第6話 騎士の名はドーロン
◇
シノン城で時が流れる、交渉の結果はまだもたらされてこない。ブルゴーニュ派と和平交渉もついでに行っているのだろうか、主従が逆かも知れない。
「そこを通せ!」
騒がしい、王宮へ向かう男が居て衛兵が押しのけられていた。何とか止めようとするが、烈火のごとく怒っている彼はそのまま王のところへ行ってしまう。島も何事か確かめる為に足を運ぶ。
「王よ、ジャンヌが怪我をして、敵に捕らえられました!」
「ジャンか、久しぶりだな」
ドーロンの言を無視して微笑を浮かべて友人を迎える。だが彼にそんな挨拶は聞こえていない。
「彼女を救うために手を!」
「ルニョー大司教が粘り強く交渉をしている。三万クラウンだぞ、それなのにあちらは拒否だよ」
凡そ現代の千三百万ドルに相当する、身代金としてはかなりなものだ。
「私には宮廷の意志が見えています。どうしてジャンヌを救ってくれないのです? 彼女はフランスの、シャルル陛下の為にあれほど貢献してくれていたのに!」
声を絞り出して訴える、ドーロンの言っている事は事実だ、勿論シャルルの言葉も。
「余は精一杯やっておる」
「ジャンヌはフランスの為に身を捧げた。ジャンヌは忠誠を尽くそうとした。なのにジャンヌはコンピエーニュで罠にかけられた、何故彼女を裏切ったんですか!」
大声でドーロンは王に詰め寄る、衛兵が間に割った入った。それを退けようと彼は剣を抜いた。
「謀反者だ、捕らえよ!」
侍従が驚いて衛兵に命じた、だがドーロンの腕前を越える者は傍に居ない。
「私は貴方に常に忠実で、誠意をもってお仕えしていました、ですがもうお終いです。ただ今を以てお役目をお返し致します。さようなら我最愛の主よ。これから私はジャンヌに忠誠を捧げる!」
そう言い残すとドーロンは王の前を去る。衛兵が彼を追おうとすると「放っておけ!」シャルルが命じた、その表情は王の顔をしていた。王は孤独だ、王は国を、多くの民を生かさねばならない、己の心を否定してでも。
シノン城を出ようとするドーロンの背に声を掛ける。
「どこへ行くつもりだね」
「イーリヤ公。私はルーアン城へ向います、ジャンヌを助けるつもりです」
真っ直ぐ島を見て答える、そこには何の迷いもなかった。
「貴公だけで?」
「私一人でも、彼女を愛する限り諦めはしません」
ルーアンから少し行けば海岸、その先はブリテン島がある。もし護送されてしまえばもうチャンスは失われてしまう。
「もし貴公が望むのならば、あと二人位コンゴ行きの船に乗ることは出来るが」
笑みを浮かべて船賃は出世払いで構わんよ、冗談を投げかける。
「ありがとう御座います。このお礼はいつか必ず!」
「言っておくがこれは俺の意思だけではなく、王の意志でもある」
――シャルル王も本心はジャンヌを救いたかったに違いない、だが今の王は国を安定させることが最優先、涙を飲んだ。俺が今ここに在る意味がようやく解った。
「陛下の……はい!」
二人は馬を並べてシノン城を去る、郊外で島の砦に入ると軍勢に行軍準備を命じた。手勢は全部で千、ルーアン城を攻め落とすには全く足らないが、人一人奪い返して逃げるには充分だ。
「イーリヤ将軍が命じる、ルーアン城へ向うぞ!」
黒地に白の四ツ星、そして白地に赤い×というコンゴ王国の国旗を掲げて移動を始める。女子供の市民兵、ムスケテールズも引き連れて。
◇
ルーアン傍の墓地、大量の薪を積み上げて木の処刑台が設置されていた。目の部分だけ穴をあけた布をすっぽりと被った死刑執行人が現れる。街の方角から後ろで手を縛られたジャンヌが、ボロボロの服を着せられ歩かされてきた。
