第3話

「おい、敵が引いていくぞ、助かったのか!」


 ほっとして一等兵がその場に腰を下ろす、これで暫くは安心だと胸をなで下ろした。味方の多くもそう感じたのか歓喜の声が湧き上がる。


「全軍傾注せよ、司令官の訓示がある!」


 守り切ったことへの御言葉でも頂戴するのだろうとリラックスして耳を傾けた。


「クァトロ司令官イーリヤ・ハラウィ中将だ。シリア第三軍の前衛が崩壊した、これより追撃を行い敵をパールベックより北へ押し出す。クァトロ戦闘団を先頭に攻勢に移れ」


 多くの軍兵が耳を疑った。守るので精一杯、それなのにこちらから攻撃に移れとは狂気の沙汰としか思えない。


「いくらなんでも無理だ! この大損害でどうやって勝てってんだよ!」


 不満が巻き起こる。それはそうだろう、相手は前衛、それも一部を失っただけなのだ。ここで調子に乗って出ていけばそれこそ全滅の憂き目にあう。 今まで後方に在った「5」の軍旗が前に出てくる。軽戦闘車両を多数引き連れてはいるが、戦車に敵うべくもない。


「やけにアフリカ系が多いですね?」


 二等兵が顔つきからそう推察する。軍隊というより部族とでも言った方が近いかもしれない雰囲気もあってだ。


「守備隊自体がかなりの寄せ集め人種だが、どうしてだろうな」


 アフリカンを肯定して舌打ちしながら前進の準備をした。嫌でも何でも命令は順守しなければならない、そういう契約で参加している。塹壕に拠っていた守備兵の殆どが移動するのだろうか、完全に陣地を棄てるような処理が目についた。


「まさかこのまま玉砕してこいって話じゃ」


 不穏な未来予測を口にした。例えそうだとしても、沈んだ気持ちで戦うのはよろしくない。


「どうして攻勢に出るのか俺には解らん。意地悪くここで籠ってりゃ戦争も終わるだろうに」


 勝つか負けるかは知らんと吐き捨てる。そもそもが参戦はしていても、勝敗はそれほど興味はない。実戦が出来るので傭兵経験を積みに来た、ただそれだけ。



「どうなっておるのだ!」


 空軍に攻撃を要請してあれだけ地上爆撃で痛めつけた。戦車も動員したというのにあべこべに逆侵攻を許している現状の意味が解らない。まさか命を捨ててまで守るのをボイコットするような兵が居るとも考えられないので、真面目に戦い競り負けているのを受け入れる。


「閣下、敵の進撃が止まりません。ここは危険ですので司令部をもう少し後方へ――」


「貴様は俺に恥をかかせたいのか!」


 全てを言う前に司令長官が爆発する。少数の敵に勝てないどころか、勢いに怖じて司令部を後退させたなどと知られたら同僚に馬鹿にされてしまう。


「け、決してそのようなことは……」


 冷や汗をにじませたじたじの返答をする。とは言え敵が迫っているのは事実だ。長官が下がらないというならそれはそれで良い、けれどもこのまま待って居るだけではどうにもならない。


「前面に戦車隊を集めて防壁を作れ、すぐにだ!」


「は、はい!」


 それを口実にまずはここから離れることを選んだ側近が慌てて部屋から出て行った。 言われなければそんなことすら出来ないのかと肩を怒らせる。


 実際は戦車の運用権限を司令長官が握っていたので勝手に動かせないのが理由だったが、そんなことは関係ない。通信将校がメモ片手にやって来る。


「報告します。空軍司令部よりスホーイ24フェンサーの出撃準備が出来ていると通信がありました」


 地上攻撃機、それも専門の機体だ。ここで要請を行えば楽に逆転が可能になるだろう。


「……」


 だが司令長官は要請して今後弱みを握られるのを嫌がる。黙って指示を待つ通信将校が、特に命令は無いと判断しもう一つの報告を上げた。


「ミグ25フォックスバットの乗員にも待機命令が出されています」


「何だと?」


 振り向いて怪訝な顔を見せる。それもそうだろう、ミグ25といえば迎撃戦闘機だ。レバノンに空軍は無い。ヘリ部隊が少数あるだけで、戦闘機の出番などこれっぽっちもない。

 

