第2話 二人の過去

「なんだ騙しかよ、期待した俺が悪いんだよなこれって」


「なによう、美人が二人で一緒にお茶しようってのよ、喜びなさいよ」


 倉持が口を尖らせて抗議した、内容が正しいかは別として。その表情だけ見れば、何とも愛嬌がある。


「はいはい、嬉しいですよ。あー嬉しい。俺、カフェオレな」


 別に興味は無い、そんな素振りで返してしまう。まあ実際特に気にはしていなかった。なにせ美女を見慣れているから、という自覚は微かにしか無い。そういう環境で育つ者は稀にだがいるものだ。


「ひっどーい、ねえ百合香」


「え、えと……あの、私もカフェオレで」


 楽しそうに会話をしているのをいいなと思いながらも、混ざることが出来ずにいる。高校に入ってからの付き合い、それでも二人は親友と言えるほど仲が良かった。互いが求め合った結果だ。だが性格は全然違う。


「ぶー。私はクランベリージュースかな。ところで榊って部活やらないで普段何してるのよ、バイト?」


 高校生は何せ忙しい、勉学と部活が二本柱なのは想像がつく。そこにバイトでもあれば確かに自由時間は少なかろう。


「別に、何もしてない。どうしてだ?」


「高校男子が部活もバイトもしないって。こっちがどうして? よっ。高校生を楽しもうよ!」


 綾小路は黙ってカップを傾けている、あまり喋るタイプではないようだ。先ほどのポーズも無理やりに付き合わされていたのだろう。店内に学生がチラホラ居るが、女性客が殆どだ。一様にグループで来ている。


「俺は家でやることが多いんだ。家事を全部やらなきゃならないんだぞ、ぜーんぶ」


「家事?」


 倉持が首を傾げる。彼女だけでなく、綾小路も同じようにリンクした。今度は無意識だったのが解りちょっと笑いそうになる、何だか可愛らしいなと。


「一人暮らし状態なんだ、掃除洗濯炊事ぜーんぶ自分でやる必要があるの」


「えー! それって大変ね、下宿とか寮とかみたいな?」


 でもそれなら食事はつくか、と考えてしまう。普段やらない身としては、それがいかに大変か想像でしかない。いずれやるにしても、やはり高校生が全てとなると凄い。


「自宅だよ。うち母さん居ないし、親父は滅多に帰ってこないし、小学の頃から半ば自活してんだよ。そうだな、年一か二くらいで帰って来るぞ」


「うっわーサバイバル!」

「それ、榊君凄いです!」


 同時に反応した。そこは慣れたもので、恭治や道場でも同じだった。育児放棄というやつだが、当の本人が自活しているならば誰が訴えるのかというところだ。


「まあ普通じゃないのは解ってる。けど凄いわけじゃ無いぞ、いつかは自分でするんだからな。それがちょっと早かっただけだ」


 もうそうやって暮らして五年以上になった。今さら何とも思っていない。金だけは定期的に口座に振り込まれているので、父親を恨んだりもしていない。本当に必要最低限の責任だけは果たしているから。


「驚きの事実を聞いたわ。うち母子家庭だとかって嘆いてる場合じゃないわよね」


「うー、私もです」


 二人とも片親のようだ。父か母かの違いこそされど、シングルなど今時珍しくもなんとも無い。隠すことでもないし。こうやって早いうちに互いの事情を理解出来れば、関係性は気楽なものだ。


