第5話 虜囚のジャンヌ

「開門!」


 砦の門が開かれた。馬を下りて島が先頭で歩く、後方で門が閉まる音が聞こえた。演台に足をかけ、初めて振り返る。


 ――二百五十あたりは居るな! ミレーユもか。


 群がっている者たち、半数が女性、そのうち半数が子供だ。栄養不足のせいで中学生以下にしか見えないようなのも多々混ざっている。


「今から諸君はムスケテールズだ。銃兵として訓練をしてもらう」


 装備はたった一つ、銃のみ。一人に一丁が支給されるのであった。



 軍旗を掲げてジャンヌがランスを進む。住民がフランス軍を大歓迎していた。


「これがランスか。熱狂が感動的だね」


 オルレアンの乙女がどこに居るのかと街中の人間が集まって街道にひしめき合っている。王太子も気になるがジャンヌも大いに気になる。白い甲冑姿の彼女を見て大満足、しかし暫くすると奇妙な軍が通り過ぎる。

 前半はフランス槍兵なのだが、黒い軍服の指揮官まわりは赤い服を着た黒い人間が歩いているではないか。しかもその後ろは女子供が鉄の棒を肩にして付いて歩いているし、荷車を押しているのだ。共通しているのは黒地に白の四ツ星、同じ軍なのだけは理解できた。


 ――こっちも注目を集めたか、そりゃそうだろうな。


 このムスケテールズ、同じフランス軍からも馬鹿にされているのが島にも解った。あんなもので戦えるはずが無い、仮に出来たとしても騎士の戦い方ではないと。


 大歓声が、それも黄色い声が上がる。ジル・ド・レイ男爵が姿を現したのだ。手を振っている女性が多いこと、それらを無視している彼だが、観衆にはその態度すらも格好良く見えたようだ。



 ランス大聖堂では戴冠式が粛々と執り行われている。レプリカの王冠を急造して、大司教から載せてもらう。パリのノートルダム寺院ならばこの倍は観客が入れただろう。島は貴族席、王のすぐ近くに立ってそれを見ていた。


「イギリス軍が居なければもっと盛大にやれたのに!」


 儀式の最中でも関係なくシャルルは悪態をついた。困惑する大司教、ダラゴンがそれを見て口ぞえする。


「ランスであることが大切なのです。盛大か否かは些細なこと」


 ――要がどこかを心得ているようだなあの義母は。


 列席者を観察しながら島は儀式がこういうものなんだなと感心している。


「わかった、やればいいのだろう。こんな貧相な戴冠式になるとはな」


 それでも我儘を引っ込めない。ジル・ド・レイ男爵が冷たい笑いを浮かべながら「イギリス軍も招待して盛大にやりましょうか?」別にそれでも構わない、シャルルは鋭い視線を男爵に投げかけるが動じない。


「ジャンヌ、これはお前がすぐにと強く勧めるからやったのだ。大失敗では無いか!」


 司令官として段の下に居た彼女に文句をぶつける。すると彼女は絨毯の中央に進み出て両手を交差する。


「シャルル陛下、貴方は王の、王のみが纏う風格をお備えになられています。素晴らしい、フランスについに王が遣わされました。神の御意志に従い、私は王に更なる勝利を捧げます」


 感極まって泣いてしまう。この場で彼女ほど王の戴冠式を望んでいた者はいなかった、本心で言っているのを感じたシャルルは斜めになっていた機嫌を元に戻す。大聖堂に純白の衣を纏った少年、少女がやってきて歌を歌う。心に直接呼びかけているかのような不思議な調べ。


「神はフランスに王をお認めになられた。シャルル陛下、どうかフランスをお導き下さいませ」


 皆が膝をついて王に忠誠を誓う。島もその場に合わせておく。側近らに望みを叶えてやると順に声を掛けていき、島にも問いかけた。


「イーリヤ公、そなたの望みを聞かせるのだ」


「私は、フランス王の良心を貫く為に、その役目を頂きたく思います」


 領地や爵位を直接的に求める声ばかりだったなかで異質、真意をはかりきれずにシャルル王が確認を挟んでくる。


「余の良心とはなんだろうか」


「下問にお答えさせていただきます。陛下が行われたくとも政治が、フランスがそれを許さぬこともありましょう。私はその時、陛下に代わり、陛下の良心を貫く役目を頂きたく思います」

