第07話 眉唾

 朝食を終えると、一緒に料理をするという二人を残し、僕は早々に自室に引っ込んだ。


 当初出掛ける予定だった時刻まで、まだ一時間半以上の猶予ゆうよがある。さて、どうやって時間をつぶそうか。


 少し悩んだ挙句あげく、僕は本を読む事にした。


 テレビを見る気にはなれなかったし、宿題もないのに自主的に勉強するほど僕は真面目でもない。そうなると後やる事と言えば、スマホを触るか本を読むかくらいしかなく、二つの選択肢を天秤に掛けた結果、僕の中で後者の方にそれがわずかにかたむいたのだった。


 理由は特にない。いて言えば、スマホより本の方が見栄みばえがいいからだろうか。漫画ではなく小説を手に取った辺り、多分そういう事なのだろう。


 ……。

 …………。

 ………………。


 気付くと、時刻はあっという間に一時間が経過していた。


 それもこれも、読み始めた小説が面白おもしろ過ぎたのがいけない。内容に引き込まれ、続きが気になり、ついつい夢中になってしまった。


 しかし、生まれ変わりか……。本当にあるのだろうか?


 いや、創作上の設定という事はもちろん分かっている。だが、だからといって絶対にそれが存在しないとは言い切れないのではないだろうか。


 ……自分自身、馬鹿な事を考えているという自覚はある。その思考の根底にあるのは、間違いなく高梨氷菓の言葉。


『私とお兄様は実際の兄妹きょうだいなのです』

『いえ、そうではなく、前世の話です』


 前世か……。もし本当にそんなものがあったとして、前世の僕はどんな奴だったんだろう? 来世でも付き合いたいと思うほど、魅力的な人間だったのだろうか?


 ……ん?


 誰かが階段を登っていた。


 母さん……いや、氷菓さんか? 聞き慣れた母さんの足音とは微妙に違う。


 その足音は階段を登り切ると、僕の部屋の前で止まった。

 そして、コンコンと扉がノックされる。


「はーい」

「氷菓です」


 やっぱり。


「どうぞ」


 扉の外の声に答えながら僕は、さっきは勝手に入ってきていたのに今回は許可を取るんだなという、比較的どうでもいい事を思う。


 程なくして、扉が開く。


「お弁当の準備出来ました」

「そっか」


 掛け時計を見る。時刻は九時半を少し回ったところ。


「行こうか」


 立ち上がり、スマホと財布をズボンのポケットに突っ込むと、扉に向かって歩き出す。


 約束の時間にはまだなっていないが、そもそも待ち合わせ場所は駅前であり、今から移動したらちょうどいい時間になるだろう。


 ちなみに、駅前と言っても僕の家の最寄り駅の方ではなく、一つ向こうの駅の方である。


 狩田かりた駅。この辺りでは一番大きな駅であり、周囲に様々な種類のお店やデパートが点在する、近辺の学生の間では有名な買い物&遊びスポットだ。


 階段を二人で降りる。


 降りた先、玄関にはトートバックが置かれており、高梨さんがそれを拾い上げる。


「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

「行ってくる」


 見送りに出てきた母さんにそれぞれ言葉を返し、僕達は家を後にした。


 休日だからだろうか、この時間の住宅街を歩く人の姿はまばらで、すれ違うのは車ばかりだった。


「ようやく二人きりですわね」


 そう言って、高梨さんが僕の腕に自分の腕をからめてくる。


「おい……」

「いいじゃないですか。休日くらい」

「……」


 まぁ確かに、平日は学校内ではもちろん、登下校もどこで誰に見られているか分からないという事で色々と自重してもらっている。そう考えれば、高梨さんの言うように休日くらい別に……。


 いや、言い訳だな。誰にでもない自分への。


 僕はこういう事を恥ずかしいと思っている。こういう事自体もだけど、高梨さんに釣り合わない自分が彼女とこういう事をしているというその事実も。


「今日はどのお店に行きましょうか?」

「あの辺って何屋があったっけ?」

「服屋、雑貨屋、本屋……後はスポーツショップとか?」

「そういえば――」


 スポーツショップという言葉を聞き、僕は知り合う前から気になっていた事を、この機会に高梨さんにたずねる事にした。


「高梨さんって部活には入らないの?」

「どうしてですか?」

「いや、高梨さんって運動神経いいんでしょ?」


 まだ入学して一ヶ月程ながら、彼女の運動神経の良さは学年中の噂になっている。いわく陸上部の特待生に短距離走で勝ったとか、バスケ部の特待生に1ON1で勝ったとか……。


 噂自体は眉唾まゆつばものだが、火のないところに煙は立たないというし、高梨さんの運動神経がそれなりにいいのは間違いないだろう。


「運動神経は悪くはないですね。でも……」

「でも?」

「お兄様と会える時間が減るので私は入らないです」

「……」


 満面の笑みだった。満面の笑みなのだが、その顔には一切の反論を許さない、確かな揺るぎない強さがあった。


 ……正直怖い。まぁ、部活なんて人に強制されて入るものではないので、別にいいんだけど。いいんだけど、ただ、余所よそでその理由を口にするのだけは止めて欲しい。数多あまたの運動部から僕が恨まれる未来に容易に想像出来るから。


「そういうお兄様は、どこか入りたい部活ないんですか?」

「え? けど、僕が部活入ったら、どっちにしても一緒にいれないんじゃ……?」

「大丈夫です。その時は私もその部活に入るので」


 満面の笑みパートツー


「い、今のところ入りたい部活はないかな……」

「そうですか。でも、もし部活に入りたくなったら言ってくださいね。すぐに準備しますから」


 準備? 準備ってなんだろう? 気になるけど、深追いすると面倒くさそうだからこの話をこれ以上広げるのは止めておこう。


「ま、その時が来たら言うよ」 


 多分、そんな時は来ないと思うけど。


「はい。お待ちしております」

「……ちなみに、高梨さんに関する噂ってどこまでホントなの?」

「噂、ですか?」

「陸上の特待生に短距離走で勝ったっていうのは?」

「あー。それは嘘です。彼女には後少しのところで負けてしまいましたから」

「……」


 後少しって事は、特待生相手と互角の走りをしたという事か。ある意味、ただ勝ったという話よりリアルで恐ろしいな。


「バスケの特待生に1ON1で勝ったっていうのは?」

「それも嘘です。私は5本中1本しか入れられず、向こうは5本中3本入れましたから」

「……」


 逆に言えば、特待生のオフェンスを二回止めたという事か。


「中学の時、バスケ部だったとか?」

「いえ、テニス部でした」

「そっか……」


 高梨さんの話を聞いて僕は、やはり噂話には尾ひれが付くんだなと思うと同時に、この手の話はグレードが下がった方がむしろすごさが増すんだなと新たな発見をするのだった。

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