「ま、家庭の事情は人それぞれだろ。お互い気にすんなってことだ」

 ――美女同伴サービスか、当たってるよなそれって。綾小路って凄い可愛いよな。


 カフェオレを飲み終わり椅子に寄りかかる。正面に座って居る二人を見た、あまりに不躾な視線だったのは若さだろうか。


「なーに見てるのよ」


「いや、美女同伴を堪能しようかなって。サービスそれだけだもんな」


 しれっとそんなことを言うものだから二人も驚く。自分で言う分には照れもしないが、面と向かって言われるのは別だ。綾小路など下を向いてしまい頬を赤くして黙ってしまう。


「今になってそんなこと言っても遅いんですよーだ。ねー百合香」


「えと……美女……ですか……」


 容姿がどうかの自覚が薄い綾小路が、ちょっと複雑な感じになった。美形過ぎて同性から嫌煙されてきている事実を理解していない。


「ははは、こういうサービスも良いかなって思えたよ。そろそろ行くな」


「そうね、私達も帰りましょう」


「はい」


 自分の飲んだ分をそれぞれが出す、そこは平等公平にだ。デートだと言うならまた別だが、クラスメイトならばこういう感じが望ましいだろう。


「んじゃまた明日な。お前ら気をつけて帰れよ」


 晶はさっさと行ってしまう。二人は背を見詰めたまま暫し立ち尽くす。


「榊晶、か」


「優しそうな人ですよね」


「そうね、いいやつだよきっと。でも何だろう、妙に懐かしい感じがするのって? え、懐かしいでいいのかな? あれ、なんだろ? 」


 倉持は自分で言ってて違和感やら矛盾があることに混乱してしまった。



 家に帰っても部屋は何も変わっていなかった。朝に出た時のままだ。一人暮らしなのだ、当然そうなる。


「まったく親父はどこで何してるやら。ドブに浮かんでいても不思議には思わないけどな」


 晶を産み母は早くに旅だった。元より長い命ではないと聞かされたことはある、だがそれだけで母の人柄であったりなんだり、顔すらも知らないで今に至っている。気にはなった、しかしそれを聞くにも父親は口を開かず、姉の雪乃も頭を横に振るだけだった。


「明日の準備だけでもしとくか、買い物して帰れば良かったな。面倒だから外で食って終わらせるか、またにゃいいだろ」


 その帰りにスーパーにでも寄ればいいやと、鞄を棚に置いて出掛ける。家を空けようとも誰も何も言わない、辛うじて雪乃が気付いた時に電話してくる位だ。

 良くもあり悪くもある。精神鍛錬の道場に通っていなければ、かなりひねた性格になっていただろう、晶自身がそう思っていた。


 新生南商店街、高級住宅地付近にあるせいか、品揃えが平均してお高い。その中から安いものを探して生活をしている、勝手に引っ越しも出来なければ、遠くに行くことも大変だからだ。


「さーてと、どこで食うかな」


「おい榊」


「え?」


 声を掛けられ振り向くと佐々木悠子が立っていた。制服姿で鞄を持っている、帰宅途中だろう。背筋が伸びていて凛とした感じが漂う。


「おう佐々木、帰る途中か。なんか外で知ってる奴見掛けたら嬉しいよな」


「うむ、そうかも知れぬな。して。何をうろついておるのだ」


 急に課外指導をされてしまう。それについては昔からではあるが、逆に晶が指導した試しは一度もない。


「いやあ、飯食うつもりで来たはいいけど、どうするかなってさ。時間も半端だよな」


 夕方になりきれていない。遅い昼食なのか早い夕食なのか、単に腹が減ったから食べたいなと考えただけだった。別に我慢するようなことでも無いのだが、佐々木に見詰められては気が引ける。


「規則正しい生活を送らんか。それでは体に良くないぞ。特に榊は一人ゆえ特に気にせねばなんのだぞ」


 真面目な顔で言われてしまう。正論なのと、自分の為に言ってくれてるせいもあって反論はしない。


「だな。んじゃ喰わないで買い物だけして帰るかな。お前が言うことはいっつも正しいからな」


「私が指導してやろう。偏った栄養は病気の元だ」


 真面目な顔でそんなことを言ってくることに驚いてしまう。


「は、指導ってなんだよ」


「黙ってついて参れ」


 問答無用とはこれだろうか、近くのスーパーに連れていかれ、カートにカゴを乗せたものを渡される。強引ではあっても悪意は一つもない、大人しくついてきたが状況が呑み込めない。