 それなのに何故、迎撃戦闘機の乗員に待機がかけられているのか。情勢を素早く思い起こす、地中海にアメリカ軍の艦があるのでそこが怪し動きを見せているのかと。


「空軍の動向詳細をあげろ」


 意図を誤ってはいけない、より詳しい報告をあげさせてから思考の幅を広げようとする。


「どうにもミグ29ファルクラムの使用許可を上申しているとの話も」


 シリア空軍の最新鋭機、多用途運用能力を備えた万能機だ。地上攻撃ならばそんなものが出なくても良い、制空戦闘は起こりえない。


「……」


 再度黙りこくって頭を働かせる。意味も無いのに出撃などしない、それが当たり前ならば原因は他に在る。迎撃戦闘機が待機していることと照らし合わせると、やはり敵の戦闘機が動きを見せていることになる。


「地中海のアメリカ軍、動向はどうだ」


「現時点では介入を控えています。すぐに動くことはないと、情報部でも外交部でも認めています」


 レバノンの味方など殆ど居ない。アメリカ軍が気まぐれで動くというのでなければどこを警戒しているのか。


「……」


 イスラエルはレバノンが滅びたら笑みを浮かべるだろう。ではヨルダンはというと、どっちつかずでこれ以上難民が流入されたら困る位の反応が近い。


 エジプトが関わって来るとしてもこう早くは動かないし動けない。どうにも答えが解らず低く唸る。どこか遠くで戦闘の音が聞こえてきた。ここにまで敵の砲火が迫ってきている証拠だ。


「防衛線はどうなっている」


 副官に戦車隊の状況を調べさせる、耳にしていたのだろうすぐに返事がある。


「前面に展開、持ち場を防衛中です」


 満足いく動きにそれ以上時間を割かない。全ては勝ってから帳尻を合わせよう、司令長官が判断を下す。


「再度の地上爆撃要請を行え」


「はい、閣下」


 通信将校もここで戦死するつもりはない、呼べる援軍が有るなら過剰と言われようとも全部呼んで戦力を増強しようとする。出て行った後も扉を暫く見つめる。


「空対空戦闘……」


 やはりアメリカが動く兆候があったのだろうと考えた。そもそも旧世代の戦闘機ではシリアが誇る空軍に勝てない。


「閣下、防衛線の構築手配を終えました」


 戻って来た側近の顔色が良くなっている。すれ違った通信将校と情報交換を行ったというところだろう。


「そうか」


 興味が別に移り大人しくなった司令長官を見て、どうしたのだろうと首を傾げた。



「マジ勘弁だ!」


 少数の歩兵が戦車が多数控えている防衛ラインを攻めている。正気の沙汰とは思えないが、事実攻勢が成立しているのが不思議だった。


「随分と肉迫してるけど、これじゃ敵も味方もないですよね」


 混在状態一歩手前だ。歩兵だからこそ敵味方を識別して戦っていられるが、戦車内や、ましてや上空からでは誤射の危険が大きいだろう。砲撃が止んでいる。今までいた陣地はボロボロになっているが、少数の歩兵がいそいそと動いているのが見えた。


「あいつら後ろでなにしてんだ?」


 黒服なので味方なのは解る。塹壕を掘りなおしている風でもないが、忙しそうに作業をしているのは確かだ。


「瓦礫の撤去ですかね? でも山に見えてるの、木箱っぽいですが」


 何せ土煙が酷くて遠くを視認しようとしてもぼやけてしまう。それどころではないというのもあったが、小銃を撃ったところで鉄の塊を壊せるわけでも無いので待機が続いている。


