえなければ勝手に可哀想がられたり、自分のいきたくない風に縛られたりする人もいなくなったのではないだろうか。しかしこの常識により守られた人間も数多くいることも配慮しなければならない。

 人間が増えたことにより常識は作らなければならなくなった。もし少人数であればこんなこともなかったかもしれない。誰かのせいで誰かが傷つき誰かが幸せになる。誰しもに共通する幸せなどないのではないか。

 私に言えることはただ一つ、後悔しないことをする。それだけだ。どんなことをしたって良い。自分がそれに自信を持ってやったと言えるのなら。自分とは何かわからない。その中でも自分を見つけ出すことができたとしたら、それは立派な我が論であり持つ意見である持論となるのだ。

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持論哲学 あおすい @aposutorofi

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