第8話


 ビッリー退役准将がついに引き下がれない一線を越えて進んだ。中佐の襟首をひっつかみ締め上げようとしたのだ。手が触れた瞬間、傍に控えていたあの先任上級曹長が体を割り込ませて腕を捻り准将に膝をつかせる。


 護衛がサブマシンガンを構えようとするのを「鎮まれ!」中佐が一喝する。


「下士官の暴行、自分の監督不行き届きです。戦後に処分を受けさせて頂きます」


 解放するようにと視線で命じると、先任上級曹長は手を離して引き下がり気をつけの姿勢に戻った。 いつの間にか多数の射手が一秒以内に招かれざる客を排除できるように位置していた。


 その全てが黒の軍服、肌の色も様々で寄せ集めの感が否めない。見ていた一等兵が勝負あったなと准将の貫録負けに頷く。


「持ち場に戻るぞ」


「頼れる上官ってとこでしょうかね?」


「危なっかしくて部下としちゃ迷惑だろーに」


 そうは言っていても、一等兵の口元は微かに笑っていた。頂点が折れるということは負けを意味する。部下が全て負けても頂点だけは決して折れてはいけない、そうである限り大きな視点で希望は繋がった。


 丘に迫っていたイスラム教徒の軍勢が進路を右にして遠ざかっていくのを眺めてから正面に向き直る。


「さーて今度の無茶はなんだろうな」


「敵の司令部に突撃でもしてこいってあたりじゃないですか?」


 もう二等兵も穏健な命令など下らないのを受け入れてしまう。師団司令部なのか、軍司令部なのかの違いはありそうだが。軍曹が小走りで本部から戻って来るのを見て隣と視線を通わせる。


「命令が下った! 敵軍集団をシリア国境まで押し戻すぞ!」


 やれやれと肩を竦めると、今夜は眠れないだろう未来を予測した。



 狭隘部を確保したレバノン軍は民兵団を中心とした守備隊を残し全力で、北のマクネー市に陣取るシリア軍と衝突する。東五キロ地点のナヒエ市、ユナイン市の迂回路にも軍を割った。


 マクネー市だけを守り切っても、その側背の間道がユナイン市と繋がっているので退路を断たれる恐れがある。敵国深く侵入し連絡路を遮断されれば士気の著しい低下を招いてしまう。


 兵力の多いシリア第三軍だ、二個師団を東部に割いて側面を固めようとしたのは道理だ。そして一等兵らは現在そのナヒエ市の目の前、山岳道路を進んでいた。


「こっち二千位しか居ないな。大丈夫かよ」


 狭いので縦深陣地を敷いている相手、これを全て破るのにはかなりの労力が必要になるだろう。


「あちらは予備師団でしょうかね、でも軽く見積もっても三倍はいます」


 いつだったか一度戦った軍旗のような気がしていた。以来見かけなかったのできっと後方に回されてしまっていたのだ。


「なんか大柄な奴らが多いな? スイス系の顔つきが目立つ」


「スイス系て、そんなの解るんですか?」


 どうやって見分けているのか、二等兵には全く解らなかった。


「まあな、俺はスイス出身だから、地元民の顔つきくらいは解るさ」


「ああ、そうだったんですか」


 妙に納得してしまった。確かにアジア人と中国人、日本人などの見分けはヨーロッパ人には難しい。だが日本人にならば中国人との見分けはつけられる。アフリカ然り、どこの国でも地元と他くらいは解るものだ。


 部隊は二種類、重武装と軽装の集団に別れていた。太陽が傾いた、夕闇が来るのを待って軽装集団が動く。向かう先は道路ではなく左手、西側レバノン山脈を構成するユネメー山地。くねくねとつづら折りになっている山岳道路を一直線登り始めた。