 必死にロケットを担いでは接近する隊もあったが、流石に防御が硬くて被害を与えることが出来ないでいた。 何やら長距離用の携帯無線を持っている通信兵の動きが慌ただしくなる。直ぐにそれがどういう理由かが知らされた。


「クァトロ副司令官ロマノフスキー准将だ。やっこさん重武装のフェンサーを飛ばしてくるようだ、下ってもどうにもならんからせめて爆撃を受けんように混在するぞ。全部隊接近戦用意だ!」


 耳あてに片手を置いたまま言葉を反芻する。二秒ほどで「なんだって!」ようやく一等兵が異常に反応した。


「接近戦の用意って、戦車とですか?」


 二等兵が多数居並ぶ殺戮機械に視線をやる。あんなのとどうやって接近戦をやるのか想像が出来ない。不満とも不安ともわからない叫び声にも似た声があちこちで聞こえてくる。


「どんだけだよこのクァトロってのは! 畜生が、帰ったら絶対に訴えてやる!」


 装備を背に抱えて移動の準備を始める。ここに残って居ても危険は変わらないのを知っているのだ。


「あ、後方のやつらが前進してきます。総員への命令だったみたいですね」


 離れようと思えば出来た後方の隊、それも上げてきたのは一か八かの賭けに出ているということになる。 味方から多数の榴弾が投擲された。それらは戦車が居るあたり前後に落下し、爆発することなく転がった。少しすると煙を派手に噴き出して視界を奪っていく。


「目くらましか、ないよりはましだ。死ぬなよ!」


「前見えないですが、どっちがいいやら」


 聞こえるのは煙幕を撃ち出す音と、戦車の主砲が殆ど。機銃や小銃の発砲音はBGMとさほど差が無い。腰を屈めて速足であっちだろうと思う方向へ進む。感覚でどのあたりに居るかを想像するだけだ。


「ゴーゴーゴー!」


 要所に居るらしい下士官の声が耳に入る、まだ立ち止まるなということだろう。大分主砲の音が大きく聞こえ、空気が震えるのを感じられた。当たれば痛みも何もなく死を迎える、音が聞こえるうちは被弾していない証拠でもある。


「実戦がこうもカオスだとは考えなかったよ!」


 肩がぶつかり倒れそうになるのを踏ん張り前へ進む。どちらが前かなど判然としない、煙幕が漂っているということは戦車の傍だとしか分からなかった。足元に居た人間にぶつかり体勢を崩す。


「悪ぃ!」


「マ?」


 しゃがんで肩を寄せ合う。煙が薄くなる、隣に居るの男が薄い茶色の戦闘服を着ていることに心底驚いた。ほぼ同時に敵同士だと気づきナイフを抜く。コンマ何秒か早くに黒服の一等兵が敵の喉を掻っ切った。


 血をまき散らしてシリア軍歩兵がドサッと砂の上に倒れ込む。乾いたところに赤い染みが出来上がる。


「はぁ、はぁ、はぁ……くそっ、何だってんだよ……」


 考えがまとまらずに肩で荒く息をする。背中に人がぶつかって来た、すぐにナイフを向ける。


「ちょ、俺っすよ俺!」


 黒服の二等兵が追いついてきたようで必死にアピールした。


「何だ生きてたのか」


 すぐに他を警戒する。煙幕が徐々に薄れてきて遠くが認識出来るようになってくる。


「生きてましたよ。どのあたりですかね」


 小銃を構えて一等兵と背を合わせる。半分ずつ警戒を担当し、危険を等しく分け合った。


「知るか。下士官の声は聞こえねぇが」


 大抵どこにいても声を出しているのが下士官だ。上手く行っていても、行ってなくても。目を凝らす。数歩のところに褐色の肌、物凄い胸板の厚い男が居た。


「RPG用意! 戦車を擱座させるぞ、俺に続け!」


 そいつは言葉に反して使い捨てのM72E9ロケットを六つも持ち上げて煙に突っ込んでいった。


「今のって?」


「先任上級曹長だったな、行くぞ!」

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