第9話


「あっちの丘に車両がありますね」


 装甲指揮車両や通信車が見えた、どうやら将校らは軍議の真っ最中のようだ。どうするにしても輸送車が全くない、これではどこに行くにしても時間ばかり食ってしまう。


「抽出した兵力は二千弱ってところか。歩兵、それも歩きじゃ守備以外の役にたたんぞ」


 戦闘力には機動力が含まれる。一等兵が言うように、その場を守るならば適切だが使い道は少ない。


「海沿いの道をベイルートへ向けて進軍中の敵がいるってことですが、全然間に合いませんね」


 道のりにして西へ百キロだ、何日掛かるか解ったものではない。その頃には既に勝敗は決しているだろう。


「だな。待機命令だ、体休めとけよ」


 短い時間でも休憩をする。休むことも任務のうちだ。 丘から複数の男が駆けて来る、それが下士官だとわかると皆が顔を振り向けた。


「聞け! これより分乗して戦場へ向かう、武器をここに置いて三名ずつ固まれ!」


 黒人の先任上級曹長がこれでもかと声を張った。例の褐色の先任上級曹長も居て、腕組をしている。戦闘中は将校が命令を下すが、それ以外では先任上級曹長が頂点で運営を行う。


 どうやら無敵の先任上級曹長が最先任のようで、睨みを効かせるだけで実務は黒人が仕切っていた。


「素手で戦場に行けって、面白いこといいますね」


「さっきの山岳部隊じゃないが、現地で再武装させるってこったな。でもなんでそんな面倒なことをするんだか」


 兵員輸送車に定員で乗り込めばそれで済むこと。一等兵は世界の常識を思い浮かべた。やがて山間にエンジン音を響かせて迎えがやって来ると、妙に納得してしまう。緑色の線が車体に塗装された車が列をなして多数やって来た。


「おいおい、冗談だろ」


 つい口元が緩んでしまった、呆れた笑いと想定外の関心とが入り乱れている。


「順番に乗車しろ!」


 軍曹らが交通整理を行う。兵卒が三人ひとまとめでタクシーに乗り込む、体格が勝っているので四人詰め込むのは厳しい、そういう意味で三人にしたのが理解できた。後部座席に乗り込みリラックスする。


「バスも居ますね」


「レバノン中央運送会社か。首都あたりでの最大手だな」


 細々と別の会社も混ざっているようだ、国防の為に協力をするのも解らなくはないが、あまりに迅速にやって来てきっちり動いているのには驚いた。まるで訓練された部隊のように移動を行っている。


「なあ運転手さん、随分と流暢な感じだが?」


 チラッとルームミラーで後ろを見る。揃いの黒服に身を包んでいるのを確認すると二カッと笑う。


「そりゃあこんな時の為に合同訓練してますんでね」


「合同訓練?」


 避難訓練や教習あたりは解るが、タクシー会社が合同訓練とはなんだろうかと首を捻る。


「軍と運送会社のですよ。ご要望とあらば戦場ど真ん中にだって送迎しますよ」


 白い歯を光らせて冗談とも本気ともつかない一言をぶつけて来る。


「最高のサービスだなそりゃ」


 アメリカでも、ヨーロッパでも従業員の暴動が起きるレベルの内容だ。余程の危険手当が約束されているのか、それとも拒否は投獄でもされるのか。


「ラフード会長の方針ですよ。退役軍人を優先して運転手として雇ってくれてるんです、能力が無くて除隊されたり年齢で軍を離れた者を。社会に戻ってもこれといった仕事も出来ないんで、有り難いことです。だから一言あれば俺達は喜んで死地に向かえるんです」


 死んだとしても遺族基金で家族が生活に困ることが無いように行政が面倒を見てくれる、運送業界が政府に求めた見返りがそれだった。それは軍事大臣の後押しで予算化され、年々基金として積まれていた。


「ほぅ……」


 システム化されたものを利用した、十年、二十年に一度あるかないかの事の為に予算を勝ち取るのは難しい。防災費用は実際に災害が起きてから予算が認められる、それでは遅きに失する。


