第4話 オルレアンの民兵

 結果がわかっているからこそ落ち着いているが、ジャンヌが戦死したのではないかと兵は動揺を隠せない。意外だった、彼女の存在がこうまで大きくなっているとは。指揮を奪われたことなど無かった島も、その点は認めなければならなかった。



 軍が退かれて朝を迎える。トゥーレル砦は士気が上がっていたが、対照的にフランス軍は通夜のような有り様だった。


 ――やれやれだな、元通りといえばそうなんだが。


 長砲でぼちぼち砲撃を加えてやろうかと配備につきはじめる。歩兵はそれを見物するだけ。砦から歩兵に砲撃をしても、着弾前にかわされてしまう。稀にどんくさいやつが逃げ遅れるが、火薬の無駄遣いになるので撃ってはこない。砦は動けない、至極明快な理由でちらほらと砲弾が命中する。だからと外壁が崩れるだけで何も起きはしない。


「騒がしいな?」


「イーリヤ公、あれを!」


 椅子に座って砦を見ていたが、後方部隊が出撃していた。先頭は白い旗を手にした騎兵だ。


「ジャンヌか、無事で何よりだね」

 ――矢は直撃した、傷を負っているのは確かだ。それでも無理を押して先頭にでる心意気を買うぞ!


 立ち上がると外套を羽織り、指揮官に戦闘準備命令を下す。


「我等も攻撃に参戦する。勇気には敬意を払え!」


 騎馬すると丘からゆっくりと軍を進めた。死んだか、良くても重傷だと思っていたジャンヌが軍旗を翳して躍り出る。


「神はフランスに王を求めている。立ち上がりイギリス軍を追い払え! さあ私に続け!」


 意気消沈していた軍に希望が産まれた、一部の部隊がまた勝手に呼応する。大斧部隊が河に飛び込む、橋桁を切り崩すつもりだ。


「ジャンヌの隊を少し下がらせるんだ。ザントライユ将軍、大盾班を彼女の護衛に派遣しろ」


「承知しました」


 また落馬でもされては堪らない、矢が届いても対処出来るあたりにまで退ける。河の部隊に石が投げ付けられる、だが妨害に耐えて斧を振るい続けた。


 ――橋桁に食い付いた、落城は時間の問題だな。


 命綱を腹に巻いた彼等、投石で気絶してしまっても岸にまで引き揚げられている。

 門が開かれて歩兵を繰り出してきた。すぐにラ・イール将軍が迎撃に出る。


「ふむ、適切な対応だ」

 ――封じ込めるだけで倒さずとも良いからな。


 鈍い音が聞こえてきた、大斧部隊が一斉に撤退を始める。たった一人、隊長だけが河に居残っている。岸まで退いたのを確認すると、彼は斧を目一杯振るった。


「砦が崩壊するぞ!」


 兵等が口々に叫ぶ、不穏な音を響かせて石造りの城が河に沈む。連鎖して崩れ落ちる、イギリス兵が渦に巻き込まれていった。


「こいつは酷いな……」


 一部でも鎧をつけていたらその重みで沈んで行く。たまたま泳げた者が居ても、仲間にしがみつかれると共に消えていった。最早戦いどころではない、イギリス軍は北の門からこぞって逃げ出して行く。


「おお、神よ……彼等を天に御導き下さい……」


 河岸に膝まずいて、ジャンヌが祈りを捧げている。頬を涙が伝っていた。


 ――敬虔なる信徒であるのは確か、か。


 彼女を見詰める兵たちがどのような感情を抱いたか。いずれにせよ、フランス軍はオルレアンを解放、奇跡的に在地のイギリス軍を退けた。


「イーリヤ公、不味い戦いかたはしましたが、勝利は勝利といったところ」


「そうだな。ザントライユ将軍、次はもう少し上手くやりたいものだ」


 シノンへ伝令が走る。オルレアンの乙女がフランスに勝利を運んできた。宣伝文句として利用されると解っていた島だが、何と無く納得行く部分もあるものだと頷いていた。



 陽の光が差している、五月の日曜日。フランス軍とイギリス軍は河を隔てて対峙していた。両軍とも士気は低い、戦闘で流血が起きるのを知っていたからだが、それだけではない。安息日である日曜日に戦うのが嫌なのだ。


