第4章 雨空の下で

第19話 雨天

 結局、東寺とうじの告白は上手くいかなかったらしい。


 ただそう言った奴の顔は清々しく、そこに後悔はないように見えた。


 二人の関係ははたから見る限り今まで通りで、少し拍子ひょうし抜けしたが、まぁ悪くなっていないのなら良かったと素直に思う事にする。


 というような事を昼休みに氷菓ひょうかさんに話したら、「お兄様はお優しいのですね」と言われてしまった。


 そういう話なのだろうか? ……そういう話、なのだろうか。


 とにかく、少なくとも表面上は今まで通りの幼なじみコンビという事で、僕も一安心だ。


「お待たせしました」


 今日も今日とて僕達は、いつもの場所で待ち合わせをして帰宅の途に着く。


 廊下を歩き、階段を降り、再び廊下を歩く。昇降口に着くと、くつき替えるため下駄箱で氷菓さんとは一旦別れ、校舎の外で合流する。


 ――雨が降っていた。


 教室を出る時までは降っていなかったのに、それなりに強く雨が降っていた。


 通り雨……。いや、この強さだと微妙か。


 朝確認した今日この時間の降水確率は三十パーセント。雨が降り続く可能性は十分にある。……まぁ、傘は持ってきているから別にいいんだけど。


「氷菓さん、傘は……」


 当然持っているものだと思い聞いたのだが、氷菓さんの手には傘らしき物はなかった。


「ないわ」

「折りたたみは?」

「ないわ」


 笑顔で言い切られてしまった。


 思わず頭を抱える。


 これはもしかして、そういう事か? そういう事なのか?


 無言で傘を差し、雨の中に一歩踏み出す。


「行こうか……」

「うん」


 傘の中に氷菓さんが、うれしそうに飛び込んでくる。


 二人肩を並べて歩く。


 いわゆる相合傘というやつだ。


 嫌でも周りの視線は僕達に集中する。相合傘をする男女。そして、その内の一人があの高梨たかなし氷菓と来れば、周囲の目を引かないわけがない。


 僕としては、必要以上に目立つ真似まねはしたくないのだが……。


「うふふ」


 僕の隣で氷菓さんが嬉しそうに笑う。


「何?」

「いいわよね、相合傘。恋人って感じで」

「別に恋人じゃなくてもやるだろ。例えば親子とか友達とか……」

「年頃の男女がやるかしら」

「……。人によるとしか言えないかな」

「私の勝ちね」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、氷菓さんが僕に対して勝利宣言をする。


「負けてはないだろ」


 精々、旗色が悪くなって程度の話で、恋愛感情を持っていない年頃の男女が相合傘をしないという結論に今の会話で至ったわけではない。……少数かもしれないが。


「照れ隠し?」

「なっ。そんなわけ……」


 図星を突かれ、僕は思わず動揺をあらわにする。


 肩と肩がぶつかりそうな距離で、こんな美少女と同じ傘の下にいるのだ。動揺しない方がどうかしている。


 しかも、氷菓さんからはどことなくいい匂いが漂ってきており、嗅覚の面からも僕は精神的な揺さぶりを受けている。これは旗色が悪いどころの話ではない。敗戦濃厚、白旗寸前、一触即発。……いや、一体何が爆発するっていうんだ。僕の理性か? 僕の理性の話か? とにかく、マズイ事に変わりはなかった。


 高校の敷地を出ると、周りを歩く生徒の数は少しずつ減っていく。


 とはいえ、最寄り駅に向かっているのだからその減少割合はそれなりで、決して極端に減る事はない。まぁ、校外に出た途端、こちらに向く視線は激減したので、実際に見られている感覚はほとんどないのだが……。


 結局のところ、僕の自意識過剰、なのだろう。見られている見られていないに関わらず、周囲に他の生徒がいるだけで気になる。まったく、我ながら困ったものだ。


「ふぅー」

「ひゃっ」


 突然、耳に息を掛けられ、つい変な声を出してしまう。


 幸い、雨音にき消され、こちらに目をやったのは数人。その視線もすぐに外れた。


「何するんだよ」

「ぼっとしてたから」


 僕の文句に、特に悪びれた様子もなく氷菓さんがそう言う。


「だからって、変な事するなよ。びっくりするだろ」


 心臓が止まったらどうしてくれるんだ。


「別に、やり返してくれてもいいのよ」

「するか」


 そんな事をしたら、それこそ注目の的だ。今更な気もするが、制服着用時に自ら目立つ真似はしたくない。私服の時ならいいかと問われれば、まぁうんと答える他ない。


「それより、肩、濡れてる」

「え? あぁ……」


 言われてそちらに目をやると、確かに氷菓さんとは反対側の方がしっとり濡れていた。


「いいよ、これくらい」

「よくないわよ。ほら」


 そう言って、氷菓さんが強引に僕の腕に抱きつくように自身の腕を絡めてきた。


「ちょっ」

「暴れない」


 僕のわずかばかりの抵抗を制し、氷菓さんがより強く僕の腕をホールドする。


 これ以上抵抗すると傘がぶれるため、僕は氷菓さんの言葉に素直に従い、大人しくされるがまま彼女の言う通りにする。


 ……もう、どうにでもしてくれ。


「雨は好きよ」

「何、急に?」

「前に聞いたじゃない。雨と晴れどっちが好きかって」

「あぁ」


 確かその時、氷菓さんは雨が好きだとは言ったが、理由までは言わなかった。


「それでその理由は?」

「こうして二人で歩けるから」

「なんだそれ」


 まるで今思い付いたかのようなその理由に、僕は思わず苦笑を漏らす。


「うふふ」


 それに対し氷菓さんは微笑ほほえむだけで、言い返す事も茶化ちゃかす事もしなかった。


 その後、駅の外、屋根のある所まで送り届けると、僕はそこで氷菓さんと別れた。


 ちなみに、ふと気になり、最寄り駅から家まで傘なしでどうやって帰るのか聞いたところ、かばんに折り畳み傘が入っているからという回答が氷菓さんから返ってきた。


 ……やはり、持っていたか。持ってないと言った時、やけに即答だったから怪しいと思ったんだよな。折り畳み持っているなら、二人で一つの傘に入る必要なかったと思うのだが……。まぁ、いいけどさ。

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