「凄いですね、でもうまく行くかどうかも解らないのに」


 二等兵がズバリ突っ込みを入れる。


「実績があるんですよ。タクシー歩兵、もう十年近くも前の話ですけどね」


「自由シリア軍の越境攻撃?」


 年代から推測するにそのあたりかと一等兵が指摘する。


「そうです。軍事顧問をしていた者が昔に準備していたタクシー歩兵、それがドンピシャで刺さったんですよ。その時の社長が今のラフード会長で。凄かったみたいですよ、首都から歩兵を最短で戦場へ運んだって」


 何度も話したことがあるのだろう、自社の歴史を誇らしそうに語る。


「イカれた軍事顧問が居たもんだな。発想としちゃ悪くねぇが、よく軍が民間の助けを借りるのを認めたな」


 話をしている間に車はシムスター市を左手に見て進む。ファラーヤを抜ければジョウーニまでは直ぐだ。ベイルートを守る最後の拠点、ジョウーニ市を南北に貫通する公道51号が最重要戦略目標と言える。市の北部、マーメルティン地区、そこを目指しているのは今はまだ知らない。


「そこまでは知りませんがね。ついたら起こすんで休んでてください」


 揺れるが少しでも寝ておきたかったので素直に従う。目を瞑ると揺れが何とも心地よく感じられ、やがて意識を失った。



「もうすぐつきますぜ」


 夜明けがもうすぐ、うっすらと明るくなるあたりのようだ。速度を落として市内を走っている。


「ここは?」


 見たことのない街並み。ベイルートではなさそうだ。


「マーメルティンですよ。首都の最終防衛ライン、ここより南はもう遮る場所もない地形で」


 海沿いの街だ、東には山脈が走っていて集団が移動することは出来ない。


「おいお前らもさっさと覚醒させとけよ」


 寝起きでは反応が鈍くなる、何かが起こる前に頭も体もはっきりとさせておけと注意を促した。時計を見る、四時過ぎだ。もし早朝の攻撃があるとしたらもうそろそろ始まるだろう頃。車列が止まった。兵が下車して分隊ごとにまとめられると駆け足が始まる。


「第4分隊続け!」


 軍曹が先頭になって説明もなく走り出す。皆がそれに従った。五分も走ると公園に駐屯している部隊が視界に入る。


「武器管理隊だな」


 憲兵がやけに目につく、クァトロにそのような名称の兵は居ない。ということはレバノン軍ということになる。 流れ作業で歩兵武装を供与されるが、何故か新品のアメリカ製品ばかり。


「最新式じゃないですかこれ?」


「まだ一部の部隊にしか配備されていない品だな。どうなってるやら」


 言いながらも重歩兵と呼ばれそうな程身に着けると、広場に並んでいる軽車両に乗り込むように命じられる。


 分隊指揮官の下士官、何人いるのやら解らないが褐色の肌の先任上級曹長だった。左腕にはやはり四つ星が縫い付けられている。どうやら区分的には本部の護衛兵のようで、徐行している脇を次々と味方が追い越していった。


「民間人?」


 一等兵が斜め前を走っている一般車両を見て首を傾げる。ベイルートナンバーのセダンやトラックに、私服の黒人らが乗っていた。


「でも武装していますね」


 民間人が大っぴらに武器を手にしている、お国柄だろうか。自分たちも民兵なのをすっかり棚にあげてだ。


「あれは擲弾兵だ」


 軍の呼称としては古い。現代では名誉的なものか、はたまた形式的な呼び名でしかない。だがどちらにも当てはまりそうになく、手榴弾やグレネード付き小銃を多数装備している本当の意味でのそれだと気づく。


「民間人を前線にだって? それに擲弾兵って、レバノンは狂いでもしたのかよ」


 つい上官相手にそんな口をきいてしまった。だが先任上級曹長は怒りもせず、笑いもせずに「志願者だ」とだけ応じる。集団の先頭を走る車両には黒ベタの四つ星軍旗が掲げられていた。クァトロ師団のそれとまったく同じに見えるが、決して同じ軍の指揮下にあるわけではない。


「妙にいきりたってますねあいつら」


 二等兵が何に興奮しているのかと熱い視線を送り続ける。目があった、その男は黒服を見て笑うと拳を突き出して挨拶してきた。同じ仕草で応えてやると満足したのか前を向いて声を上げる。


