第04話 矛盾

 僕が進学先を選ぶに当たって重要視したのは、家から近い事だ。


 時は金なりという言葉が表すように、時間は有限で掛け替えのないもの。ゆえに、一分たりとも無駄には出来ない。


 というわけで、僕の通う高校は僕の住む家から徒歩二十分あまりのところに存在していた。


 唯一の誤算はあまりに近過ぎて、自転車通学が許されなかった事だ。そこは盲点だった。それを知っていれば、多少遠くはなるが自転車で十分で着く別の高校に進学したのに。残念だ。


「ねぇ、どうして少し距離を取って歩いてるの?」

「君に自覚があるかどうかは知らないけど、高梨氷菓という女性はそれなりに有名でね、こうして歩いてるところを見られるだけでも致命傷に近いのに、ましてや肩を並べて歩いてるところを見られたら殺されちゃうよ」

「オーバーなのね」


 そう言って高梨さんは笑うが、僕からしてみたら冗談でもなんでもなかった。


 こんなところを同じ学校に通う生徒に目撃されでもしたら、質問攻め&嫉妬しっとの目で見られる事は確定事項、下手をすれば画鋲がびょうの一つでも下駄箱に入れられるかもしれない。それぐらい彼女は有名人なのだ。


 今のところ、僕達の通う高校の学生とはまだ会っていないが、学校に近づく以上それも時間の問題。その先の展開を考えると、非常に憂鬱ゆううつである。


「付き合ってるのだから、もっと堂々とすればいいのに」

「大体、僕のどこが良くて告白してきたんだ? どうせ、前世がどうのこうのっていう、とんでもな理由だけだろう?」

「そんな、まさか。前世の事はもちろん大事だけど、今のあなたがどんな人かもお付き合いをする上でとても重要なファクターだわ」

「どうだか」


 どうせ、僕の事なんてろくに知らないのだろう。でなければ、僕になんて告白してくるはずがない。


「海野晃樹。十五歳。A型。誕生日は十月二十六日。さそり座。趣味は特にないけど、強いていれば漫画や小説を読む事」

「……は?」


 驚いた。そんな詳しく、僕の事を付き合う前に調べていたのか。


「初恋の相手は幼稚園の先生。初めてお付き合いをしたのは中一の夏。でも、半年程でその子とは別れ、その後は誰ともお付き合いはしていない。合ってる?」


 こくこくと激しくうなずく。


 あまりの情報収集力に、僕はもう引いていた。


「クイズを出してもらえば答えるけど、どうする?」

「もう十分だ。僕が悪かった。僕が悪かったから勘弁してくれ」


 正直、ここまでの情報は僕の周りに聞けば収集出来るレベルだ。普通はそんな事をしないという常識的な話を無視すれば、まだ許容範囲と言える。だが、そこを超えた、例えば僕以外が知りえない情報なんかが彼女の口から発せられた場合、僕は正気を保っていられる自信がない。おそらく、走ってこの場を立ち去る事だろう。


 昔の人はいい事を言った。知らぬが仏。知る必要のない事は知らないままの方がいい。なので、この話はこれでおしまいだ。


「そういえば、高梨さんはどの辺に住んでるの?」


 話題を変える意味も込めて、僕はそんな当たりさわりのない話題を高梨さんに振ってみる。


 ウチの周りには二つの中学の学区があるのだが、彼女がそのどちらにも属していなかった事は知り合う前からなんとなく知っていた。更に言えば昨日、高校の最寄り駅まで送って行ったので、電車通学な事もすでに知っている。


句隆くりゅう駅の辺りよ。何? 来たくなっちゃった?」

「まさか」


 句隆駅は、ウチの最寄り駅から四駅程行ったところにあるそれなりに大きな駅だ。そこを目的地として電車に乗った事は一度もないが、乗り換えでホームに降りた事はある。僕にとって句隆駅は、その程度の駅だ。