「山岳兵だな、山手から奇襲を仕掛けるってわけだ」


「あの軽装で突っ込むんですか?」


 登山装備こそ多かったが、火器は少なかった。精々小銃程度でどこまで戦えるのか。


「お前が指揮官ならどうする?」


 一等兵が考えを導いてやろうと大雑把な質問を投げかけた。今は一介の兵士だが、一等兵も会社に戻れば幹部の一人だ、教育には興味がある。


「うーん……無しで戦うわけにはいかないですからね、どこかで装備する必要があります。今持ってないなら山の上ってことでしょうか?」


 状況から消去法で道筋を導き出す。ではその先が次の問題だとすすめられた。空輸するにしてもヘリなど飛んでいない、考えてもどうにも答えが出ずに降参してしまう。


「そこまでたどり着いてるならあと一歩だ。司令官が余程の脳足りんでなければ素手同然で攻撃などさせない、装備が必須ってならどうにか都合を付ける。となれば答えは一つだ」


 もったいぶるわけでは無いが、一等兵がタメを作る。口元を綻ばせてこうであって欲しいとの願望をこめて言った。


「事前に山に保管してあった。そういうことだろ」


「まさかですよ。どうしてこんな山に武器が?」


 それはそうだ。どれだけ先が読めればそういう考えに至るか、幾らなんでも突飛すぎた。


「レバノン北東部はダーイッシュとの紛争地域だからな。ナヒエ市、ユナイン市を東部からの盾にして、その後方に当たる山に武器庫を置く。戦略準備としちゃ悪くないだろ」


 それだけでなく、ヌスラ戦線とも競り合いをしている。シリア軍がこうやって侵攻してくるのは何十年も前からの常識ですらあった。


「ということは山岳に武器管理部隊が?」


 山中に無人で放置するほどレバノン軍も眠たい者ではない。軍隊の武器保管だ、細心の注意を払う必要がある。


「地方の軍管区で管理するのが普通だろうが、国防そのものを担っているとも言える、中央の直下だろうな」


「すると……」


 ようやく全ての道筋が繋がったようで、二等兵がレバノン第一旅団の存在を思い浮かべた。首都の精鋭、軍事大臣直下の国防軍。その旅団長が責任者だろうことに行きつく。


「第一旅団がここに増援して来ると決まった時に、もう準備は出来てるってこった」


 推測でしかないが、これならば筋が通ると自分でも頷いた。物事こうも都合よく行くはずが無いのも理解しているが、味方贔屓をしたくなるのは人情だろう。


「でもクァトロ師団が行って、はいどうぞってなるもんですか?」


 そこは一等兵も引っ掛かっていた。余所者の民兵団が戦時に突如現れて、虎の子の兵器を簡単に供出するのかどうか。


「軍隊だ、旅団から命令があれば従うだろうさ」


 そうは言いながらも確実ではないと懸念を示す。外国人に対する拒絶反応はどこの国でも絶対に起こるからだ。


 こちらの二千、臨時戦闘団の名の元に指揮をしているのは驚くことなかれ少佐だという。少佐が頂点ということは、階級が同じ者が居たとしても大尉以下が殆ど。これだけの規模を取仕切るのにはかなりの経験と胆力が必要になる。


「ブッフバルト少佐ってのが臨時戦闘団長ですね。ドイツ系の響きですが、スイス人でしょうか?」


「さあな。でもそいつが9の軍旗の持ち主らしい」


 近くに翻っているナンバーを見て、それが戦車部隊の指揮官だったのを思い出す。


「一人何役ってやつですね」


 今回は戦闘装甲車は持ち込んでいない、軽戦闘車が殆どだ。正面の戦線が火力を必要としている、こちらが楽なわけでは無いが重要度を考えれば仕方ない。


「12もあるな。山に上がったのは22だったか」


 最も過酷な任務を引き受けた者、危険の度合いは群を抜いている。どうしてそんなことが出来るのか、民兵の士気では考えられない。


 軍曹が腕時計を見てそろそろだと小さく頷いている。その直後だ、北の市街地付近で爆発音が響いた。


「迫撃砲弾の音だな」


 この場に居る多くが口径まで推測出来ているようで、言われずとも攻撃準備を始める。


「前進するぞ!」


 分隊毎に小走りで闇夜の道を行く。片目だけ暗視装置を通しての風景を見ている、遮光・調整機能があっても絶対ではない、用心して暗闇に慣れている目を残してだ。夜間警備に出て居た敵との交戦が始まる、大火力の反撃はまだない。