「だな、湿っぽいより百倍マシだ。しっかし……相変わらず司令官の影も形もなしか」


 ナンバー1の軍旗をずっと探しているが見当たらない。あるのはすぐ傍に「4」「16」「15」「18」「6」といったところ。その時不意に砲撃の着弾音が耳に入った。市街地外縁に陣取る味方に対してのものだ。


「百五ミリか!」


 イランイスラム革命防衛軍から供与されている牽引榴弾砲、口径からそこまでが一瞬で頭に浮かんだ。


「近くに着弾するぞ!」


 どこかで声が上がった。その声が耳に入るということは同じく至近に居ることになる。


「伏せろ!」


 軍曹が反射的にあらん限りの声で周囲の皆に呼びかけた。一瞬動きが遅れた者も居たが、三秒以内に全員が地に額をこすりつける。地震が起きた。空気が震えて脳震盪になったような状態に陥る。装甲に守られた車内に居た者達にも等しく衝撃波が襲い掛かった。


「$&’%#”%’(!」


 通信が乱れているのと意識が朦朧としているせいで言葉が雑音状態で右から左へと抜ける。いち早く駆け付けた黒人衛生兵らによって簡易診察が始まる。


「おいこれが何本に見える、名前は、今日は何日だ」


 意識を失わないように無理矢理に話しかける、そのうちようやく自分に向けていっているのだと気づけた一等兵が「おいおい、質問は一つで頼むぜ」何とか笑みを作ると答えた。隣では二等兵が頭を左右に振って右手でヘルメットを押さえている。


「永い眠りから覚めたような気分だ」


「それも悪夢でうなされて、ですね」


 あちこちに翻っていた軍旗は根こそぎ倒されてしまい、今は一本も目につかない。


「これで後退なんてことはないですよね?」


「ま、今までの戦いを鑑みて答えを探すってならそうだろうさ」


 作戦で退くことはあっても、力で押し戻されることを認めない、いくら不利であっても。信念の上では正しいのかもしれないが、正しいことが全てでは無いのが現実というものだ。黒人の上級曹長が声を張る。


「重砲を破壊する、志願者は付いて来い!」


 黒の戦闘服、左腕には四つ星。今のところ四つ星が付いた黒服を着ている男は極めて少ない、そしてそれらすべてが勇猛果敢で自分の命を一つと考えていないような奴らばかりだった。


「どうします?」


 二等兵が流石に突出するのはどうかと二の足を踏む。


「俺はな、ちょっとした度胸試しのつもりで参加したんだ。どうせクソみたいな作戦で、クソみたいな命令ばかりだってな」


 護衛兵らは勝手に志願できないようで、悔しそうに上級曹長に視線を送るだけだ。


「決死隊ですよね、無茶苦茶ですよ」


 集団自殺を勧めているようなものだ、足止めどころか微かな抵抗をするのが精一杯のはず。


「ただじゃ死なんってことだろ、見ろよあれ」


 集まって来る男達、誰一人悲壮感に浸っている者など居なかった。肌の色も人種もバラバラ、その瞳には強い意思が宿っている。足が勝手に動く、一等兵が上級曹長の前に並んだ。それを追って二等兵も隣に立つ。


「よし、付いて来い!」


 ネイティブアフリカン、南スーダン国旗を胸に縫い付けている男が英語で命じる。少しばかり北へと駆ける。銃声が激しくなってくると、たまに左右の建物の二階部分にぶつかる音がした。


「下手くそが銃口を上げ過ぎなんだよ」


 地面に突き刺さるようならば、伏せている兵に当たることもあるだろうが、空を飛んでいる兵は皆無だ。


「志願者、三十人位でしょうか」


 一カ所に集められる、対面には将校らが立っていた。上級下士官らが全員揃ったのを確認すると、ドイツ人少佐がレバノン人先任上級曹長の黒人に報告を受ける。 小さく頷くとまだ三十歳前後だろう少佐が胸を張り口を開く。


「志願者諸君、臨時特務部隊長ブッフバルト少佐だ。これより敵陣に侵入し、百五ミリ砲を破壊する」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る