「今日の開戦を神は求めていない!」


 ジャンヌが将軍等を集結させそうきつく戒める。神を敬うならば教会の教えを守るべきだ、信仰に従えと。


 ――なるほどジャンヌはキリストの信者だ。だが戦争はそうはいかんぞ!


 従軍司祭が十字架を手にして兵士等を祝福してまわる、対岸からはよく見えないが何やら神聖な儀式をしているだろうことは伺えた。


「デュノワ伯、どうするんです?」


 ラ・イール将軍が迷惑そうな顔で司祭を見ている。彼の頭の中は、兵が被害を受けないようにするタイミングを探ることで一杯なのだ。


「まだ待機だ」


 どうするかはまだ明言しない。橋の位置や浅瀬を確認している、彼とてここで足踏みしているわけには行かない。いける、そう判断出来たところで側近が声を上げる。


「ジャンヌが一騎で川辺に!」


「またか!」


 騎馬した彼女が進み出る、ドーロンが慌てて後を追った。川岸ギリギリまで行くと大声を上げる。


「イギリス国王・ヘンリーへ神のお告げを伝える。兵を引いて平和を求めよ。争えば血が流れる、それは貴方の血だ!」


 何とも挑発じみたことを言い放つ、だがジャンヌは本気で相手を慮って言っているのだろう。兵士が司令官のところへ伝言を運ぶ。


 ――ふむ、そろそろ戦闘準備だ。


 指揮官に整列を命じて控えさせる。ジャンヌがゆっくりと橋へと向った、守備隊がじりじりと後ずさる。


「神よ、どうか願いを聞き届けて下さい! こんな戦はもうやめて、国へ帰るのよ……」


 涙を流しながら十字を切る。守備兵の後ろから弓兵が現れる、騎兵が川岸に近付いてきた。ドーロンがジャンヌのすぐ隣に進み出る、下がるようにと必死に説得しているのが窺えた。


「私は争いたくないし、もう悲しみは要らない。望みは皆同じはず」


 ジャンヌは少しだけ馬を前に出す、守備兵が一歩下がる。空に雲が掛かってくる、だが不思議なことに彼女の居るあたりだけ陽がさしたままだ。イギリス軍の歩兵団が川岸に集団で向ってくる、そして川沿いに進んだ。弓兵や騎馬も同じように移動している。


「おいおい、どうなってるんだこいつは」

 ――まさか撤退するとは思わなかった。


 信じられなかった、イギリス軍が防衛線を捨てて後退を始めているのだ。目の前で起きていることが理解できるようになるまで時間を要してしまう。殿を務めるのは弓兵部隊、戦場に最後まで留まるのは彼らだ。


「追撃を禁じます! 彼らは神の意志に従ったのです」


 ジャンヌがフランス軍へ向き直りそう告げた。士気が下がっていた軍が高揚するのに絶好の機会だった、だが彼女の言葉を無視して追撃を命じたところでどれだけの兵が真面目に戦うか。デュノワ伯爵は歯軋りしながら命令を飲み込んでしまう。


「理解不能なジャンヌを恐れたか。信仰は人々の心を縛っているわけだ」

 ――だがコンゴ兵と俺は違う、いずれどこかでそれを証明する場面が訪れるだろう。


「オルレアン城に入城する。全軍撤収だ!」


 デュノワ伯爵が苛立ちを抑えて命令を下す、次への作戦を立てなければならない。それに、シノンの王太子を迎える準備が必要だった。



 オルレアン城外、打ち捨てられた砦を二つ確保して駐屯している。多少の装備が放置されたままだったのでそれらを集めておく。後発していた輸送部隊が到着した、物資を満載した荷車が砦にやって来る。


