第6話 ヴァランス伯爵誕生

 起床している者もまだ少ないだろう時間、早朝のヴァランス郊外南部に金属音を鳴らした黒い重装歩兵が五つの集団に別れて迫って来る。見張り番をしていたヴァランスの若い兵士が驚いて街へと走って逃げて行った。


 重装兵の歩みは遅い、だが確実に迫っていく。街からヴァランスの警備兵と、それを指揮する騎乗したグロッカスの将校が少数現れて武器を構える。見慣れない軍勢相手に何者かと誰何した。


「貴様等、ここがグロッカス王国ヴァランスと知ってのことか、何者だ!」


 騎乗した青い軍装の騎士がたったの一人で進み出る。兜の庇をあげると大声で名乗りを上げた。


「我が名はヴァランスの騎士ルシファー・ド・ダグラス! 主、ナキ・アイゼンシア様の命によりこれよりヴァランスを奪還する、いざ勝負!」


 馬上大剣を構えると一騎で駆ける「ええい奴を止めろ!」グロッカス将校が命令をするが、兵らがざわざわして一向に動こうとしない。仕方なく自ら剣を抜いて打ち合わせようとするが、たったの一合も交わさずに首が宙を舞った。


「正義はナキ様と共に在る、ヴァランスを取り戻せ!」


 大剣を天に向かい掲げるとヴァランスの警備兵らが、その場でグロッカスの将校を我先にと襲い始めた。あっという間に全てが討ち取られると、青い軍服のアーティファがやって来て兵らの統率を明らかにする。


 ヴァランス伯爵旗を掲げて後方からナキがやって来ると、在地の警備兵がその姿を一目見ようと殺到した。


「皆さん、来るのが遅くなってしまい申し訳ありませんでした。でもこれからは誰にも勝手な真似はさせません、また一緒に歩んでくれますか?」


 ナキの言葉に応じるように、ヴァランスコールが繰り返される。ここで呆けてはいられない、敵が脳震盪状態のうちに全て制圧しなければならない。


「アーティファ司令官、要所に兵を進めましょう。クァトロを四隊つけます」


「マリー司令助かる。諸君、再会の喜びはここまでにし、ヴァランスを解放するぞ!」


 市街地にヴァランス旗を掲げて進むと、市民がもろ手を挙げて歓迎してくれた。どこに敵が居るとか、怪我人の手当てを申し出るとか、何せ協力的だった。恐らく近年最悪の状態を過ごしてきたせいで、救世主のような扱いになっている。


 警備隊本部にはアーティファが、市庁舎にはルシファーが向かう。港と街道の関所に二隊を派遣して、マリーは予備兵として中央にて武装待機する。太陽が真上に達するあたりで既に市庁舎にはヴァランス旗が掲げられた、そしてかつての屋敷にナキが戻った頃には、街中が喜びに溢れることとなる。



 警備隊長と市長がナキを頂くことに同意し、ここに第四代ヴァランス女伯爵ナキ・アイゼンシアが誕生した。警備隊の特設訓練場には、市民が続々と志願しての民兵登録を行い始めた。河船から搬入される軽装備が訓練場に運び込まれ、大雑把な部隊わけがなされていく。


 その間にクァトロの歩兵部隊は船でサンジュー=イーゼルへと向かった。ここもさしたる抵抗をせずに降ると、河北のロマン=イーゼルも同様に庁舎を明け渡す。かといってクァトロがそこで強引なことをするかというと否だ。ヴァランスから役人が来るのを待って、引き継ぎをして欲しいと頼み引き揚げていく。


 一方でシャトー=イーゼルの主将は降伏しなかった。ここを守るのは国王からの命令で、決して背くことはないと断言。


「なんと潔い男がいるものだな。俺が話をする」


 マリー司令が城館の前に行き胸を張った。ドフィーネ王国旗を高らかに掲げて、門を閉ざして抵抗している。


「俺はクァトロ司令のマリーだ! 主将と話がしたい」


 望楼の手すりから姿を見せたのはまだ若い、恐らくはマリーと同年代の男だった。おかしい、先の諜報では初老のものだったはずだ。


「我はドフィーネ王国の騎士ヴァリス! 輩にここを明け渡すつもりはない!」


「確かここの主将はご老人だったはずだが?」


「グロッカスの侵略に尻尾を巻いて逃げた者など、断じてシャトーの主ではない!」


 なるほどと二度三度首を縦にする。臆病者が逃げ去り、残った者が気勢を吐いていたと知った。


「騎士ヴァリスよ、王の命令ならば従うのだな」


「無論! それ以外の何ものの命令も我には響かん!」


「わかった、その心意気を認める。また会おう!」


 マリー司令は右手を上げるとロマン=イーゼルへと軍を退かせるように命じる。黒服が整然と立ち去る姿を、ヴァリスはじっと見つめていた。二つの都市ではヴァランス同様に民兵を募集していた、ロマノフスキー副司令官がこの地域を掌握すべく動いている。


 訓練など二の次で、失業者を根こそぎ雇ってしまい食糧と居場所を与えた。そのせいで治安が一時的に良くなる、生活が安定すれば犯罪が減るのは当然のこと。そのしわ寄せは物資と資金、両方共制限があるのに湯水のように使っていた。


 裏事情を言ってしまえば、超が幾つもつくデンベルク財閥の財政支援が行われているからだった。アンデバラ子爵の決裁で地中海各所から食糧を買い集め、マルセイユの倉庫に滞積してあった。特別な都市であるのでマルセイユが武力侵略されることはまずない、それゆえの偏重。