「やめて……お願いだから。神よ、私を助けて……」
余ほど辛い思いをさせられたのだろう、恐怖に怯えきった彼女は震えて何かを口にしている。
――拷問で魔女裁判というやつか。だがジャンヌは魔女を否定されたので仕方なく異端者ということだ、確かに処女では悪魔と交渉不能だ。
そんなものどうとでもなった、それでも魔女に出来なかったということは、イギリス=ブルゴーニュの中にも正気の人物が居たのを現している。周囲に聖職者が多数並んでいる、修道士の姿もあった。彼らが主役なのだ、数も多いはずだ。
「キリストの友であるジャンヌ、お前を裁くのは我々だけではない。パリ大学の神聖学の権威も、お前の啓示は嘘だと、悪魔的な内容だと認めた」
「主よ、私は常に貴方と共にあります。見捨てないで下さい、火刑になるのを望んでいるのですか? どうか……」
囲いの外には大勢の群集が居て、司教の言葉を聞いている。注目を浴びている審問官は抑揚のない調子で続けた。
「お前は神に従いたいだけと言うが、我等教会の言葉を蔑ろにしたのは、即ち信仰の異端でしかない。道を誤った者を救うことは出来ない」
長々と続けられた異端の証明も終りを迎えた。群衆は祈る、神の思し召しのままに。
「啓示はあったわ、主が私に告げたの、フランス王を支えなさいと……嘘じゃない……」
彼女は必死に訴えるが司教は首を横に振って退席した。代わって装飾も豊かな老人が進み出た。
「ジャンヌ、もう一度だけ聞く。誤った信仰を捨てて教会に従うと誓えば魂を救おう。さあ誓いに署名を」
そこには悪魔の囁きに従った、それを認めると書かれている。だがジャンヌは字を読めない、大司教は署名さえ貰えれば都合良く罪を認めたことに出来て宜しいと考えていた。
「啓示は本物よ、教会なんて私は信じない! 全ては神の御心のままに」
大司教は教会を否定されて手で頭を押さえる、そして死刑執行人を傍に招いた。ジャンヌの両目から涙が溢れてくる。
最後の審判が下された、その直後薪の山を駆け登る姿があった。
「ジャンヌ!」
「ジャン!」
短刀を抜くと戒めを切り裂く、群集がどよめいた。
「儀式を邪魔する者を捕らえよ!」
警備責任者が命令を下す、イギリス兵が槍を手にして二人に詰め寄ろうとした。そこへ貫頭衣を被った男達が乱入し阻止する。
「何者だ!」
ベッドフォード公が椅子から立ち上がり誰何する。どこかで見たことがあるような気がしたが思い出せない。
「私はジャン・ドーロン、ジャンヌの騎士だ!」
憔悴した彼女を抱きかかえて薪の山を下りる、少数のフランス兵が囲まれる。警備が集まってきた、聖職者は渦中から退く。多勢に無勢、これ以上どうにもならない。
「ジャン、ありがとう私の為に。ごめんなさい……」
あれほど我を張っていた彼女がまるで悔い改めたかのようにしおらしくなる。
「私はジャンヌを愛している、何度も言ったろう。望んで今こうして居る、謝ることなんてない」
じりじりと包囲を縮めてくる、もうひと呼吸で襲い掛かろうとイギリス兵が視線で会話をする。
連続した轟音が響き渡る。警備兵がバタバタと倒れた、もうもうと上がる煙に注目が集まる。
「コンゴ王国軍、イーリヤ将軍推参! 友人を貰い受けに来た」
――こうまで堂々とされると嬉しくなるね。
黒人部隊が二人を救出する、異様な光景が特に注意をひいた。黒く塗っているわけではない、それなのに肌が真っ黒なのだ。
「コンゴ王国だと?」
その言葉には反応を見せずに状況把握に努める。
――ベッドフォード公の周囲は堅固だ、北側に迂回して西へ抜けるぞ!