「今日はどうしたんだ? もしかして、わざわざ電車を乗り換えてきたのか?」

「えぇ」

「……」


 さも当然と言った感じで頷く高梨さんに、僕はしばし呆気に取られる。


 そもそも学校の最寄り駅とウチの最寄り駅では、路線が違うどころか会社が違う。乗り換えも通学前という事を考えればよりいっそう手間だろうに。


「別に無理して、登校前にウチに寄らなくていいんだぞ」

「無理? 何が?」


 こちらとしては当然の事を言ったつもりだったのだが、本気で何を言っているか分からないと言った感じで、首を捻られてしまった。


 ……これが感性の違いというやつだろうか。


「さっきの話だけど」


 電車の件は当人の自由なので、今日のところはこれ以上の深追いをせず、僕は話題を早々にひそかに気になっていた、リビングで高梨さんが母さんに言ったあの話にシフトさせる。


「さっき?」

「母さんに言ってた前世で恋人だったとかいう」

「あぁ。そう。私達は前世でも恋人だったの。まだ思い出せない?」

「残念ながら」

「そう……」


 肩をすくめて冗談めかしにそう答えた僕とは対照的に、高梨さんは本当に残念そうに視線を道路へと落とした。


 その様を見ると、少し良心が痛む。


 僕には到底受け入れられない事でも、彼女にとっては真実であり大事な事なのだろう。とはいえ、前世と言われて「はいそうですか」と言える奴は、余程の阿呆あほうか天然かはたまたいい加減な奴だけだ。幸か不幸か知らないが、僕はそのどれにも属さない普通の人間なので、簡単に彼女の話を受け入れるわけにはいかなかった。


「昨日は僕の事をお兄様と呼んでなかったか?」

「はい。お兄様」

「……」


 満面の笑みで呼ばれてしまった。


 受け入れられないと言ったものの、高梨さん程の美人からそう呼ばれるのは悪い気はしないどころか、くせになりそうで怖い。


「ん」


 調子を戻すために、咳払せきばらいを一つ。


「恋人にお兄様、矛盾してないか?」

「矛盾? どこが?」

「だって、兄妹で恋人なんて……」

「えぇ。だから、私達は前世では誰にも気付かれないようにひっそりと付き合ってたの。報われない恋と知りながら……」


 そう言った高梨さんの視線は遠くを捉えており、その先にまるで何かがあるようだった。


「お兄様というくらいだから、それなりの家だったのか?」


 だからだろうか。僕の口からは、自然とそんな言葉が漏れていた。


「そうね。辺りでは知らない人がいない名家だったわ。お父様は織物の工場を営んでたの。お手伝いさんもいて、とても恵まれた環境だったと思うわ」


 恵まれた。それが彼女の本心ではない事は、表情や言い方から容易に想像出来た。


「昔は今以上に結婚相手を自由に選ぶ事が難しくて、特に私達のような家では長男長女はほぼ間違いなく親に勝手に選ばれてしまう。だから、私達は選んだの。二人で一緒になる道を」

「駆け落ちとか?」


 僕の問い掛けに、高梨さんは答えなかった。ただ悲しげに微笑むだけで。


「その時、二人で誓ったの。来世では一緒になろうって」


 来世では一緒に。つまり、二人は――


 なんともなしに空を見上げる。


 僕達の頭上には、澄み渡った青空が広がっていた。


 天気予報によると、今日は一日快晴らしい。


 雨と晴れどちらかが好きかと問われれば、僕は間違いなく後者を選ぶ。大抵の人はそうかもしれないが、風呂やプール以外の場所で濡れるのが好きではないのだ。


 雨は好きです。

 昔、誰かにそんな事を言われた気がする。その理由を思い出そうとして、僕はなぜか隣に歩く少女に問い掛けていた。


「君は雨と晴れどっちが好きだ?」

「そうね。私は――」

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