 ――それが何かは俺も知らんよ。一度の自由行動を認める権限とでも考えてくれたら結構。


 ここで即答出来ねば判断力を問われてしまう。シャルルは島が何を求めているかは解らなかったが、遠く海外からやってきて自らを支えている者が今さら自分に不利な真似はしまいと考えた。


「余が認める」


「有り難き幸せ」


 王の声は段の下にまでは振るわれなかった。大聖堂の外に集まっていた民衆の前にシャルルが姿を現す。それまでも騒然としていたが、瞬間絶頂を迎えた。フランスに住む者にとって、フランス王の誕生は喜ばしいことだ。イギリス王の支配下に屈するのとどちらを望むかなどはっきりしている。


 ――即位の次は首都パリ奪還か。兵の士気が上がればその目もあるだろう。


 この時代、士気問題が常に付いて回った。義務だけで戦うには限界がある、街の防衛戦でなければすぐにやる気を失ってしまうのだ。



 パリ城をフランス王国軍が囲んで居る。各軍の兵士が注目しているのはオルレアンの乙女の軍旗だ。彼女がまた奇跡を起こしてくれるのだろうと信じている。


「パリを攻め落とす側になるとはね」

 ――今度は今までのようには行かんぞ。敵の総司令官がどっしりと構えている。


 兵力はシャルル国王の側を超えている。イギリス軍だけでなく、ブルゴーニュ派の軍勢が城内に駐屯しているからだ。城壁も他の都市に比べて堅固といえる。


「行け、フランスの心臓部を取り戻すのよ!」


 城壁に梯子をかけて兵士が次々と登っていく。だが城壁の上からは、石や矢が降ってきてフランス軍兵を奈落の底へ突き落としている。


「無駄なことを。あれではパリは落ちん」


 総司令部であるシャルルの本営、将軍等が予備兵として控えている。ジル・ド・レイ男爵が冷たく言い放つ、だが島もそれには賛成だった。


「兵の命を粗末にするだけだ、俺もああいうのは好かん」


 ラ・イール将軍が目を細めて眉をひそめる、ザントライユ将軍も同調していた。デュノワ伯爵は怒りを抑えて推移を見守っている。


 攻撃の指揮はアランソン公が執っている、シャルル王は直接の命令を下すようなことは無い。背後に王が存在している、フランス軍は今までになく士気が上がっていた、だが空回りが激しい。雨が降って来る、泥だらけになりそれでも城を攻め続ける。次第に攻撃側の疲労が蓄積していく、ただでさえ鈍い動きが更に鈍重になる。


「増援を! 兵力が足らない!」


 ジャンヌが前線で旗を振って後方に控えている予備を繰り出すように要求する。だが将軍達はそれに応じようとはしない。王の伝令騎士がやって来る、将軍等を前にして下馬し命令を伝えた。


「パリ攻撃をジャンヌ司令官、ジル・ド・レイ男爵、ラ・イール将軍に任せ、全軍シノンへ後退せよとの仰せです!」


 王旗は既に南へ向けて動き始めていた、近衛軍もそれに付き従っている。前線の軍がそれを見て大幅に元気を失う。


「各々、撤退を行う。軍に戻られよ」


 デュノワ伯爵がようやくか、と鼻を鳴らした。このような馬鹿な戦闘をするために兵を集めたのではない、有利な講和を行えるようにするために他ならない。即ちランスで戴冠式を済ませる、それが目的だったのだ。皆が軍へ戻る。ザントライユ将軍がどうするのかと確認してきた。


「イーリヤ公」


「うむ。私もパリをこれで攻め落とすのは無理だと思っている」

 ――かといって目の前の味方を置き去りにするのは寝覚めが悪い。


 そうこうしている間に友軍が次々と戦場を去っていく。居残りを指名された者たちも、ジャンヌを除いて積極的に戦おうとはしない。それでもパリからは出撃しようとはしてこない、離れた丘の上で島とザントライユは暫く戦いを見ていた。