槍兵を固めて北へ向わせる、銃兵は息が切れても構わずに走らせた。殿はコンゴ軍、二人が騎乗するのを待って皆が離脱を試みる。だがそう簡単に逃がすわけが無い、イギリス軍が現れて攻撃を加えてくる。
「方陣を組め、歩速六十、進路を北にとるんだ!」
槍兵で四方を囲み、その内側に銃兵を入れる。荷車に射手が乗って近付くものを射撃した。速度こそ遅いが、むやみに近づけないので難儀する。
「将軍、南西に弓兵が!」
遠くに軽装の集団が現れたと大声を上げる。頭を取られては面倒だ、銃では射程が足りない。
「コンゴ軍、あの弓兵隊を蹴散らすぞ。俺に続け!」
ボックスの一部から黒人が抜け出る、歩みは本隊の二倍、速足で時速六キロ程度だ。弓の射程を詰めるにはおよそ九十秒、弓兵隊もそれを知っているので足を止めて迎撃射撃態勢をとった。矢を番え斜めに打ち上げる、放物線を描いてコンゴ軍の前列あたりに落下した。
「散開!」
思い思いに身をかわして難を避ける、昼間でこの距離があればさほど難しいとは言えない。彼らは視力が異常に良い、弓兵の所作すら克明に見えていた。再度速足で迫る、弓兵隊長が一斉射撃準備を命じる。矢を放ったところで島が命じた。
「駆け足で突入!」
残るは百数十メートル、それを一気に走り抜ける。慌てて直射する兵が居たが、手槍を投げつけられ混乱する。イギリス弓兵は、最低でも十秒で一射可能な者を指していた。二十秒の間に一度二度射撃した者は退却する機会を失う。
「速やかに全滅させろ!」
一対一での近接戦闘技能、圧倒的にコンゴ兵に軍配が上がった。あっというまにイギリス弓兵に負傷者が続出し、戦闘継続が不能に陥る。
「コンゴ軍、撤収だ!」
方陣へ戻ると西へ進路をとる。ル・アーブルまではあと二十数キロ、このままでは夜にならねば到着しない。市民兵が足を引っ張っている。
――フランスは平野だ、部隊で足止めは出来ない。それはこちらもあちらも条件は同じだ。……まてよセーヌ河だ!
ル・アーブルから東、セーヌ河がルーアンまで蛇行している。船を迎えに寄越せば歩く距離が減る。
「ドーロン卿、ル・アーブル市に先行して船をタンカルヴィルへ向わせるよう命令を」
「お任せ下さいイーリヤ公、必ず遂行してみせます!」
大きく頷いて承知する。島は彼に軍旗を預けた。
「ジャンヌは守る、頼むぞ」
「はい!」
一騎で隊を離れる。港町にたどり着くまでに敵の警備もあったりするだろう、それらを一人で乗り切らねばならない。
「進路変更、南西へ向え!」
――ドーロンならやってくれる。
空を見上げる、太陽がまだ高いところにある、あと三時間は昼間を維持できるだろう。乗船してしまえば闇は味方になる、だがコンゴ行きの数しか押さえていない、乗せきれない民兵等をどうするか、それも考えなければならなかった。
「追撃部隊です!」
後方に歩兵が迫ってくる。イギリスはジャンヌを許すわけにはいかない、教会も同じだ。河べりの街まではまだ数キロはある、一時間と掛からずに追いつかれてしまう。
――接敵されながら離脱出来るだろうか?
こんな戦いの経験は島にも無かった。射程が短いので牽制も難しい、何せ乗船位置までは進まねばならない。
「確かマリーの奴がンダガク要塞に急行した時にやってたな……いけるか?」
――体力が低いものが二百五十、槍兵六百、コンゴ兵百か。
いずれこのままでは追いつかれてしまう、やってみてダメなら別の方法を考えようと決断する。
「ムスケテールズの半数は荷車に乗り半数は走れ、五分交代だ! 槍兵、荷車を引け、五分交代! 歩速百を保ちイギリス軍を引き離す」
槍兵に負担は掛かるが誰かがやらなければならない。女子供を雇った時から嫌な予感はしていたが、だからとここで置いて逃げるというつもりはない。
「乗れ! 負傷者も乗せてやるんだ、引くぞ!」
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