「えーと、一緒に買い物?」


「そうだ、不満か」


 無表情でそう言われると怒られているのと錯覚してしまう。不満なんてあるわけもない、何よりも来る予定だった。


「いいけど。お前料理とかすんのか、見たことないぞ。師範はメッチャ上手だけどな」


 たまに道場で差し入れと称して出されるものがあった、それがとても美味しくて驚いたことがある。特に里芋の煮っ転がし、あれが記憶に焼き付いていた。


「披露したことはないが料理はたしなみ程度にこなす。心配はない、進め」

 

 進めと命令されてしまった。観念して野菜コーナーを回ると、佐々木が勝手にカゴに色々と入れていった。それがまたそこそこの量だ。


「うち一人だからそんなに使わないぞ?」


「む……したり。私としたことが」


 二つ割りの品を戻してカットがより小さいものを選び直す。干物だのなんだのと、激烈和風な品が様々集まった。嫌いではない、むしろ食べ物の好みは殆どなく何でも美味しく頂く。


「健康的な朝食セットって感じだな。適切な選択なんだよなこれ、俺一人で来てたら買わないだろうけど」


「うむ、解れば良いのだ」


「でもこれなんてどうやって使うんだ?」


 粉がごろごろ固まった、デンプンらしきもの。ラベルには葛と書かれている。普段の生活をしていても使わずに生涯を過ごす人の割合は、それなりに多いだろう。


「葛粉、原材料だ。知らぬか?」


「いや、知らないけど。どうすりゃいいんだよ、要らないものまではちょっとな」


 困り顔を浮かべてしまう。佐々木がそれを見ていたが、確かにそうだなと納得した。では戻すのかというとそれは無かった。


「ふむ。それでは一度私が使い方を教えてやる、調理を見れば使い方も解るであろう」


「はあ……なら、試しに買ってみるか。たまにはそういうのも良いよな」


 どうするものかと首を捻りながら店内を巡る。制服姿の二人ということでたまに他の客から見られた、双方気にはしないが。精算を済ませて自宅へ戻ろうとするが、佐々木がずっとついてくる。


「なあ佐々木、お前の家あっちだろ」


「そうだな」


「どっか行くのか? 近くに住んでるらしいし星川のところとかか」


 一度も行ったことはないが昔に場所だけ聞かされたな、等と思い出す。星川家は家というよりは邸宅、そして邸宅というよりはお屋敷という表現がほど近いそうな。


「榊の家に決まっておろう」


 彼女は足を止めることなくサラッと言い放つ。振り返った晶が見た彼女の顔は、なんらいつもと変わらず落ち着いている。


「え、何で俺の家?」


「先ほど葛の使い方を教えると言ったであろうに。よもや右から左へ抜けたか」


 さも当然の行動だと逆に疑問を持たれる、解釈の相違なのかどうなのか。言い出したらそれを曲げることは皆無だ、それが佐々木である。


「えーと、そうなのか? うーん……ま、そう言うなら頼むよ。今すぐか、佐々木ならそうだよな。先延ばしにするの、好きじゃないもんな」


 マンションに着く。道場の契約が神楽だったのを佐々木は思い出していた、だが表札は榊を掲げている、それについては触れない。


「そういやお前来るのって久しぶりだよな」


「そうだな。前は夕凪と家庭訪問を行った時ゆえ、四年前ということになる。あまり変わってはおらんな。整理整頓されていて感心なことだ」


 玄関から直ぐにリビングだが、足元にモノが転がっていることもなく片付いていた。買ってきた物を冷蔵庫にしまっていく。葛粉とゴマだけを別にして晶が全て片付けた。その後姿を見詰める。