「伝令! ジル・ド・レイ将軍よりイーリヤ公、我等も撤退する」


 ラ・イール将軍からも同じように伝令がやって来た。それでもジャンヌは攻撃を止めようとはしない。


「ジャンヌ、いやドーロン卿へ伝令を出せ。撤退勧告だ、これはフランス軍としての決定だと付け加えておくんだ」


 今の島にそのような権限は無い、だが誰も文句は言わないだろう。言うとしたらジャンヌただ一人だ。彼女の我儘の為に多くの兵士を死なせて良いわけが無い。城を攻めていた兵が徐々に後退する、どうやら撤退を受け入れたようだ。だが何故か東へと動き始める。


「ランスへ行くつもりか? まあいいさ、我等も撤退するぞ。オルレアンへ戻るぞ」


 直線距離で六十キロ、徒歩で行軍するならば二日か三日の距離といったところだ。荷車もあるので動きはかなり遅い、だが追撃をかけてくる軍は居なかった。


「ジャンヌ軍に伝令を同行させておけ、どこに駐屯するか監視しておくんだ」


 ピティヴィエ市で日没を迎えた、夕餉を済ませたあたりで伝令騎兵がやって来た。


「将軍! イーリヤ将軍へ報告します。ジャンヌ軍はコンピエーニュの森へ向いました」


「何だって? どうしてそんなところへ」


 伝令に尋ねたからと解るはずもない。パリ北東五十キロ、敵の勢力圏内だ。


「コンピエーニュ市はフランス王側です」


 飛び地と表すことができる、どうしてかと説明を求めた、するとダラゴン妃の支配都市のひとつということらしい。


 ――そうだったのか。地理情勢に疎いのはどうにもならんな。


 援軍だと受け入れて貰えたらフランスも有り難い、そううまく行くかはわからないが一応の納得をしておく。


「お前はもう一度戻れ。伝令はここでもオルレアンでも構わん」


 一日滞在して疲労を解消することに努める。翌日出立しようというところで伝令が駆けて来た。


「報告致します。ジャンヌ司令官がコンピエーニュでブルゴーニュ軍の捕虜になりました!」


「コンピエーニュが陥落した?」


「軍勢が出撃して防衛交戦中、城の跳ね橋が上げられ取り残されたのを捕らえられたのです」


 街を守る為に戦っていた援軍を見捨てた、俄かに信じられなかった。


「ドーロン卿や兵らは?」


「その多くが入城し避難をしましたが、司令官は間に合いませんでした」


 ――それはおかしいぞ! ダラゴンの意志が働いている気がする。


 伝令にはこの場に留まるように命じ、今後の方針を定める必要があった。シャルルがどうでるか、そこを確認しなければならない。


「シノンへ向う、コンゴ兵のみ付いて来い。ザントライユ将軍、ここで軍勢指揮を」


「解りました。街の防衛に残ります」


 歴史上の流れがどうかは解らないが、このままジャンヌがイギリスへ送られてしまえば火あぶりになってしまう。その間に何があったか、島は記憶していなかった。



 シノン城の広間、大勢の廷臣が集まっていた。そこでもジャンヌのことが伝わっていたようで、あれこれと話題に上がっていた。


「イーリヤ公、遅かったですな」


「デュノワ伯、途中で軍を休ませていました。ジャンヌ、ブルゴーニュ派に捕らえられたようで」


 目下その論議が行われている最中、漏れ聞こえて来るところでは、クラウン金貨で万枚を払うとか。


 ――それは成立すまい。強行で奪還したとしたら何が必要だ?


 フランスの国土を想像する。ここから内陸を移動してもいずれ追撃にあってしまう、ならば海しかない。従事にフランス西部海岸、味方の港はどこかを尋ねる。ル・アーブル市がそうだと答えた。そこに船を準備させておくように命じておく、いずれ帰国で使わねばならないのもある。


「ルニョー大司教、ブルゴーニュ公のところへ」


「仰せのままに」


 交渉役に聖職者を指名する、失敗しても害されず神の名の元に約束が実行される意味合いもある。これは世界共通で見られる人事といえる。日本でも戦国時代前後、僧が外交を司っていた。


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