「物品の検品だ」


 不良品とて沢山混ざっているだろう、工業製品だとしても精度は低い。鉄の棒を沢山転がしていて、正体不明の品を訝しげに見ている者が多い。専門家が数人、いつでも利用可能なことを報告した。


「これより民兵を募りにオルレアンへ赴く、私が戻るまでこの場で待て」


 数人のフランス人を連れて島は行ってしまう。今でも数百人の部隊を抱えているのに、それを更に増員する。アフリカの黄金とヨーロッパの黄金の価値は十倍以上の開きがあった。あたかも日本と大陸のように。産出国ではまだ不当に低い評価を与えられていた。

 市街地、教会のある辺りでクァトロの旗を掲げさせ注目を集める。見たことのない旗と人物に興味を持った市民が集った。老若男女わけ隔てなく島らを囲む。


「君はイギリス軍に街を囲まれていた時どうしていたかな?」


 十代の少女に声を掛ける。


「すぐに故郷に戻ってって教会で祈っていました」


 野次馬も同じように頷いているのが多かった、これだけ大人数で祈ろうとも神は願いをかなえてはくれなかった。


「そうか。家族や友達はいるかい?」


「はい」


「大切な人を守りたいと思うね?」


「もちろんです」


 少女相手に何をどうするつもりなのか、興味は尽きない。この男が何を言うのか、耳目を集める。


「もし君の手で敵をやっつけて、守ることが出来るとしたら?」

 ――殺傷要件を認めるならば、市民は戦力になる。


 少し考えてから、自分ならどうするかを決める。薄汚れた服を纏い、やせ細った彼女が出来ることなど知れている。


「私が守ります」


「グラン! そうだ、大切な者を守りたいのは皆同じだ。もし自分がそうすることが出来るなら守る、その通りだ。私はイーリヤ将軍、兵を募っている。君の名前は?」


「ミレーユよ、将軍」


 相手が偉い人間だと解った彼女は驚いたが、問いにしっかりと答える。


「ミレーユ、君が望むなら私は兵として雇用しよう。フランスを守る為に戦うかい?」


「でも私、戦いなんて全然……」


 俯いてしまう。それはそうだろう、こんな少女に出来ることなど知れている。


「準備するんだ」


「ウィ」


 兵に設置を命じる、場所を確保し、板を立てかける。人を誘導し、板の前に島とミレーユが立った。手に鉄の穴あき棒を持たせる。


「耳栓をして、これを持つんだ。いいかい、凄い音がするから驚かないように」


「はい」


 少女を抱きかかえるようにして棒を一緒に構える。膝をついて板を狙い「皆耳を塞げ」警告を与えた。爆発音と煙が発生する、鉄の棒から玉が発射され、たてかけてあった板を砕く。ギャラリーが目の前で起きたことをまじまじと食い入るように見ている。


「ミレーユがあの板を壊したんだ、君だって戦える証拠だ」


「信じられない……」


「私は明日もう一度ここへやって来る。兵として入隊する者には食事と給金を支給する、対価は一つ、私の命令に従うことだ。フランスの為に命を掛けられる者は集え、ただし!」皆を見回して注目をひきつける「守りたい大切な人が居る者だけに限定する。誰かの為に戦える奴だけが最高の兵になりうる!」


 翌日、その広場には数百の人間が集まって来ていた。兵士は男がなるものだ、そう決めて掛かっていたが何の二人に一人は女性が居るではないか。子供も多かったが、年寄も多かった。


「ここから二百を選別する。十二歳以下の者、五十歳以上の者は街に残れ。五体満足でない者は残れ」


 三百程がその場に留まっている、もう少し条件を加えても良さそうだ。


「強い信念を持ってこの場に着た者は付いて来い。そうでない者は残れ」


 結果を確認せずに島は砦へ向けて馬を歩かせる。途中思いなおして逃げ帰る者が居たとしても何も言わない。

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