 貧民相手にクァトロ名義で大盤振る舞いされると、周辺の都市からも失業者がやって来る。食べてさえ行けるならばそれで良いと。同じ状態を辿っていた水夫らが仲間を受け入れると、水上航行にも余裕が産まれる。イーゼルとヴァランスに、マルセイユから続々と物資が入って来ると、余った人手でイーゼル河を遡ってヴォアロン方面へと向かわせる。


 そこでも食い詰めた者を募集すると河船で集めてきて一カ所にまとめてしまう。南の大陸で行ってきた政策の一つ、まず与え、そして育てる。ヴァランス反乱で異常を察したグロッカス王国は増援を派遣する為に、ピロット山脈を進ませた。だが狭い山道でがけ崩れや倒壊が続発し、途中で引き返さざるをえなくなる。


 本来ならばサンマルタンからアンピュイに入っているはずのバスターの潜水部隊、宙に浮いてしまうので妨害工作に従事していた。潜水隊が山岳でどこまで自由に動けるかは解らないが、一本道を進もうとしたグロッカス増援隊が選択を誤ったので無事に撃退することに成功した。


 二千のヴァランス警備隊と五百のヴァランス軍を整備すると、それらの総司令官にアーティファが選ばれ将軍を与えられた。民兵団である警備隊にヴァランスの治安維持を任せると、軍は王都サンヌとの間にあるサンヴァリエ市を目指すことになる。


 陸路で五日、街道を一直線進めば到達するが、そこでも河船が役に立った。上陸地点だけを先行して確保することで、たったの一日で移動を終えた。街の南側に軍営を設置して、そこに物資を堆積する。様々なことが同時に行われている中、副司令官ロマノフスキーがイーゼル地区での失業者らを馬鹿にする者達にあてた言葉が市民の間で噂になっていた。


「役立たずを上手い事働かせるのが俺の仕事だ。文句があるなら聞いてやるからいつでも来い」


 役立たずであるとの言を認めつつも、無用ではないと断言。その上で部下を擁護する。食事も、住む場所も与えられていて、それでいて何もしないでは男が廃る。犬でも三日飼われれば恩を感じるとさえ言われる、彼らは競って働こうとし始めた。


 一方でヴァランスの屋敷が、ナキとイーリヤ将軍の本営になっている。次の一手を二人で話している姿が良くよく見受けられた。サンヌを落とさない限り終わらないのだ、この戦は。気になっているのは重要人物らの生死。特に国王が今どうなっているのかに焦点があてられた。



 アイゼンシア邸の一室、ナキが帰還して以来、離散していた家人が徐々に戻って来ていた。口々に前ヴァランス伯爵の死を悼み、今後はナキを伯爵として頂くという。


「サンヌの陛下はご無事なのかしら」


 重い病にかかっているらしい、その姿を直接見た者は居ない。だが勅令は発せられているので生存している、というていではある。意識不明の重態であろうともそんなことは関係ない、死んでいたとしても事実というのは作られるのでやはり無関係。


「利用価値がある、自ら害することもないだろうな」


 もっともこちらとしては生きて居られても困る部分はあった。時間が解決するところで余計なことはしない、むしろナキが手を汚さずに多くの王族を処分出来たのにはグロッカスに礼を言いたいくらいだった、政略的な部分では、だが。


「サンヴァリエの攻略には時間が掛かりそうだと、アーティファ司令官から報告がありました」


 勢いで押し寄せはしたものの、これといった調略も無しで進軍したせいか、普通に籠城されると包囲するだけで手が出なかった。かといって王都から援軍が来るわけでもなさそうで、双方時間と物資を食いつぶすだけの無駄な対峙を続けている。


 恐らくこの停滞はナキにとっては不利になってしまう。ステア王国が動かないと判断されたら、グロッカス王国は積極的に介入して来るはずだ。独立軍のみで維持か撤退かを判断しているうちに大勢を決する必要がある。


「ヴァランス軍と民兵を交代させても良いだろうな。積極的に戦うつもりがないならば、それはそれで構わない」


 攻勢をかけられる部隊は少ない、ここで損耗させたり疲労させたりすることはないのだ。もし打って出て来るならば、その時は取って返すことも視野に入れる。


「……この状況で王都へ攻め込むのは性急と言われはしないでしょうか?」


 ナキには軍事的な経験が無く、そのあたりの機微が掴めずにいた。アーティファが居れば助言を得られただろうが、今は現場でその才能を振るってもらっている。


「グロッカスの選抜兵が恐らくは千人から詰めている、それを力押しするだけの戦力は我等にはない」


 敵地に潜伏してあわよくば国を落とそうとしていた、そこに新兵を充てることはない。少なくとも守勢兵、可能な限りの精鋭を送り込んできていると見て間違いない。


「ではヴォアロン伯爵領からの増員を見込む、などでしょうか?」


 脅しに屈してしまった伯爵ではあるが、打倒出来たら元通りにする約束があれば、兵の募集に協力をしてくれるかもしれない。そちらに兵を向けて解放し、募集し、編制、訓練、移動となれば二か月はかかる。


「僻地は首都さえ押さえればどちらにでも転ぶ、分散は良い手段ではない」


 理解しているつもりだった、けれども代案が浮かばない。二人の会議中にノックが聞こえてくる、意外な組み合わせの二人が入って来た。グロック参謀長とユーナだ。


「閣下、準備が整いました」


 何かを指示していたわけではない、それでも報告を上げて来た。どうして二人でやって来たか、そこにヒントが隠されていると将軍は思案する。

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