「おいお前も撃てよ!」


 眉を寄せてヘッドフォンに片手を当てて黙っている二等兵に声を掛ける。


「済まん兄弟、海沿いから敵が突出してベイルートに迫っていると通報があった」

「そいつは一大事。狭隘地にまで下がって意地悪く足止めしておきましょう」

「戦闘団を振り向けるが戦闘車は残す、何とか持ちこたえてくれ」

「ご期待に沿えるよう努力します。移動は例のアレで?」

「ラフードに大至急で依頼した」

「ではすぐに引き下げます、こちらはお任せを」

「頼んだ、向こうは何とかしてくる」

「ダー」


 謎の通信傍受はわずか十数秒でしかなかったが、大変なことが起きているのが伝わって来た。


「ここから撤退するですって」


 ようやく銃を構えて攻撃に加わると同時に大声でそう言う。


「おいおい冗談だろ、それなら始める前にしてるっての!」


 それは道理だ。一度戦闘を始めてしまうと簡単にやめることなど出来ない。だけでなく、突入した山岳部隊を見殺しにするようなもので、勝つまで戦いを続けることしか選べない。


「臨時戦闘団長ブッフバルトだ、これより撤退を開始する、狭隘地まで後退せよ!」


 全員の耳に命令が入る。つい二人で顔を見合わせてしまう。


「マジかよ、じゃああいつらどうすんだ!」


 敵陣真っ只中の部隊、全滅は必至だ。きっとあちらでも命令を耳にしている、今頃大混乱だろう。


「こっちの部隊が下がり始めました、自分たちも戻りましょう!」


 取り残されたら大変だ、不満があっても今は従うしかない。


「くそ! 味方殺しが!」


 銃弾をばらまくと一歩、二歩と後退しながら悪態をつく。似たような声が少なからず聞こえてくる。戦争をしている以上、朝令暮改など日常茶飯事だ。それでも無駄死にになりかねない仕打ちを、黙って飲み込める程皆が皆大人ではない。


「山岳部隊長トゥツァ少佐より臨時戦闘団、敵を釘付けにする、すぐに後退しろ!」


 驚きだった、取り乱すことも、不満をにじませることもなく、撤退を支援するとだけ連絡を寄越してきた。五倍を超える敵に肉迫し、退路も無いというのにどうしてまともで居られるのか。


「畜生! 走れ!」


 小銃の射程から外れたあたりで背を向けて走り出す、十分も走ればもうそこは静けさが全ての荒れ地だった。小隊が集まり通常の行軍に切り替えて出撃陣地にまで後戻りする。一部の軽車両に負傷者を乗せて治療を行った。


「たったの数十秒でも被弾する奴は居るもんですね」


「そうだな、数時間最前線でドンパチやっても生きてる奴も居たけどな」


 その言葉で二人はあの先任上級曹長を思い浮かべてしまった。きっと今だって小銃の弾が届く場所で戦っているだろうと。


「月は綺麗だが、この世は腐ってやがるな」


 自分はあんな命令を出さないで済むようにしたい、一等兵は胸のわだかまりを一つの誓いにする、無意味な犠牲は絶対に避ける。


「楽園に行けるのは死んでからって決まってるんですよ、来世に期待しろってね」


 陣地構築真っ最中の狭隘部、どこから持ってきたのか工作用車両がエンジン全開で作業をしている。重傷者を後送する、といっても近隣の村へと隔離しているだけだが。


「黒服が多いな?」


 臨時雇いの面々だろう、兵卒が集められている。居ても下士官、それもやはり臨時雇いの軍曹らしか見えない。

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