「何か必要なものあるか? どうせ休まずにすぐ行動するんだろ」


 性格はうかがい知れたもので、教室でもそうだったが予測が立つ。何せ付き合いは古いし、行動規範の師であるから。


「あるものを使わせて貰う、榊は座って待っておれ」


 そう言うと迷わず目当ての調味料と鍋を取り出す。キッチンは広いほうではないが、引き出しや棚はいくつかあるのだが。


「おい何で置き場所色々知ってるんだよ」


 激しく違和感があった、説明した記憶は一切無い。それなのに何故か大した困りもせずにモノを揃えてしまったことへの疑問と僅かな抗議。


「お前の性格など知れたこと、どこにしまうかなど聞かずとも解る。榊のことだからな」


 晶がそうであったように、佐々木も良く解っていた。晶はそれに気付かないが。


「そ、そうか……そういうもんなのか?」


 道具を迷わずに揃えた事実があるので何とも反論出来なかった。佐々木が小さく頷く、必要な物が集まったようだ。そして何故か制服を脱ぎ始めたではないか。グイッと上着をめくりあげたところで、つい声を出す。


「おい佐々木!」


「なんだ?」


「何で脱ぐんだよ、俺居るんだぞ!」


 薄い肌着一枚なので下着が透けて見えてしまう、薄いピンクのブラジャーが。そしてその色がどうのこうのというよりも、激しい盛り上がりが揺れているのが衝撃だった。流石にそれは良くない、晶が動揺するが佐々木は全く動じていない。


「制服を汚すわけには行かぬでな、気にすることはない。どうしたというのだ? いつもこうしているではないか。何を今さら言うか」


 道場では着替えの時に確かにそうだったかもしれない。とはいえ小学生の時と今では何もかもが違うが。


「お前な、俺だからまだいい……わけでも無いけど、恥じらいとかそういうのあるだろ。それにここって男の一人暮らしで、そこにホイホイ行くようなのは危ないとか、って何言ってるんだよ俺は……あー、もうどうすりゃいいんだよ」


 後頭部をかいて一人で焦ってしまう。


「ふむ。榊の忠告はありがたく受け取っておく。だが心配はいらぬぞ、お前の家だから来ているのだ」


「俺のだから?」


 秤で分量をみながら顔を見ずに話を進める。ちゃんと聞いてはいるらしい。


「道場の門下生だ、お前が狼藉を働かぬ奴だと解っておるからな。伊達に十年近くも共に過ごしては居ない」


 小学生低学年、その頃からずっと通っていた。学童保育の代わりとでも考えていたのだろう、もしかすると父親は預けられれば何でも良かったのかもしれない。


「俺を評価してくれるのは嬉しいけどさ、やっぱり、その……見えるから何か上に着てくれよ。そうだ俺のシャツ着ろよ持ってくる!」


 半袖のシャツを持ってきて渡す。わざわざ正面を向いて受け取るものだから、モロに胸が見えてしまう。日本人女性の標準を遥かに上回るサイズ。


「……」

 ――佐々木って凄いよな、師範もだからそういう血なんだよなこれ。九十センチ以上はあるぞ。


 爆発しそうなほど大きな胸に感想を持ってしまった。だから上着を着ろと言っているわけだ、着ても目立つがきっとそれは別の種類の問題だ。


「ほらっ、すぐ着てくれよな」


 途中から視線を逸らして見ないようにする、途中から。


「うむ、すまぬな。何を照れておるのだ?」


 六年前、自身の不注意で大怪我をさせてしまった晶に、彼女は特別な感情を抱いていた。本来ならば責任を追及され、それを認めるしかなかった失策。当時の彼女は招いた事故への憂虞で顔面蒼白だった。


 救急車で病院へ搬送され、手術を行い事なきを得た。病室で付き添い意識が戻った晶に謝罪しようとするが即座に言葉が出なかった。そして彼が先に言った。


 その場の皆が想定していない言葉「俺が悪いんです」。恐怖している佐々木を庇って、自らの失敗だと謝罪したのだ。結果、佐々木は守られた。晶はそれ以後も何一つ責めることが無かった、一つ間違えば命を失ったかも知れないというのに。

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